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「慶應四年日録/徳元」を読む 59

裏の畑のニラの花

台風接近で、今日の駿河古文書会は日延べになった。しかし、天気は上がり、台風は千葉県に大雨を降らして、御前崎沖で熱低になってしまったようだ。

おかげで今日は久しぶりに、しのぎやすい一日となり、クーラーが不要であった。秋が早く来てほしい。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  廿六日  晴れ
今朝、年寄伝左衛門殿よりも申し越し候義は、昨日庄兵衛殿、普請
見廻り候間、今日同人にて見廻り、明日見廻り致し候様、申し参り候間、
承知の旨、申し遣わし候。持廻りに付、出勤致し候処、助郷より咄し
これ有り候は、兼ねて御承知の割り増し割合方の義、一宿限り思し召しの処、
承知致すまでに候えども、一作不在に付、儀兵衛殿へも談示の上、
一作殿へ問い合わせ候て、挨拶相頼み候旨、新右衛門へ頼み、帰宅。
忠次郎よりも文通これ有り候義は、箱根の義も咄し程の義これ無き旨、
※ 文通(ぶんつう)➜ 文書で通信すること。
また沼津宿の義は残らず荷物など取り片付け、畳、床板までも取り外し候由。

  廿七日  晴れ、雷雨
昨夕刻、御支配高橋泰蔵様戻りの由に付出勤。当川除け目積り
(めづもり)
※ 目積り(めづもり)➜ 目で見て、大体の分量をはかること。目分量。
箇所帳差し上げ、御送り相済み、帰宅致し候。廿七日の義は川除け見廻り
致し候。大井堰(いせき)見廻り、当分助郷の義に付、早々宿助郷にて中泉まで
※ 井堰(いせき)➜ 水を他に引くために、土や木などで川水をせきとめた所。
罷り出るべき旨、郷宿へ仰せ渡され候旨、文通これ有り候処、川除け
見廻りに付、差し抜き相成らず候旨、申遣わし候。

(つづく)

読書:「暗闘七人 八丁堀「鬼彦組」組激闘篇」 鳥羽亮 著
読書:「寵臣 鬼役 二十三」 坂岡真 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 58

静岡城北公園近所のセンニンソウ

一昨日午前中、吉田の古本屋Tさんの倉庫へ行く。コロナなどで遠慮があって久し振りであった。何点かの古文書を写真に撮らせて頂いてきた。二年分のカンパも渡す。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

  廿四日  晴れ、曇り
昼後、御見分御出役、高橋様御越し、当町川除け、荒れ破れ御普請の処
御見分これ有り候処、箇所付帳、印紙(いんし)にて差し出し申すべき旨、
※ 印紙(いんし)➜ 自筆文書であること、または文書作成者の責任を明らかにするために署名捺印した書付をいう。
仰せこれ有り候て、御越しこれ有り。箱根宿にては、脱走方、官軍と戦争
これ有り候由。
川除け急務、見分の上、帰り道、先日野村氏よりも申し越され候義は、
※ 急務(きゅうむ)➜ 急いでしなければならない任務や仕事。
般、参州吉田宿へ裁判所御取り建てにて、諸事御取り扱いの由に付、
宿々にても、御伺いとして罷り出るべき由にて、相談致したき趣、
返し文の処、川支えにて、蒲原宿、由比宿出張(でば)りこれ無く、
※ 返し文(かえしぶみ)➜ 返事の手紙。返書。
これにより見合わせ居り候処、蒲原出張り致し、待ち受け居り候趣に付、
出勤面会致し、何れ由比宿出張り次第、同道にて当宿も罷り出で候積り。

