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「横浜・山手の出来事」を読む

(徳岡孝夫著「横浜・山手の出来事」)

ある待合室で長く待たなければならないことがあって、こんなに待つならば本でも持ってくればよかったと思った。そばに書棚があったので覗いてみたところ、徳岡孝夫著「横浜・山手の出来事」という本の背が見えた。題名に見覚えがあった。手に取って、奥付を見ると、1990年の発行であった。出版されたとき、書評を見て読みたいと思い、2000円の定価を見て買うほどでもないかと手を引っ込めた。図書館に入ったら読もうと思ったまま忘れていた。そのまま、20年経ってしまった。少し読んで待合の時間が来て本を書棚に仕舞った。

家宅後、「日本の古本屋」のネットで探すと、500円で出ていた。送料を払っても1000円以内で手元に届くと思い注文した。送られて来た本はほとんど読まれた形跡がなく、新品同様であった。時間を掛けて昨日読み終えた。

1896年、横浜のイギリス人居留地で起きた殺人事件の、裁判の一部始終を描いたノンフィクションである。ヴィクトリア朝のイギリスの旧弊な社会からすると、当時の日本のイギリス人社会には外地ゆえの自由があった。特に貞淑を求められた妻には別天地であった。この事件は、奔放にふるまっていた若い妻が歳の差の大きい夫を砒素を盛って殺したという事件であった。当時のイギリスの陪審員制の裁判制度で、出先である横浜で裁判が行われた。ミステリーのように様々な謎めいた展開の後に、裁判の方法にも多くの疑問がある中、陪審員はたった30分間の評決で、妻の有罪と死刑の量刑を決めてしまった。その後、終身刑に減刑され、本国で収監された。

著者は事件の様々な疑問を提示して、イギリスにおいて100年後の再調査を行う。当時、名家の娘が極東で起こした稀なる事件として、地元ではセンセーショナルに扱われていて、色々な事実がわかって来る。そして、最後に著者が真実はどうであったのか、推理小説ではないから100%の答えにはならないが、推論を含めた謎解きをしてみせる。

日本も裁判員制度が始まったから、日本の裁判制度とヴィクトリア朝イギリスの裁判制度を比較しながら読み進めると大変興味深かった。

砒素と聞いて思い出すのは、和歌山毒カレー事件である。あの事件のときに、どうにも腑に落ちないことがあった。シロアリ駆除に使用していた砒素の毒性認識を最も持っていたと思われる亭主が何度も砒素を盛られて死に目に合っていたことであった。このノンフィクションの夫は砒素を常用していたという事実が示される。毒薬も少量であれば薬になる。痛み止めになったり、疲労回復になったりするという。細胞の燃焼を活発にして、エネルギーを補給しなくても元気が出る効果もあるという。和歌山の亭主も砒素の効用を知って、常用していたのではないだろうか。そんな風に考えると、自分が量を間違えたと考えて、なかなか妻に盛られたとは考えにくかったのかもしれない。亭主が純然たる被害者だったとしての話だが。
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