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「家忠日記 二」を読む 14

(庭のヒヤシンス / 長年植えた侭で、花数がこんなに少なくなった)

午後、駿河古文書会に出席した。冒頭で会員のOさんの訃報を聞いた。この会で訃報を聞くのは何度目だろうか。それにしてもOさんは66歳とまだ若かった。肺がんで発見されてから4ヶ月という、余りあっけない別れであった。お遍路の本を差し上げたり、このブログも読んでくれていて、解読の誤りを丁寧にプリントして、指摘して戴いたり、勉強熱心な方であった。いい友人になれると思っていたのに、残念でならない。

当番の発表では、当初から予想はしていたが、問題が沢山指摘されて、時間いっぱいであった。文字が極端に小さく、印刷も不鮮明であったこと、自分にはアウェイの地区の文書だったこと、船の遭難の文書は初めてで、専門用語になれていなかったこと、など言い訳は出来るが、まだまだ勉強不足であった。

「家忠日記 ニ」の解読を続ける。

 天正八年(1580)辰五月
同十一日己卯 
同十二日庚辰 申刻より雨降り。
       番普請出来候。牧野新二郎所にふる舞い候。
※ 番普請(ばんぶしん)- 見張り小屋の普請。

同十三日辛巳 夜まで雨降り。
同十四日壬午 
同十五日癸未 雑事普請候。
※ 雑事(ぞうじ)- 雑多な事柄や用事。ざつじ。
同十六日甲申 松甚太所風呂、同ふる舞い候。


家忠日記で初めて風呂の記述がある。もらい風呂であるが、当時の風呂は今のように湯につかるような風呂ではなく、蒸し風呂のようなものだったと思うが、ここでは不明である。

同十七日乙酉 卯刻より午時まで雨降り。
       番、戸田新六郎に替り候て、浜松まで越し候。
同十八日丙戌 深溝まで日掛けに越し候。
同十九日丁亥 会下へ参り候。
同廿日 戊子 川狩りに越し候。
同廿一日己丑 会下へまいり候。
同廿二日庚寅 
同廿三日辛卯 酉刻より戌時まで雨降り。
同廿四日壬辰 日待ちに、会下へ越し候。
   ‥‥
   ‥‥
同廿八日丙申 巳時まで雨降り。
同廿九日丁酉 
同晦日 戊戌 土用に入り。
       川狩りに越し候。


 天正八年(1580)辰六月
 六月大
同一日 己亥 会下へ参り候。
同二日 庚子 
同三日 辛丑 吉田より、来たる八日、陣触れ越し候。
       川狩り越られ候。夜、夕立ち候。
同四日 壬寅 小美へ川狩りに越し候。
※ 小美(おい)- 現、岡崎市小美町。
同五日 癸卯 松平孫十郎所へふる舞い候。深溝帰り候。
同六日 甲辰 
同七日 乙巳 

同八日 丙午 吉田まで出陣候。
同九日 丁未 浜松へ出陣候。
同十日 戊申 家康は横須賀まで御出陣候。
       鎌田まで出陣候。


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