再開 私の色

 私の人生観を述べてみます

再開 私の色(982)

2011-05-31 08:04:37 | Weblog
 5月28、29日(2011年)の神戸で、カウンセラー仲間との再会で、各個人の状況は厳しいものだ。中でも、離婚を予想させる40代の女性の話は深刻だった。

 彼女は夫にはしっかりと尽くしてきたが、それが夫には十分理解されていない。20年以上の結婚生活は、夫の過剰な仕事で、夫婦との共有の時間は少なかったという。彼女は、離婚を考えながら、経済的にも自立できるように、介護の資格を取り、自活できる計画をたて、ほぼ達成した。ただ、いざ、離婚となると、迷いがあるという。

 私にはそのことについて、助言はできない。後は、彼女が決めることだ。

 夫婦関係を維持するのは、やはり厳しいものだと思う。我慢するにも限界がある。どうであろうか。子供、両親、その他の世間のしがらみで結婚生活を維持することは、はっきりといって、「辛い」ことではないか。我慢に我慢を重ねる。うーむ。そういう結婚生活はだれもしたくないであろう。

 米国などでは、愛情がなくなれば、簡単に離婚する。それが良いのか、悪いか、分からないが、一つの考え方なのであろう。

 お互いが憎しみあって暮らす結婚生活は苦痛だ。我慢だけの生活も辛い。結局は、当事者同士が判断するしかない。

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再開 私の色(981)

2011-05-30 08:38:48 | Weblog
 最近、カウンセリングの基礎を教えてくれた65歳の女性カウンセラーと話しあった。
 テーマ「老い」。彼女は、老いを認めたくない、という立場で、私は老いについては、自然に受け入れていく、というものだ。

 彼女は、自分の子供から「老い」のふるまいを指摘され、「ショック」を受けたという。プライドが高い女性かな、と思うが、そうではなく、老いについての考えかたに、彼女のこだわりがあることが分かる。

 その女性は、家にいるタイプではなく、社会と積極的にかかわるのが好きで、困った人、悩んでいる人たちを支援するのが好きだ。老いについては、次回会うまで考えてみよう、ということになった。

 老いは恐れることはない。ただ、元気なうちから死の準備をしていくべきだ。人はいつ死ぬか、分からない。だから、生きている時間を懸命に生きることが大切ではないだろうか、と私は考える。

 死を考えることにより、生きる意味を探りどういう生き方がふさわしいかを模索してみる。悔いのない日々をおくりたいものだが、それは、意識しないとできないだろう。多少意識することで、1日が随分違う。

 老いや死を考えながら、よりよき人生とは何かを考え、自分なりに実践していきたい。

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再開 私の色(980)

2011-05-29 19:09:23 | Weblog
 2011年5月28、29の両日、神戸市内で、カウンセリングの学習会があった。4年間学んだ仲間たちとの久しぶりの再会はうれしいものだ。

 学習会で、60代の男性カウンセラーは2年ほど40代のうつの男性についてのカウンセリングを説明。約50回のカウンセリングで、ようやく立ち直り、出張ができるまで回復したという。当初、出社ができず、しばらく様子を見ながら、粘り強くカウンセリングをしていくうちに、回復傾向を示し、もうカウンセリングが必要ないほど、回復してきた。

 50回のカウンセリングは長いが、それだけ、うつなどの心の病をもっている人には必要で、早急な結果を出すのではなく、じっくりとやっていく必要がある。クライエントの意識の変化、生きる希望などに重視しながら、カウンセリングを進める必要がある。

 私は今、電話のカウンセリングを中心にしているが、そのカウンセリングも難しい。いろいろな事例研究を通して、がんばっているところだ。ただ、相談内容は多義にわたるため、私は日々のニュースをはじめ、知人たちらとの情報交換を大切にしている。

 今、私に必要なことは今まで以上に経験をつみ、研究することだ。

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再開 私の色(979)

2011-05-28 09:08:29 | Weblog
 この世に生きていて、「事実」が事実でなくなる場合には閉口する。一つの事実があり、それをどう解釈するか、10人いれば、10人とも異なる事実が誕生する。

 特に、ある事実に関係し、そこから利益を得ようとする者は、事実をまげてしまう場合もある。なぜ、そこまで事実を歪曲するのか、と不思議だ。勝手に事実を、自分の都合のようにしてしまうケースは多い。

 「事実」が、いろいろな人の解釈によって、事実らしい事実が、いくつもできてしまう。本来の事実がとんでもない結果になることもある。

 極端に言えば、権力の都合のよいように事実がひん曲がってしまうこともある。
 事実のために徹底的にたたかった場合、死もある。特高による拷問がその例である。

 今回の東日本大震災で、トラブルとなっている東京電力の原子力発電所の問題は、事実がどこにあるのか疑いを持つ。東電側の発表がころころ変わるからだ。事実を隠蔽しようとし、どんどん「ウソ」をついていると思われてもしかたがない。

