平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
上越秋山紀行 上 33 三日目 小赤沢村 16
「上越秋山紀行 上」も残すところ、あと今日も含めて二回、明日で読み終える。そのまま、下巻を読むつもりだったが、ちょっと気分を変えたくなった。真夏の大きなチャレンジであるが、再び江戸時代の漢文の本を読もうと思う。「江戸繁昌記」という、江戸時代のベストセラーである。漢文で書かれた本がベストセラーなのがすごい。
「上越秋山紀行 上」の解読を続ける。ラストスパートである。
筵のように織ったようで、余り古くて処々切れて、絵も表具とやらもわからぬと云うに、予、倩々(つらつら)考えるに、表具は必ず金襴、さては錦の類か。地は絵絹に書くならば、押して望みなしと答うなれども、見たる風情に已(はなはだ)興じて、
※ 絵絹(えぎぬ)- 日本画を描くのに用いる平織りで薄地の絹織物。にじみ止めに礬水をひいて用いる。〔礬水は水に少量の膠 (にかわ) と 明礬 (みょうばん) を溶かしたもの。〕
太子御影転真玄 太子の御影、転真玄(まっくろ)
伝云星霜七百年 伝云う、星霜七百年
予窺黒駒図乗処 予め窺うは黒駒に乗る処を図(えがけ)り
冬春導師限此尊 冬春の導師はこの尊に限る
※ 転(うたた)- いよいよ。ますます。
愚案するに、この主、予に見せぬ事推量せり。その故は絵絹は雪舟、元信時代までは更になし。元信は小(織)田信長公時代の人にて、夫より時代過ぎ、探幽、探信の時分より、はじめて世に行わる。必ずこの絵、智者が見て、必ず心懸り有りそうの物好きには密して見せまじと、必定、評付けられては尊像の障りと云うを、例の秋山育ちの正直に、真心に、更(あらた)めて秋山切りに限り、他邦の者へは見せぬと、一図に思い定めしならん。また智者の説に、絹地は往昔も仏絵などにありと云う。追考を侍る。
さなきだに、暮れやすき秋の日に、主親子が山挊(山仕事)の差し支えならんと、また兎や角して、道々の勝景に徐々(しづ/\)歩き往かば、湯本まで遅からんと、支度にかゝり、乾飯の残り、焼飯にせんと、粥の如き柔らなるを漸々丸め、忽(たちま)ち、大火に焼く。家翁と主は、名残(なごり)惜しげに、門先へ素足にて見送り、家内の女は立って見ゆるもあり、居るもありて、少し頭を下げるばかりなり。
※ さなきだに - そうでなくてさえ。ただでさえ。
※ 乾飯(かれいい)- ほしいいともいい、米を蒸して干したもので、昔は旅の携行食とした。
※ 焼飯(やきいい)- 握り飯を火にあぶって焦げ目をつけたもの。
この土地は二十八軒の大村なれば、往く先、暫くの内は山畑果しなく、抑々(そもそも)故郷よりして、日和勝ちなれば、この日も旭朗(あきら)かにして、山の端を離るゝは、里地の五つ半時分なるべし。やえ畑や茅原の茫々たるを過ぎて、大樹の中を片登り、或いは渓に随って降り、奥深く往く程、次第/\に道細く、これや樵父などの迷道ならんと思うに、高き山の斜めに大樹伐り倒し、その間々の小樹、小枝焼き捨て、かゝる里地を離れたる山上まで畑伐り開く事をやこ云いながら往く。
※ 五つ半 - 午前9時ごろ。
※ やえ畑 - 幾つも重なった畑。段々畑?
※ 樵父(しょうふ)- きこりのおやじ。
※ やこ -(「とやこう」の転?)いろいろ。あれこれ。とやかく。
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