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「竹下村誌稿」を読む 366 風俗習慣 7

(散歩道の紅梅)

御前の最初にお宮さんの掃除。年始からあまり時間が経っていないので、奇麗に保たれて、掃除の余地はほとんどなかった。

午後、散歩に出る。牛尾山辺りまで歩く。NTさんの農園に立ち寄り、昨日欠席した「駿遠の考古学と歴史」講座の様子を聞く。幕末の報国隊の話。帰りに里芋をいただき、夜は親芋を料理して美味しく頂いた。

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「竹下村誌稿」の解読を続ける。

      第三節 慶  弔

       一 誕 生 元 服

婦人妊娠して五ヶ月に至れば、媒介人(仲人)より贈られたる纈帯(いわた)(平安時代の風なりと云う)と称する花色木綿六尺を腹部に纏(まと)う。臨月になれば吉日(戌日)を撰み、媒介人、親戚などより色餅を送る。これを出饗または出振舞と云う。産気あれば産婆を招き、分娩すれば胞衣(えな)は吉方を撰みて土中に蔵(おさ)む。生児に産衣を着するに、男子は左より、女子は右より袖を通さしむ。産後七日を経れば七夜と称し、命名し、近隣の子供を招き饗す。この時、嫁(婿)の実家よりは初着(うぶぎ)と称し、産衣を贈るを佳例とす。産衣には松竹梅の模様あるを例とす。産児(男子は生後三十三日、女子は三十二日)、初衣を着し、産婦と共に氏神に参詣す。これを初宮詣と云う。
※ 佳例(かれい)- めでたい先例。吉例。

生後第一年の一月には、男子なれば破魔弓(はまゆみ)、女子なれば鞠を親里より贈りしが、今は行われず。三月三日、五月五日は、雛祭、凧揚げなどの(こぞ)あれども、これらは年中行事に書きたれば省く。小児満一年となれば、誕生日と唱えて餅を搗き、親戚近隣に配る。三才となり、九才となれば、親近を招き祝宴を開くことあり。親戚よりは年齢相当の着衣を贈る(年中行事参照)。これらは長出の例にして、次子よりは省略するを常とする。
※ 挙る(こぞる)- ことごとく集まる。残らずそろう。
※ 長出(ちょうしゅつ)- 長子の出産。


昔は男子十五歳に至れば烏帽子親を撰み、前髪を剃り、一の字に結び、幼名を改めて実名を付け、元服を祝い、または若者入をなしたりしが、今は全く廃せり。この元服と云うことは遠く奈良朝以前より始まりしものゝ如し。元明紀、和銅七年(714)六月の條に、「皇太子聖武、元服に加える」とあるにて知らる。爾来民間にも慣用せられ、武家時代には益々発達して一つの礼式となるに至れり。この若者組は今は青年会の組織と代り、十五歳已上に達すれば何れも村内の青年会に入りて、その会員となるに至る。また女子は嫁したるもの、眉を剃り、歯を染めなどして、元服したるを示せり。覊旅漫録に、「遠州より西は半ば元服の娘多し。白歯の娘はたえてなし」と見えたり。
※ 烏帽子親(えぼしおや)- 仮親の一。元服する男子に烏帽子をかぶらせ、烏帽子名をつける人。社会的に有力な人を頼むことが多い。
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