 いつの時代であれ、「事実」をしっかりと、自分の頭でとらえることが重要だ。


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再開 私の色(978)

2011-05-27 09:33:28 | Weblog
 東日本大震災で被災した人たちのための全国の募金箱が盗まれている、というニュースを知って驚くとともに怒りがわいてきた。

 盗む人間の心理はどうなっているのだろうか。窃盗容疑でつかまった大学生らは「遊ぶ金がほしかった」、また少年は「募金箱が固定されていないので、盗もうと思った」という。

 募金の意味が分かっていないのか、分かっていても、自分の私利私欲が優先してしまうのだろうか。人間として、人のものを盗まないということは基本的なことだ。それができない人が増えている。

 殺人にしても最近は、残忍な手口が多く、心理的に屈折している人が目立ってきた。社会と人間の心理を考えると、日本は、経済発展は進んでだが、格差社会ができ、貧富の差が出てきた。精神的な貧しさが顕著になっている。無縁社会ということばがはやるように、人と人との関係がますます希薄になり、結局「自分さえよければいい」という風潮が強くなっている。

 今の日本は表層上、平和にみえるが、個々の人たちの関係をみると不安定だ。経済的なことは大切であるが、先ず、人と人との関係を正しくしたい。人間関係がバラバラであれば、社会は成立しなくなってしまう。犯罪は増え、社会不安も高くなる。

 先ず、物事の是々非々を明確にすることだ。それにしても道徳観はどうなってしまったのだろうか。

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再開 私の色(977)

2011-05-26 10:08:20 | Weblog
 最近「自分の運命を引き受ける」と、いう言葉を聞いて、確かにそうだ、と思った。運命をどう定義し、範囲をどこまでにするかで、受け入れも異なるが、素直に受け入れるには時間がかかるだろう。

 例として、幸せな結婚生活をしていて、小さな子供が病死するとか、両親がガンで病死するとか、自分の夫が交通事故死したとか、いろいろな運命がある。それを、しっかりとうけとめてみてはどうか、とするのが「論語」だ。

 人生は、自分の思うようにはいかない。2011年3月11日、東北・関東地区で起こった地震・津波で、現在まで(5月25日)、1万5000人以上の人がなくなり、生存者の中には、両親、親戚、自分の家族、、しかも家屋、財産などをなくした人がいる。それらをすべて受け入れよ、といわれても当事者にとっては、なかなか複雑な心境であろう。いや、受け入れられないのが本音だと思う。

 しかし、どのような運命であれ、「生きる」ことが求められる。希望をなくし、死にたい、という気持ちも分かる。絶望しても、とにかく生きることだ。それはつらいことでもあるが、与えられた命を大切にしたい。なくなった人のためにも、生きることだ。

 運命に翻弄されたとしても、命を大切にしたい。

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再開 私の色(976)

2011-05-25 09:15:44 | Weblog
 昨日(2011年5月24日)の夜9時半ごろ、電車に乗ったら塾帰りらしき小学生5、6年生の男児3人乗り込んできて、携帯電話をしながら、騒いでいた。注意しようかな、としばらく見ていると、自分自身の小学生時代のことを思い出した。

 その3人は電車の中で、息抜きをしているのだろう、と思った。子供はどのような場所でも、結構環境には柔軟だし、電車の中であれどこでも自分勝手な姿が出るもんだ。

 電車などの公共の場で騒ぐのはいただけないが、まあ許容の範囲だ。問題は、塾など遅くまで時間が拘束? されることだ。しかし、彼らにはそれが楽しみかもしれない。

 私が子供のころは、授業後は校庭で、友達らと遊んでいた。今の学校は、いろいろと管理されて、帰宅時間が決まっている。誘拐事件もあり、大変な時代ともいえる。

 ただ、子供たちの将来を考えると、今の状況ではどうかなあ、と思う。もっと、自然とふれあう時間や、友達と遊べる時間などを確保すべきだろう。勉強ばかりしている子供は「ばか」になるという、英語のことわざもあるが。どうであろうか。
 

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再開 私の色(975)

2011-05-24 09:42:42 | Weblog
 以前、ともに仕事をした仲間を思い出す機会があった。その人物を、たまたま駅のプラットホームで見かけたからだ。双方が帰宅時であったため、声をかけることはなかったが、ともに働いた日々を思い出し、懐かしかった。

 今は、大企業であれ、永遠の存続が難しい時代となった。経営者の交代で、企業は倒産する場合もある。社員も寄らば大樹の陰では、自分の意思で生きているとは思えない。いつも自己責任をしっかりと持つことが重要だ。

