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海野弥兵衛信孝日記(8) - 駿河古文書会

(5月29日、徳島県池田町辺りの吉野川)

このところ、連日、古文書講座の復習のような内容で、興味のない人(大半がそうであろう)には、まことに恐縮である。暑さから外へ出る気にならないのは事実だが、この間に、実はお遍路記録のまとめに入っている。ブログには、その日その日で印象深いことを拾って書いたから、書いてないものがまだたくさんあった。それを拾えるだけ拾いながら、まずは第一稿をまとめている。残るはあと十日分である。800字詰原稿用紙にして200枚くらいになるであろうか。第一稿は素材のようなもので、さらにそれから稿を重ねることになるが、忘れないうちにそこまではやっておきたい。ちなみに、前著は800字詰原稿用紙にして150枚ほどで出来ている。

そんな訳で、今日も海野弥兵衛信孝日記の1月14日分である。

地脇の者(近所の百姓たち)が、海野家の行事の面倒を色々見ているらしい記述が時々出てくる。十四日には2項目出てくる。一つは「“けずりかけ”をいたす」とあるから、けずりかけを作ってくれたのであろう。けずりかけは今の御幣の代りである。ネットで見ると、「正月十五日前後に作り、門戸につるす。邪気を払い福を招来するとした」とあるから、十四日に作るのは時期が合っている。

昔、靜岡の洞慶院で見た「おかんじゃけ」という玩具を思い出す。似ているようであるが、「おかんじゃけ」は竹の縦の繊維を残し髪の毛のようにしたもので、制作方法も用途も違う。ちなみに「おかんじゃけ」は「お髪竹」が鈍ったものだといわれる。

もう一つの記述は、地脇の者が松かざりを片付けてくれた、というものである。いよいよ正月行事も終わりである。

十四日
一 地脇の者来たり、例の通りけずりかけいたす
  但し、もち遣わす
※ けずりかけ(削り掛け)- ヤナギやニワトコなど色の白い木の肌を薄く細長く削り垂らしたもの。紙が普及する以前は御幣(ごへい)として用いられた。削り花。
一 おぜん御造酒上げる、すべて例の通り
一 文右衛門方へ酒五升代払う、使い七右衛門
一 去る暮申し付け候、豆腐ひきちん、喜左衛門方へ払う、使い七右衛門
一 草深利右衛門年始礼に来たる、年玉として佐束壱状、到来候
  但し、酒呑ませ候、外に金弐朱、歳暮分差し遣わし候事
一 新次郎呼び寄せる、品々相咄す
  但し、来たる二月、当家無尽金、同人方へ入金に相成り候わば、差し繰りくれ候段、品々申し談じ候、追って申し来たる筈
一 地脇の者来り、例の通り、松かざりおさむ
一 新五郎へ縫兵衛方借財きんの儀に付、品々申し聞き候事
  但し、縫兵衛口入金の儀に付、同人と申し合い、日延べ致すべき段、品々申し付け候事
一 長五郎へ府中行きの儀、申し付け候
  但し、来たる十七日頃、自分府中へ罷り越し候に付、供の儀、申し付け候事
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