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二俣城址の紅葉とギンナン

(二俣城址の紅葉)

今年の紅葉もそろそろ終りだろう。この秋は、暖かいと思っていたら急に冷え込んだりと、今まであちこちと紅葉を見てきたが、早かったり遅かったりで、真っ盛りに当ったことがなかった。

昨日の日曜日、今盛りなところはどこだろうと考えた。もう山や渓谷は終っているだろうから、これからは街中だろう。そんな微妙なところとして選んだのが二俣城址である。空っ風が吹き、天気はいいが寒い日だった。

二俣城址の駐車場で車を降りると寒風に縮み上がるようであった。車止めのゲートから先に入ると、二俣城址の案内がテープで流れ出した。人を感知してテープを流す仕掛けになっているのであろう。しっかり聞かなかったが、おそらく案内板にあった次のような話がテープにあったのだろうと思う。

二俣城は徳川と武田両軍の攻防の舞台となった。元亀3年(1572)10月、武田信玄は大軍を率い遠州に侵入し二俣城を攻めた。籠城する徳川軍が釣瓶で天竜川から水を汲み上げていることを知り、釣瓶を壊して水を絶ったため二俣城は陥落した。次いで3年後の天正3年(1575)5月には、長篠の戦いで勝利した徳川軍が武田勢を一掃すべく二俣城を攻撃した。籠城の武田勢は兵糧が尽きて城を明け渡した。さらに、天正7年(1579)9月、家康の嫡子、信康が武田氏と通じていたとして、信長に切腹を命じられ、家康が涙を呑んで切腹させたのがこの二俣城においてであった。家康は後々まで信康の切腹を悔いることになった。




(二俣城ニの曲輪の空を塞ぐ紅葉)

本丸跡の広場を取り巻いてモミジが真っ赤に紅葉していた。この秋に目にした最高の紅葉であった。その先の土塁に囲まれた二の曲輪にはモミジの大木が何本もあって空を真っ赤に塞いでいた。

寒さを忘れて紅葉をデジカメに収めていたところ、二の曲輪の奥で何人かの人が下を見て右往左往している。どんぐりでも拾っているようだ。近寄って見るとキンナンであった。イチョウの木が二本あって、一本はすでに裸木になっている。もう一本は葉は落としているが、ギンナンがまだたくさん枝に残っていた。


(拾ったギンナン、二重に包装)

買い物袋をいっぱいにしたおじさんが幾らでもあると騒々しく拾っていた。紅葉見物の人たちにしきりに拾うことを勧めていた。しかしギンナンは何しろ臭い。その悪臭は耐えられないから、誰でも手を出す訳には行かない。女房が車に袋を取りに戻って、薄手のビニール袋を手袋代わりに手にはめ、二人でイチョウの落ち葉に隠れるギンナンを拾った。寒風が吹くとバラバラと上から落ちてくる。時間を掛ければ幾らでも拾えそうであった。あとの処理のことを考えて、買い物袋が半分くらいで程々にして帰って来た。

女房がビニールの手袋をして、実の部分を洗い落とすのに大変だったようで、実の部分は臭いから畑に穴を掘って埋めたと話していた。買えば1000円以上もするだろうと主婦は言う。紅葉狩りがどこかでギンナン狩りに化けてしまった。
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