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鹿児島の西郷隆盛の銅像

(鹿児島の西郷さんの銅像)

7月30、31日と鹿児島に出張した。30日、鹿児島の人と夜の会食の席で西郷隆盛の話になった。西郷さんの銅像と言えば東京上野の犬を連れた着流しの銅像が有名だが、あの犬はツンという名前だと鹿児島の人がいう。犬種は薩摩犬で牝犬だという。薩摩犬という犬種はあまり聞いたことが無い。犬の散歩をさせているのかと思ったが、猟犬を連れてうさぎ狩りに行く姿だという。肥満に悩んでいた西郷さんが運動をして肥満の克服をしたいと、度々うさぎ狩りに出かけたという話が残っている。

西郷さんの銅像は鹿児島にも二つある。一つは照国神社近くの軍服姿の銅像であり、もう一つは鹿児島空港近くの西郷公園に立つ羽織袴姿で腕を組む銅像である。

次の日、帰りの飛行機までに少し時間があったので、同行のK氏に了解を得て、西郷隆盛の銅像を見に照国神社に行ってみた。照国神社の御祭神は薩摩藩第十一代藩主の島津斉彬で、神号を照国大明神という。島津斉彬は薩摩藩の富国強兵に尽力し、西欧技術を積極的に取り入れて藩の近代化につとめた。また西郷隆盛や大久保利通など、藩の青年達に大きな影響を与え、明治の富国強兵や殖産興業政策を遂行する人材を育て上げた。

照国神社の右手の公園には、島津斉彬、島津久光、島津忠義の三公の銅像が建っていた。そして目的の西郷隆盛銅像は、道路一本表通りに、高い築山の上で左手に軍刀を提げて軍服姿で立っている。右手に持っているのは何だろう。畳んだ帽子のようにも見えるが。上野の西郷さんが武装解除した着流し姿なのに対して、鹿児島の西郷さんは今でも軍服姿で戦っているのは象徴的である。西南戦争に破れて自刃した西郷さんへの、鹿児島県人の思いが感じられて面白い。

前夜の会食で、静岡と鹿児島は共に敗北者としての共通点があって、感覚的に近いものを感じるのはそのためだと話した。静岡は家康のお膝元で、戊辰戦争で破れた徳川幕府が逃れてきた地であるし、鹿児島は西南戦争で破れた西郷隆盛の終焉の地である。そんな話をすると鹿児島の人達はやや鼻白む。彼らは西郷隆盛を自分達の英雄として称えながら、西南戦争の薩摩の敗北については認めたがらないようにみえる。西南戦争で勝利した中央政府を率いていたのは薩摩の大久保利通だから、薩摩が負けたことにはならないとでも言いたいようだ。
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