  廿五日  晴れ
昨日夕刻、箱根戦争の上、脱走方小田原人数
(にんず)ども、追々三島宿へ
※ 人数(にんず)➜ ある条件にかなう人々。ある集団の構成員。メンバー。
入り込みに相成り候て、殊の外大騒ぎと相成り、沼津宿の義は、
人馬継ぎ立て、御休泊なども賄(まかな)い候は、更にこれ無く、両見付とも
締め切り候由。これにより右の段、御通行諸家方へ申し上げくれ候様、
廻し文に付、その模様聞きとして、忠二郎差遣わし候。
※ 廻し文(まわしぶみ)➜ 複数の人に順に回して知らせるようにした手紙や通知。回状。
廿五日の義は、焼山(ひのき)抜き伐(き)り致し候。
(つづく)

読書:「修羅の鬼 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「若の恋 取次屋栄三」 岡本さとる 著
読書:「冬椋鳥 素浪人稼業 15」 藤井邦夫 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 57

静岡城北公園のサルスベリの花(9月1日)

金曜日、駿河古文書会で静岡に行った。城北公園は今、サルスベリの花盛りであった。

原発の処理水放出について、中国は、科学的根拠を無視して、日本からの水産物の輸入禁止の策に打って出た。日本も対抗策をとの意見もあるが、それでは日本も中国と同じレベルに落ちることになる。ここはじっと我慢して、輸入減分は国内で消費する方向にもっていくべきである。情報を知らされていない中国国民も、いずれ自分たちの主張が、世界常識からいかにかけ離れているか、気づくはずである。自分もこの所、マーケットで食肉を減らして、海産物を買うように心がけている。全国民が1000円余分に買えば、1000億円の消費になる。ここは一時、海産物消費のキャンペーンを起こすべきだと思う。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

  廿一日  曇り、晴れ、雨
上河原へ、小牛水刎組入、見廻り長通井請の者の所、弐拾弐人にて取り極め、
八木間村役人へ相談致し、大川除(かわよけ)見論(目論見)相談、治定(じじょう)
致し候。当町川除繕(つくろい)見積り、当年の義、八木間村前より川尻まで、
※ 治定(じじょう)➜ 物事にきまりがつくこと。落着すること。
何れも本瀬筋、付け寄り大普請の処、壱ヶ年限り、所金行き届かず候間、
先ず普請は致し候て、右入用取り立ての義は追って致すべく、年々に
割り合い、取り立て致し候心組(こころぐみ)にて、余義なき場所、普請目論
※ 心組(こころぐみ)➜ 心づもりをすること。心がまえ。胸算用。
致す。凡そ惣体百五拾金にも相成るべきやに候。

  廿二日  大雨
休息。昼後より出勤。人馬役の者、長々川支えに付、難渋、願いに付、
今般相談の上、合力致し遣わす。但し、馬壱疋、弐貫文づゝ、宿人足壱人
五百文づゝ、部屋人足は十日分、焚き出し差し遣し候積り。

  廿三日  晴れ
御支配高橋泰蔵様、御越しの御触れこれ有り。これは川除、その外、水荒れ
御見分として御越しの処、一昨日御越し相成り候。佐土原藩の官軍、蒲原まで
相越し候処、沼津宿辺りより脱走の人にて、大騒ぎ出来(しゅったい)
既に箱根宿などの焼失にて、小田原なども敗軍にて、とても箱根の通行は
相成らざる趣に付、引き返し、清水より乗船、東行の様子に候えども、
不案内に付、右御見分御出役へ、達って御頼みに付、今日、清水へ
罷り越し候て、直(ただち)に御引き返しにて、御見分これ有り候由。
三夜待ち致し、大酔(たいすい)
※ 三夜待ち(さんやまち)➜ 陰暦二十三夜の月待行事。二十三日の夜に、
社寺の籠り堂や、当番の家に集まり、念仏を唱え、歌い騒いだり、
餠をついたりして、月の出を待つもの。
※ 大酔(たいすい)➜ ひどく酒に酔うこと。
(つづく)

読書:「あやめ咲く おっとり聖四郎事件控 3」 井川香四郎 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 56