 組織の中で、いかに自分をいかしていくか。それを思いながら、懸命にがんばっている人は多いが、大半は転職するなり、独立した仲間が多い。

 チームワークは大切だと思うが、いつかは限界がある。個々のエゴをどう調節していくか。なかなか難しいものだ。

 組織で働くことは、いろいろな面で勉強になる。いったんそういう場で働き、新しい道を模索するのも悪くはない。

 仕事仲間が、いろいろな道に進み、がんばってほしいと願うばかりだ。

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再開 私の色(974)

2011-05-23 08:00:55 | Weblog
 日本では、貧困の差が目立ち、格差の時代といわれる今、それは結構深刻に感じる。私がよく知っている企業は、創業60年以上の歴史があるが、時代の流れに乗れず、2011年1月に廃業、40人以上の従業員が路頭に迷う結果となった。

 半面、年収が半分以下になり、生活を切り詰めがんばっている50代の男性もいる。貯金もそれほどなく、独身で、きわめて地味な生活をしながら生きている。読書などが趣味で、なかなかの知的な人。ボランティアもしているなど、自分の人生をしっかりと楽しんでいる人だ。

 私自身はといえば、精神的には恵まれ、経済的には苦労している。ただ、健康で日々を懸命に生きることができれば、「良し」としている。それ以上を求めない。自分なりの「足りるを知る」ということか。

 あれもこれも、と欲を出すと、ひずみができる。そして大切なモノを失う。欲を余りださず、感謝の気持ちをもって、日々人のために生きることができれば、最高だと、私は思う。

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再開 私の色(973)

2011-05-22 09:54:25 | Weblog
 2011年5月4日に、JR大阪駅にJR大阪三越伊勢丹の百貨店や専門店が開店した。大阪駅周辺には、阪急をはじめ、大丸など大手百貨店があり、新しい店の開店で、消費者は選択する幅が広がり、買い物の楽しみが増したのだろうか。

 私自身の個人的なことを言えば、百貨店は、中元や歳暮などギフトを贈る時、よく利用していた。しかし、経済的なことがあり、値段についていけず断念し、ほかの店を使うことになった。

 百貨店の商品を見ると、確かに良品だと思うが、価格が高く購入には勇気が入った。今は、せいぜい年に1、2度中元・歳暮などで利用する程度だ。

 子供のころ、百貨店に行くのが楽しみだった。特に大食堂で、カレーライスなどを食べたものだ。また、バーゲンの時もよく利用した。

 今の百貨店を見ると、やはり特長がほとんどなく、百貨店が責任をもって売買していない売り場が多いということ。つまり、「百貨店は場所貸し」。その傾向は現在まで続き、大変なのは、テナントで入っている店だ。

 今求められているのは、百貨店の再定義をし、再構築することが重要だ。どう特長をだすか、それが、決め手になるのではないか、と思う。夢を提供する百貨店を期待したい。


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再開 私の色(972)

2011-05-21 09:13:54 | Weblog
 2011年5月21日午後、中学3年生の女の子が万引きをして、警察の事情聴取にたまたま立ち会った。

 女子の態度は、全然罪を犯したという認識はなかった。共犯もいたが、その女の子は逃走。盗んだのは、目薬など4000円程度。万引きが窃盗罪ということを知らないこともあり、遊び感覚で商品を盗んだようだ。そのことは常習で万引きしている男児の小学生のグループも同様で、親たちが、万引きについて、「悪」ということを教えていない。

 また、学校の指導も弱く、万引きなどについて何も教えていない。普通、人のものを盗むとは考えられないが、現実は「蔓延」しているといっても誤りではない。学習のほか、人間的な「道徳」を教えるべきだ。

 子供たちが、簡単に平気で、窃盗をすることは許されない。なぜ、するのか? いかなる事情であれ、窃盗罪は許されない。警察、店舗、学校などが連携して、防いでいくしかない。懲役10年、罰金50万円の数値をどう考えるのか。

 人間として基本的なことを教えること。困るのは、親たちの「モラル」が低く、打つ手がない場合も多い。しかし小さい犯罪は、大きくならないようにしていくことが重要だ。

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再開 私の色(971)

2011-05-20 09:22:53 | Weblog
 カウンセリングをしていて、「うつ」の人と話すことが多い。

 うつについて、「かとうクリック」のカウンセラーの古市俊郎さんの公開講座から、要点をまとめてみた。
 うつは、①だれにもかかりやすい病気②気づきにくい病気③自殺の恐れがあるということ。

 うつにならないようにするためには、「ストレス対策。いかに日常生活でストレスをためず、うまく解消していくかがポイント」という。

 うつの症状は、自分で感じるものとして、「憂うつ、気分が重い、気分が沈む、悲しい、いらいらする、元気がない、眠れない、集中力がない、好きなこともやりたくない、細かいことが気になる、大事なことを先送りにする、物事を悪いほうへ考える、決断が下せない、自分を責める、死にたくなる」など。

