平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
「竹下村誌稿」を読む 364 風俗習慣 5
午後、駿河古文書会で静岡へ行く。今年最初の静岡で、城北公園から富士山がよく見えた。終わって、静岡から取って返して、親類のG氏の奥さんのお通夜に出席した。
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「竹下村誌稿」の解読を続ける。
三 住 居
太古の人民は概して穴居を営み、室内も広からず、二畳乃至八畳敷許にして、石または木を以って戸となし、その口甚だ狭き故に這いて出入をなせり。故に今に至るまで這入口の語残れりと云う。而して今の住宅はこれと異なり、概ね平家にして南に面し、出入口も濶(ひろ)く、その間取りの如きもほとんど一定にして、普通、台所、寄付、中の間、納戸、座敷などに分かつ。
※ 寄付(よりつき)- 数寄屋などの入ってすぐの部屋。
※ 中の間(なかのま)- 家の中央にある部屋。奥の間と玄関などとの間にある部屋。
※ 納戸(なんど)- 一般には屋内の物置部屋をいうが、主人夫婦・家族の居間や寝室などにもなる。
台所は勝手と称し厨房にして、寄付、中の間は家人の居所なり。納戸は寝室に充(あ)つるものとす。また中の間には神棚を設け、仏壇を構え、朝夕礼拝をなす。これ吾が国祖先崇拝の美風なり。座敷は家の正室にして、客を招ずる所なり。座敷には床(とこ)あれば書画を掛け、花瓶を居(す)え、床飾りを置く。この座敷は、古えは祭祀せる神の床より始まりて、人の日常のことに移りしものなりと云う。
古えの座敷と云いしは人の座すべき処で、敷物を設くることにて、今の如く一囲の処を云う名には非ざりしなり。古代の家屋は総て板敷にて、主客の座すべき処のみ、時に臨(のぞみ)て敷物を設けしことなれば、古き物語には御座を敷くなど見えたり。倭訓栞にも、今の世には屋中一間を座敷といえど、古えは座列のさまを云えりとあり。また家の正面の床の方を横座と云う。横座とは床の横座の意なるべし。故に諺にも、猫、阿房、坊主は横座に廻ると云うにても知らる。敷物は概して畳を用るれども、座敷の外、藺蓆、藁蓆を用ゆるものありて、各差あり。
※ 横座(よこざ)- 畳や敷物を横に敷いて設けた正面の席。上座。
※ 藺蓆(いむしろ)- イグサで編んだむしろ。
蔵庫(倉庫)は土蔵あり、壁蔵あり、概して母屋の後ろにあり。納屋、茶部屋、蚕室はその前にあり。或るは長屋門、濡れ門を構え、玄関を設くるもあり。また屋根は大概四ツ棟造り草葺なりしが、漸次瓦葺に改め、漆喰を施せるもあり。維新已後は建築も漸く改まりて、採光、通風に注意し、便宜と奇麗を図り、障子の如きも硝子障子を用ゆるものあるに至る。されど未だ西洋風の建築を見ず。その他、家具、家什の変化もまた著し。また昔は婦人の月経中炊事を別にせし処を「ヒマ家」と云い、蓆二、三枚の小屋なり。
※ 家什(かじゅう)- 家庭用の諸道具。家具。家財。
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