庭のガーベラ姉妹

暑すぎる八月も終る。この一月、自分は冷房を遠慮なく効かした部屋で、江戸時代三昧の日々を過ごして来た。ブログの「慶應四年日録」以外に、午前中は江戸中期、駿府商家の隠居が記した「硯屋日記」を解読して過ごした。もちろん、それ以外にも読まなければならない古文書も多数ある。昼寝の後は「鬼平犯科帳」や「雲霧仁左衛門」など、テレビ時代劇のビデオ鑑賞を専らにする。就寝前には、当ブログの最後に読了書として挙げる時代小説を、一晩か二晩で一冊のペースで読んでいる。年間200冊以上、主に文庫本だが、図書館利用でふところはまったく痛まない。

江戸時代の世界には、何もしがらみがない。人の生き死にを読みながら、気に病むことも何もない。登場人物も、死者も皆んな死んだ人である。コロナも、円安も、ウクライナも、原発の排水も、熱中症も、思いなやむことは何もない。知れば知る程、江戸時代は楽しい。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  十五日  雨
昨日、当所寺院中、永々
(ながなが)の大雨に付、明十五日より三日の間、
祈祷致したく、これによりその段相届け候旨、会所へ申し出候間、その段
持ち廻り、参り候間、右取り計い向きの義は、一作殿へ頼み遣わし候処、
壱町、三、四人づゝ呼び立て、右の次第申し聞き、町内へもそれぞれ
行渡り候様、申し聞き候間、右の者ども、今日寺院へ出で候由。
諸瓦不足に付、当春、五郎兵衛殿よりも、弐拾四枚借り候処、今日、新瓦にて
相返し申し候。

  十六日  晴れ、曇り、雨
休息。

  十七日  曇り、雨
長通井見分致す。奥津川端、越し場見分。

  十八日  雨
右越し場の処、先ず川瀬の処も相分らず候間、当分は先ず、畑損じざる様
致し、越え立ての積り。もっとも、地主松蔵参り候に付、治三郎へ談ず。
弥増(いやまし)大雨に付、見合わせの由。
※ 弥増(いやまし)➜ ますますもっと。さらにいっそう。

  十九日  大雨
川、出水見廻り。

  廿日  雨曇晴
昨夜より引続き大雨にて、殊の外の大水。同役とも一同出張
(でば)り致す。
あおり致す。もっとも、追々田畑欠所出来(しゅったい)に付、右様致す。
※ あおり ➜ 暴風のこと。
※ 欠所(けっしょ)➜ 欠けているところ。 
また昼後より水刎
(みずは)ね、小組み入れ。
※ 水刎ね(みずはね)➜ 杭、蛇籠、石塊などを用いて、河川が河川敷の中で蛇行したり流路を変えたりしないように河岸から河身に設けた工作物。
※ 牛(うし)➜ 水防用の聖牛(ひじりうし)のこと。
(つづく)

読書:「茶葉 交代寄合伊那衆異聞 19」 佐伯泰英 著
読書:「高楊枝 素浪人稼業 14」 藤井邦夫 著
読書:「がんこ煙管 取次屋栄三」 岡本さとる 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 55

庭のムラサキシキブの実

7月初め、庭のムラサキシキブの花

昨日朝、サイレンと共に、地区の防災訓練。集合場所は班のゴミステーション前、日差しが強く、隣りの農協の建屋の陰に集まった。廻りに見知らぬ人がいっぱいである。コロナの数年、数ある行事も中止、班で集まることもなくて、その間に多くの隣人が亡くなったり、引っ越したりして、多くの家で代替わりしてしまった。高齢で出て来なくなった人も何人かいて、まるで浦島太郎状態であった。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

  十日  曇り、雨
昨日、帰路の砌り、林助へ逢う。今般、出役の始末相咄す。宿地方
(じがた)
除地(よけち)書き上げの処、相違これ有る段、御掛り高橋泰蔵様よりも
仰せ渡され候間、早速旧記取り調べ、書き上ぐべき旨の処、帰路の砌り、
利助へ談じ、八日の出役中、今般増助、甲国村々より戻り候処、何れも
申し分これ有り候処、助郷惣代へ見させ、粗(あらあら)写しの上、
宿為吉殿へ頼み、高橋様へ返上の積り。今般、往還橋積みの処、
御下げ金の義にて、横砂村より利助を以って、問い合わせこれ有り候。
弐拾両ばかりの処、八分通り、右御時節、御下げ金頂戴致し候と存じ候旨、
答え遣わし申すべく旨、申し置き候。

