平成18年に60歳を迎える。六十と縦に書くと傘に鍋蓋(亠)を載せた形である。で、「かさぶた(六十)日録」
かさぶた日録
三好達治、牧之原茶園の詩
榛原の友達がフリーマーケットに出すから覗いて行きたいという、女房のリクエストに応えて、初倉から空港トンネルを通って榛原に向かった。会場のせせらぎ公園は既視感があると思った。そのはずで隣りの榛原郷土資料館には一度来ていた。前に作詞家の藤田まさとの記念碑と銅像があった。
フリーマーケットを後にして、紅葉を見ようと、遠州の山の手のほうへ車を進めた。榛原から菊川へ最短で抜けようと登って行くと、サイレンを鳴らした救急車とすれ違い、登り道に赤い乗用車が半損で道を半ば塞いでいた。そこから液体が流れ出て坂に少しばかりの流れを作っていた。パトカーもそばにいて、事故調査をしていた警察官も注意しなかったから、ラジエーターでも破損したのだろう。ガソリンなら大変である。
(三好達治の詩碑)
原を登りきって茶畑を走っていると、「三好達治!」と女房。通り過ぎてから「碑のようなものがあった」という。ピンと来るものがあって、車を返して停めた。なるほど、三好達治の詩碑であった。
茶の花十里
牧の原 茶の花十里
露じもに ぬれて咲く日は
茶畑は もう用すみし 日あと
何を見んとて 咲く花か
刈りつめられし 丘の波
そのうねを出て また波に入る
ちんちろ
しべ長く 花粉豊かに
葉がくれに
牧の原 茶の花十里(文芸春秋 昭和38.1)
先日、第2回の文学講座で、三好達治が牧の原茶園を書いた「茶の花十里」という詩があることを知った。三好達治といえば「太郎を眠らせ、太郎の屋根に雪ふりつむ 次郎を眠らせ、次郎の屋根に雪ふりつむ」という有名な詩は教科書などで見たことがある。しかし、詩碑があるとは聞かなかった。
どういうつてがあったのか、榛原高校で校歌の作詞を三好達治に頼もうという企てがあった。「茶の花十里」は、依頼を受けた三好達治が榛原を訪れた折に、牧の原の茶園を見学して書いた詩で、当時の文芸春秋に載った。翌年、三好達治は亡くなり、校歌の作詞は宙に浮いたが、その後、三好の友人の詩人丸山薫によって作詞されたという。
詩は詩碑からそのまま写した。「うね」「しべ」はそれぞれ「畝」「蕊」という文字を使っていたと思われるが、当用漢字に無いからであろうか、ひらがなに変えられている。詩人は一語一語考え抜いて書くはずである。ひらがなに変えたのでは肌ざわりが変わってしまうと思う。読めないと思えば振り仮名をつけておけば良い。最も気になったのは「ちんちろ」である。文学講座でもらった資料には「ちろちろ」となっていた。「ちんちろ」はないだろうと思った。文学講座の資料にも何ヶ所か明らかな間違いがあるから確かなことはいえないが、「ちんちろ」では情景が浮かばない。「ちろちろ」なら「ちらほら」と花が咲いているさまが思い浮かぶ。原典に当たれば判るから、明日でも図書館に行って来よう。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )