再開 私の色

 私の人生観を述べてみます

再開 私の色(954)

2011-05-03 21:18:13 | Weblog
 5月3日神戸市内で開かれた、朝日新聞労組主催の「5・3集会」に参加した。500人ほどが出席した。私は3年ぶり。

 この集会は、1987年の5月3日、西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が発砲し、小尻知博記者(当時29)が死亡、もう一人の記者、犬飼兵衛記者は重症を負った。言論を暴力で、封殺しようとする動きに対抗して、市民とともにたたかうこと目的に、1988年から開かれている。今回で24回目。

 今回のテーマは、次は誰だ「つるしあげ社会」を問う。基調講演は、森達也・映画監督、作家、パネルディスカッションは、森氏を含め、金平茂紀・TBS報道特集キャスター、堀江貴文・元ライブドア社長、板橋洋佳・朝日新聞記者。

 テーマは多少ずれたが、森氏は「均一化されたマスメディアに、事実を、自分の頭でしっかりと判断ででるメディアリテラシーを鍛えてほしい」と強調。
 金平氏は、民放は視聴率に左右されるが、「民意をしっかりと取材し、ニュース報道に徹したい」と話した。
 堀江氏は「取材の偏見が問題。一度烙印を押されてしまうと、回復は難しい。多様な報道による真実の報道を」という。
 板橋氏は「チームワークによる組織ジャーナリズムをいかし、自己満足に終わる取材をこえたニュースを提供したい」とした。

 パネルディスカッションを聴いて私が思ったことは、読者が新聞、テレビ、書籍などを、うのみにすることなく、真贋を確かめながら、事実を考えることだ。それは、勉強しないとなかなか身につかない。

 先ず、ニュースを読み、見て、どう判断できるか、の力を身につけたい、と痛感した。

 

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再開 私の色(953)

2011-05-03 08:03:21 | Weblog
 東日本大震災で、亡くなった人たちの個々の事情を知ると、辛くなる。

 その例として、亡くなった娘さん(20代、既婚)は、市役所に勤務し、津波の到来をマイクで放送していたが、その市役所も崩壊して、犠牲となった。

 どこまで仕事をすべきか。死ぬまでやってほしくはなかった。しかし、彼女にその判断はできなかっと思う。うーむ。結局、絶えず、どこまでが限界か、ということを知っておくことも重要なことだ。仕事で命を失うのは避けたい。

 津波の緊急時との仕事と、比較はできないが、私の知り合いの元ジャーナリストは、そこそこいい仕事をしていたが、昇進には恵まれず、いじめにあい、健康を理由に定年前に退職した。彼にその当時の状況について聞くと、「体調も悪くなり、精神的な落ち込みもあり、そのまま仕事を継続していたら、脳の病気か、精神的な病になっていただろう。人生はここという時の決断がとても重要だ。勤務していたら、体調を崩し、死んでいたかもしれない」と話した。

 つまり、状況をしっかりと理解、決断することの大切さを教えてくれる。そのことは、「自分の命を大切」にすることにもつながる。

 自分の命と同様に、他人の命も重要である。どちらが大切かを比較するのはナンセンスかもしれないが。自分の命の大切さを痛感する。

 

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