  十一日  雨
昨日、今般出役の義、問屋、年寄両人もの積りの処、官軍御米遣い残り
取り調べ、書き上ぐべき旨、仰せ渡され候処、右義も拙者掛りに
これ無く候間、相分らず。これに依り右書き上げに付、儀兵衛殿、
並び林助殿、両人にて、出役相頼みたき旨、一作殿へ頼み遣わし候処、
同人よりも申し遣わし候やにて、昨日林助出役。
農日待致し候。

  十二日  大雨
休息。川除け見廻り出づ。

  十三日  大雨
休息。風来部屋人足、先日も願い出候処、合力差し遣わさず候間、
今日願い出で候に付、八百文差し遣わし候由。

  十四日  大雨
昼後、会所出勤致し候処、昨年中、人馬立て辻、仕訳勘定致し候間、立会う。
弁当をもって、奥津川満水に付、川見廻りに三人にて出づ。
(つづく)

読書:「隙間風 素浪人稼業 13」 藤井邦夫 著
読書:「宿敵 鬼役 二十二」 坂岡真 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 54

裏の畑の二本目の渋柿が実を付けた

一本目の渋柿も昨年に続いて実を付けた
二本目の渋柿は、一本目よりスマート

車のアクアのバッテリーの調子が悪く、走行中にエンジンが止まってしまう状況が頻発。今日、修理に出したが、藤枝の修理工場までアクアを持ち込むように云われ、エンジン停止、再起動を繰り返しながら運んだ。やばいと思い、バイパスには乗らずに、下道を行った。エンジンが止まること、四、五回発生。何とか到着。こんな怖い思いをするなら、JAFに頼めば良かったと後悔する。HVのメインのバッテリー廻りの交換を言われて、再び恐怖! 修理には一週間かかると聞き、代車を借りて帰った。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  七日  坤(ひつじさる)風、晴れ、雨、不斉(ふぞろ)
久兵衛殿出府に付、御書付の義に付、御昼後、五ヶ宿罷り出で候処、
仰せられ候者、兼ねて申し渡し候、人馬割増賃銭の義、宿助郷割合の処、
助郷方難渋の趣申し立て候処、右は種々利解申し聞き候えども、強いて
宿方へ右の段御呼び出しの上、助郷の申し分御申し聞き下され度段、
申し立つ。殊に願書の義も、助郷、皆な請け取りなどと申し候義も
これ有り候て、助郷方にては、御請け印形出来難き旨にこれ有れば、
先前(さきまえ)割り合い仕出し、宿方相違の義もこれ有り候旨、
これを申し候間、その段、篤(とく)と取り調べ、助郷へ談判仕り候様、
致すべき旨の処、何(いず)れ評議の上、可不可(かふか)の旨にて、引き取り
相談仕り候処、助郷方にても、割合の義、先前の壱割の処は、少々ずつ
宿毎異同もこれ有り候処、今般仰せ渡されの義は、伺い濟みの義に候わば、
役人どもにて、私に談示など仕り候次第これ無き処、助郷方にても、
三島より相寄り候由に候間、宿方も組合集会然るべき旨、評決致し候。
丹平方にて衆議、廻状認(したた)む。

  八日  大雨
右の次第に付、十四
(日)まで御日延べ、願書当宿方にても差し上げ、
魚萬方にて衆議。

  九日  晴れ、夜雨
助郷方よりも、一応談示致したき旨に付、一同相寄り、談示仕り候処、
何れにも組合、宿へ廻状も差し出し候上は、この上如何(いかん)とも
私ども限りにて、かれこれの義、申し上げ難き段にて、何れ衆議の上と
申し相別れ候。もっとも宿方の義、十日夕刻までには、一同相寄り候
積りにて、仕立て飛脚を以って、昨暁、廻状差し出し候。夕刻帰宿。
(つづく)

