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羽衣白糸の滝とお萬の方像

(羽衣白糸の滝「雌滝」とお萬の方像)

「すず里の湯」で女房が出てくるのを待つ間、フロントの男性と話した。雨畑林道は井川までどの位掛かるかと聞くと、「行ったことはないが、話では3時間ぐらいという。ただ、現在通行止めになっていて、開通がいつになるか判らない。いつもは5月末に開通するのだが、開通が紅葉の季節になったこともある。その時は一ヶ月ほどでまたすぐに通行止めになった。」土砂崩れがあると、春になっても復旧に時間がかかるようだ。井川まで3時間というのは少し大げさであろう。井川経由で帰ろうとの思惑は外れた。

元の道を帰るなら少し時間が早い。早川町のパンフレットを見ていて、「七面山」の地名に注目した。地図ではここからそれほど遠くない。今、興味が増している「滝」もある。滝の近くまでは車も入れそうだ。かつて「七面山」は登山の対象として気になっていたが、今まで登る機会が無かった。温泉から出てきた女房に話して、立ち寄ることにした。

春木川に沿って遡った七面山登山口の羽衣集落には旅館や宿坊のような建物も何軒かあった。登り口の周囲はヒノキの巨木・大木の森であった。杉は樹齢300年位の巨木が何本かある。皮が剥がされて赤い幹肌を晒している大木はヒノキである。道路沿いの巨木・大木の直下に多くの車が駐車されていた。信仰登山が盛んなのであろうか。空いたところに駐車して、アーチ橋を渡ったすぐ右側に正面の岩壁から「羽衣白糸の滝・雌滝」が落ちていた。滝はすぐに本流の春木川に注いでいる。

滝の前に徳川家康の側室、お萬の方の銅像があった。どうしてお萬の方がこの滝と縁があるのであろう。誰しも疑問を懐くところだが、案内板が全く無かった。帰ってからネットで調べるしかない。

後日、ネットで調べたところ、お萬の方は家康の側室になって、二子をもうけた。それぞれ御三家の紀伊家、水戸家の祖となっている。水戸黄門様はお萬の方の孫になるようだ。お萬の方は熱心な日蓮宗の信徒で、1616年の家康の死後、髪を下ろし養珠院と号した。その後、七面山の麓の白糸の滝で水行され、それまで女人禁制であった七面山に登られた。以降、七面山の女人禁制は解かれることになる。

お萬の方の銅像はそんな功績を讃えたものであった。銅像のそばに小屋があり、
「白糸滝修行衣 貸し場所」と掲示されていた。希望者は白衣に着替え、滝修行が出来るようだ。この小屋の中で着替えをするのだろう。落差は35メートルもあるが、水量が程々で岩面を滑るように広がって落ちて、滝が優しい。中ほどには虹も見える。これなら素人でも滝修行が出来そうな雰囲気があった。


(白糸の滝「雄滝」)

「雄滝」は川に沿って5分ほど上流にあった。階段を上った弁天堂の脇から全貌が見られ、さらには滝つぼのそばまで降りることも出来る。落差は雌滝とそれほど違わないが、水量が多く勢いがあって滝行には向かないだろう。うっかりすると身体さら持って行かれそうな気がする。この滝も春木川の支流が本流に注ぐ地点で滝を成していた。
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