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国民の負託と党議拘束

(クリスマスナイトツアー №2 金谷の某所)

昨夜は女房とクリスマス恒例のナイトツアーに出掛けた。車の運転は息子が引受けてくれたので、車を降りてゆっくりとデジカメに収めてきた。昨日のブログからしばらくはこのナイトツアーの写真を使おう。

昨日、今年最後の出勤日となった。電話があって久しぶりに証券会社の支店長さん達が年末の挨拶に見えた。激動の経済や株式の話から、無力な政治の話になって、我々が非力でも声を上げなければ、この状況から抜け出せないのではないかという話になった。

不況を迎えると、大会社に勤めていた人がいきなりホームレスに直行してしまうような社会を、我々は目指して働いてきたわけではない。こんな経済や社会を胸を張って子や孫の世代に引き継ぐことは出来ないと思う。何とかしなければならない。

ところが、その役割を担うべき政治家たちの体たらくには目を覆いたくなる。衆参両院の逆転現象は声無き選挙民の、政治家に対する負託の一形態であった。衆議院で自民・公明の与党に多数を取らせ、参議院に民主党を中心とする野党に多数を取らせて、ねじれ現象といわれる微妙な状況を作った。与党の暴走を許さず、バランスの取れた政治を期待したはずだったと思う。

今の政治状況はこういう選挙民の負託はどこかへ飛んでしまい、近付く解散を睨んで政治がまさに政争の具に成り果てている。世界不況の波に翻弄される日本経済に、今こそ思い切った迅速な対策を打ち出すべき時であるにも関わらず、国民の負託に答えられていない。

こうなったら一度民主党に政権を渡してねじれ現象を解消した方が良いのかもしれないという話になった。しかし、民主党議員の政府与党の出す議案に対して、すべてに反対と発言する民主党議員を見ていると、党議で拘束されているとはいえ、自分の考えが発言できない哀れさを感じてしまう。民主党が政権を取り、その政策がそのまま実現することになったとき、自分の政治信条を殺して、今までのように民主党が一枚岩でおれるかと危惧される。

問題なのは、小選挙区制の中で政界が再編される際に、真ん中辺りの塊りが自民党を構成し、右と左が集まって民主党を結成したという点である。野党のうちは対立は表立ってはいないが、政権を取ると党内での対立がはっきりして、もう一度政界の再編が起きる可能性が高い。どちらにしても当分は政治にあまり大きな期待できないようだ。

夜のニュースによると、衆議院での民主党の解散要求決議案に、渡辺行革大臣が自民党から一人だけ賛成投票をしたとして、政界に波紋が広がっている。総理大臣を選ぶ際に党議拘束するのはやむを得ないと思うが、与野党とも、一つ一つの政策に党議拘束を掛けるのはおかしいと思う。血の通った議員が出て投票をして、与野党の議員数通りの投票結果になるならば、議会はいらないと思う。政治家であるならば、党議拘束に従うのではなくて、自分の政治信条に従うべきである。その点で渡辺喜美行革大臣に拍手を送りたい。
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