読書:「不忠 鬼役 二十一」 坂岡真 著
読書:「夜叉姫 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「情けの露 おっとり聖四郎事件控 2」 井川香四郎 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 53

酷暑、中休み
久しぶりの雨に庭の木々も息を付く

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  四日  雨
出勤。川支えに付、歩行(かち)方賄い難義の義、何れ相談の上、取り計らい
に付、申さず候ては相成らざる旨に付、勘定立て致さず引き取る。

  五日  雨、坤(ひつじさる)風、曇り
今般、割り増し割合方の義に付、助郷惣代ども難渋の趣、申し立て候に付、
談義これ有り候間、明六日罷り出づ旨、昨日御書付の処、同勤何れも差し合い
これ有り候に付、出府致し候積り。
横砂惣兵衛殿へ出づ。

  六日  雨、曇り
早朝出府。丹平へ出で、野村並び、府中宿清右衛門、丸子宿四平殿へ逢う。
蒲原宿、罷り出でず候間、御役所への着到の人のみ申し上げ置く。一同相揃い
候上、罷り出で候旨、申し上げ置き候。
土太夫町米屋弥七殿へ鰻飯の之馳走に成。新聞紙十一号より二十二号まで、
借り受け披見(ひけん)致す。
(つづく)

読書:「開帳師 素浪人稼業 12」 藤井邦夫 著
読書:「取次屋栄三」 岡本さとる 著
読書:「おっとり聖四郎事件控 1」 井川香四郎 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 52

今夕、山火事のような夕焼け
マグロをまとう、我が家特製ばら寿司

マーケットでマグロが割安だったので、残り飯と「すし太郎」でばら寿司にして、かんぴょう、かまぼこ、高野豆腐を細かく刻んで加えて混ぜ、海苔、きんし卵、紅ショウガを載せ、わさび醤油を付けたマグロで表面を覆ったもの。簡単だが、中々美味い。

午前中、金谷郷土史研究会。今日は講演で、金谷宿観光ボランティオアの植野修氏の、映像を使った金谷宿案内であった。金谷と金谷河原の郷蔵が、洪水を避けて、金谷小近くの山際に並んであったことなど、幾つか初めて知る話が聞けた。

今日は静岡県の県民の日だという。明治9年8月21日に、それまでの静岡県と浜松県が合併し、ほぼ現在の姿の静岡県が成立したことにちなんで制定されたのであるが、県民のほとんど誰も知らないのはどういうわけか。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  廿九日  雨
在宅。土蔵中、雑作見廻り、差図致す。弐分判、歩増の様子。
※ 弐分判(にぶばん)➜ 弐分金とも呼ぶ。江戸時代に流通した金貨の一種。形状は長方形短冊状。額面は二分であり、その貨幣価値は二分の一両、また八朱に等しい。
もっとも安政度吹き立ての分、百両に付百六拾両余の由。会所詰め合い、
一作殿よりも申し越し候間、右賄い預り金これ有り候分、取り調べ書
遣わし候。宿賄い金の内、弐分判七拾八両、弐朱金四両弐分。官軍賄いの内、
※ 弐朱金(にしゅきん)➜ 二朱判ともいう。江戸時代に流通した金貨の一種。形状は長方形短冊状。額面は二朱であり、その貨幣価値は八分の一両、また二分の一分に相当する。
弐分判三拾七両、弐朱金三分。右の通り、預り有り金に候。外ならぬ
金の義に付、後日かれこれと心得違いの義、これ有り候ても宜しからず
候間、右相改め候旨、申し遣わし置き候。

  五月朔日  雨
在宅。雑作見廻り。

  二日  雨、雷鳴
右同断、差図。

  三日  曇り
廿六日より廿九
(日)まで、儀兵衛殿当番にて、取り調べ致し候処、林助義も
出府仕り候間、朔日(ついたち)よりの処、相勤め調べ致しくれ候様、
申し越し候間、承知致し候旨、申し答え、夕刻出勤。林助義も帰宿。
同道にて一作方へ出づ。当節、風聞書見請け候。
(つづく)

