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「甲陽軍鑑」を読む 7

(今夜はブリの照り焼き)

女房が京都へバス旅行に出かけて、朝起きると息子がお風呂のサッシの戸車を代えるから手伝えという。珍しいことがあるものである。戸を外し、壊れた戸車を確認、息子と二人で買って来て、取り替えた。前から動きが悪くて苦労していたサッシ戸が、片手で簡単に開け閉め出来るようになった。

夜は、写真のブリの照り焼きを作ったが、女房は夕食を済ませて帰ってきた。ブリの照り焼きには、色どりに、ごぼう、スナックエンドウ、シイタケを合わせた。

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「甲陽軍鑑巻第十一下」の解読を続ける。「氏政、信玄、三島にて対陣の事」の項の続き。

重ねて長坂長閑よりの状に、家康子息は信長の聟(むこ)と約束あり。信長惣領城介殿は信玄公、御聟とあれば、御縁者(えんじゃ)中を、山縣破り申され、無分別故、同人衆には係(かか)られ申すまじくと申す処に、土屋右衛門尉をもって、馬場美濃、内藤、真田、その外侍大将、山縣がことを、如在(じょさい)なき通り申し上げ候えば、信玄公、殊の外、御悦喜(えつき)なされ、四郎、典厩を初め、一門の内にも、家老にも、海道一番と自慢する家康と、相手かけの合戦、是非に及ばぬ仕様なりと、御褒美ゆえ、和田加介も、辻弥兵衛も、大事なくして、江尻の城代に、山縣三郎兵衛、仰せ付けられ、各(おのおの)組衆、駿河、信濃、甲州にも、能き衆、山縣同心に成られ候。
※ 家康子息 ➜ 家康の長男、信康のこと。永禄一〇年、信長の娘の徳姫と結婚。
※ 信長惣領城介(のぶながそうりょうじょうのすけ)➜ 織田信忠。信玄六女松姫と婚約が成立したという。
※ 如在なし(じょさいなし)➜ 気がきいていて、抜かりがない。
※ 悦喜(えつき)➜ 非常に喜ぶこと。
※ 是非に及ばず(ぜひにおよばず)➜ 当否や善悪をあれこれ論じるまでもなく、そうするしかない。どうしようもない。やむを得ない。
※ 仕様(しよう)➜ 物事を行なう方法。行動の手段。
※ 同心(どうしん)➜ 近世初期、武家で侍大将などの下に服属した兵卒。


結句、三河、この度降参の山家三方衆まで、山縣寄騎(よりき)に仰せ付けらるは、嶋田河原にて、家康と山縣と喧𠵅(けんか)に仕り、家康に塩付けたる故、山縣三郎兵衛を、以来家康方への御先させなさるべしとて、かくの如く、さありて、霜月中旬に、御馬入れられ候。家康の人質松平源三郎、甲州下山より、雪を踏み分け、山通り、三河へかけ落ちるにより、明くる未(ひつじ)の年より、家康と信玄公、遠州、三州、二ヶ国を争い、弓矢はじまるなり。よって件(くだん)の如し。
※ 結句(けっく)➜ かえって。むしろ。反対に。
※ 寄騎(よりき)➜ 戦国時代に、侍大将・足軽大将に付属する騎士。同心。
※ 松平源三郎 ➜ 松平康俊。徳川家康の異父弟。家康の命により今川氏真の人質として駿河国に赴く。武田信玄の駿河侵攻を受けて甲斐国に送られた。
※ 弓矢(ゆみや)➜ 戦争。いくさ。

(「氏政、信玄、三島にて対陣の事」の項終り)
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