 周囲からみてわかる症状として、「表情が暗い、反応が遅い、人と会うのを嫌がる、スポーツや外出をしなくなる、遅刻・早退・欠勤が増える、落ち着きがない、涙もろい、小声になる、酒量が増える」など。

 身体に出る症状として、「食欲がない、便秘しやすい、だるい、疲れやすい、性欲がない、頭痛、どうき、のどが渇く、胃の不快感」など。

 うつ病の治療としては、生活面では、①休憩すること。休憩し、十分な睡眠をとること②薬物療法。つまり薬による治療③考え方や行動、認知の仕方などを見直す。社会面では、家族の支えや周囲のサポートが必要。

 家族や周囲は、うつになっている人に対して、「あわてない」「あせらず」「あきらめず」で接する。

 うつは、内にこもった病気で、不安を見逃さないこと。不安の解消も重要。

 うつで一番困るのは、自殺。うつの回復時に特に注意が必要とされる。
 うつは、必ず治る病気であることをよく理解しておくこと。

 私の経験でいうと、うつで、自殺をしたいというクライエントは多いが、カウンセラーと話すだけで、随分落ち着く。うつになるのは、きっかけや時間の経過があり、時間をかけて、ともにうつの人の心を見直すことが大切だ。そして、うつは、必ず治る、という強い気持ちを双方が持ち、治療にあたることが重要だ、と私は考えている。

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再開 私の色(970)

2011-05-19 07:49:07 | Weblog
 今日(2011年5月18日)午前中、近くの公園にでかけ、1時間ほど散歩した。晴天で、太陽からの光がまぶしく、目が痛いくらいだった。ただ、木陰に入ると、涼しい風が気持ちよかった。また、多くの幼稚園児がハイキングにきていた。

 木々を見ると生命力のある葉をつけ、いきいきとしている。この公園には、1年を通して木々などを観察しているが、人工の小さな池の水がよくかれる。そのたびに公園職員が、水を入れるが、やはり人工の池では限界があるようだ。

 小鳥たちも元気で、懸念するのは毎年「カラス」や「はと」「野良猫」などが増えている。それらは、来園者がえさを与えるのが要因の一つになっている。

 公園ができて30年以上が経つが、木々をみると、温暖化・酸性雨などのためか、枯れる木もある。公園を散歩している人や自転車などで走行している人の中には、タバコをすっている人もあり、やめてほしいと思う。公園内での喫煙を法律で禁止するしかないかもしれない。

 身近で自然にふれることができる公園を大切にしたいものだ。人間のエゴで、公園を汚したくない。

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再開 私の色(969)

2011-05-18 09:35:01 | Weblog
 今年2011年1月のサッカーのアジアカップ大会で、豪州に勝利したビデオを見て、李忠成(りただなり)選手のボレーシュートのすばらしさに感動した。

 李選手は在日4世で、韓国籍から日本選手としてオリンピックなどの国際試合に出るため、「帰化」した。「日本で生まれ、死んでいくだろう。日本人としてサッカーをしたい」と李選手のコメント。

 李選手の生き方は、在日をはじめ、日本人にいろいろな示唆を与える。
 私が思ったのは、サッカーにかける情熱のすばらしさ、そして多様な人間を大切にした国籍をこえた幅広い考え方だ。

 今でも、日本では、韓国・朝鮮という国に対して偏見は強い。日本が朝鮮半島を攻め、植民地化したことなど、ひどいことをしてきた事実は消し去ることはできない。

 重要なのは、そういう事実を踏まえ、新しい日韓朝を組み立てることにある。仲良くつきあっていくために努力することが不可欠だ。

 李選手のような考えを持つ人が、どんどん増えてほしいと思う。

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再開 私の色(968)

2011-05-17 15:36:43 | Weblog
 今日(2011年5月17日)の午前中、年1度の健康診断に出かけた。血液検査、レントゲンと、簡素なもの。自分の健康を振り返ってみると、食事が不規則と、ビールを良く飲むことが気になる。そして加齢とともに、疲れやすい。ストレスをためないように、できるだけ歩くことなどをこころがけている。

 母が66歳で亡くなっているので、少なくともその年齢は超えたい。ただ、いくら健康に気をつけていても、病気、事故などで、死ぬ場合もある。であるから、「1日1日をしっかりと生き切る」ことが大切だ考え、実行している。

 日々、感動することも大切だ。毎日、同じ仕事、家事などをしていても、見方を工夫することで違いはある。それを発見するだけでも楽しい。

 精神的に充実するために、時間を重視し、楽しく過ごすこともポイントだと思っている。いろいろなものと共生し、生かされている自分を認識したい。そして、日々感謝することも必要かな、と思う。

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