読書:「南町奉行と首切り床屋 耳袋秘帖」 風野真知雄 著
読書:「狼虎の剣 八丁堀「鬼彦組」組激闘篇」 鳥羽亮 著
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「慶應四年日録/徳元」を読む 51

裏の畑のタカサゴユリ
我が物顔に繁茂するけれど
次々に場所を移ってゆくらしいから
来年は無いかもしれない

明日、金谷宿の「古文書に親しむ」2講座の準備に追われる。

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「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。 

  廿三日  曇り、雨
書見致す。

  廿四日  曇り、霢霂(みゃくもく)、晴れ
※ 霢霂(みゃくもく)➜ 小雨。霧のような細かい雨。
昼後より、ちょっと出勤。助郷渡し金の処。些
(いささ)か見合わせの積り。
賄い金数、調べ、一作、儀兵衛、見させ申し候。

  廿五日  雨
蔵中裏板、その外見廻り。

  廿六日  晴れ
番茶摘み致す。

  廿七日  雨
書見「常山紀談」。昼後出勤。当番の処、談
(常山紀談)相持ち候やと存じ、
※ 常山紀談(じょうざんきだん)➜ 儒学者の湯浅常山によって書かれた、戦国時代(天文・永禄年間)から江戸時代初期までの武将たちの逸話を集めた随筆的な軍談書である。
罷り出で候処、儀兵衛殿当番、持ち候由に付、引き取る。

  廿八日  晴雨、氣候不斉(ふせい)
※ 不斉(ふせい)➜ そろわないこと。
昨日、又兵衛殿出府、用の義、今般、御朱印除地
(じょち)、その外取り調べ、
差し出すべき旨に付、御触れに付、当町龍興寺、奥禅寺除地、書き上げ、
畑米代返納の義、下げ渡し候旨、惣代よりも申し越し候間、右金弐分と
百拾三文、伝左衛門殿よりも持たせ遣わされ候。当時、定免年季明けの
処、仰せ渡され候は、当辰壱ヶ年限り、昨卯年振り合いを以って取り立て
候間、その旨相心得べき旨、仰せ渡され候由。
昼前、山見廻り。桧苗木植替え。
(つづく)
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「慶應四年日録/徳元」を読む 50



季節外れの庭のコブシの花
この暑さと台風を潜り抜けて
何をとち狂ったか、コブシの花が狂い咲き
それも一、二輪ではなく、蕾を合わせて二十輪以上

「慶應四年日録/徳元」の解読を続ける。

  廿日  曇り、雨
太政官日誌、書き写し致す。

  廿一日  晴れ
土蔵見廻り。弥作殿弟一同着の由に付、廟参
(びょうさん)として、在所
※ 廟参(びょうさん)➜ 墓参り。
土太夫町へ相返す。もっとも、太政官日誌返却。中外の義は、今少々の
間、借用致したき旨、申し遣わし候。洞一条に付、弥七郎殿へ出ず。夕飯の
馳走に相成り候。

  廿二日  晴れ
先達て、洞村片付
(かたづけ)一条、出張の節、清地村平右衛門殿方借用へ、
差し向け候分、七拾四両、拙者預り候処、弟五兵衛殿参り、岩渕、今日、
右方へ出張り致し候積りにて、参り候間、渡しくれ候様申し参り候間、
相渡し遣わし候。
昨日、洞一条、弥七郎殿にて、それこれ心配致しくれ、伝左衛門殿へ談じ、
三通の義、委(くわ)しく書き取り、横砂権左衛門殿へ申し遣わす。
(つづく)

読書:「親子剣躍る 新剣客同心親子舟 2」 鳥羽亮 著
読書:「丑の刻参り 三人佐平次捕物帳」 小杉健治 著
読書:「再会 交代寄合伊那衆異聞 18」 佐伯泰英 著
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