昨日(2022年1月20日)、「なっちゃんの花園」著・寮 美千子を読み終えた。
著者が奈良で「なっちゃん」という人物と知り合い、なっちゃんの生きざまを物語り風に記した本だ。なっちゃんの人生は波乱万丈に近い。在日2世で、帰化し日本人男性と結婚、子供をもうけたが離婚。その間夜間中学に学び、人生を見直し、自分らしい人生を歩む。なっちゃんは80歳を超える。
著者との関係は、とても「さわやか」だ。なっちゃんは、無理することなく著者の問い・取材などに自然にこたえる。2人の人間関係はいいものだ。
本の中で、アイヌの記述がある。著者が絵本「イオマンテ ぬぐるいのちの贈りもの」を上梓し、北海道の学校図書館で講演した時、アイヌの正装した、おじさんが、質疑応答で以下のことを語った。
「わたしはきょう、みなさんに聞いてほしいことがあってここに来ました。アイヌ民族と和人の間にあったことを、知ってほしいのです。明治維新のころ、たくさんの和人が開拓のために北海道に入植しました。そして、アイヌの生活の場であった森を切り開いて、畑にしたのです。アイヌは、伝統的な暮らしの場を失い、森での仕掛け弓や川で鮭漁を禁止されて、大変苦しい暮らしをすることになりました。でも、それより前、まだ和人が入植し始めて、アイヌが森を自由に駆けまわっていたころは、アイヌの方が、ずっと豊かだったのです。北の大地での暮らし方を知っていましたし、獲物もたくさん獲れました。それに対して、入植した和人たちは悲惨でした。アイヌの家の壁は、笹や茅で葺かれていて、寒さも暑さも防いでくれるのですが、和人の家は板張りでしたから、北の大地のきびしい寒さを防げません。アイヌは、そんな和人たちに、暮らしの方法を教えたり、食べられる野草を教えたりしました。それでも暮らしが立ちゆかず、とうとう内地に逃げ帰る人も多かったのです。しかし、長旅に赤ん坊や幼児を連れてはいけません。もともと武士の末裔や農家の次男坊三男坊です。帰っても居場所がありません。それを案じて、わが子をアイヌに託したり、捨て子をしていく和人もたくさんいました。和人の家の前には捨てません。アイヌのコタンに捨てるのです。アイヌはやさしいから、子どもを育ててくれるとわかって、置いていったのです。そんな子どもを、アイヌは、わが子として育てました。それなのに、アイヌは和人に森も川も奪われました。そして、祖先の遺骨さえ、掘りかえされ、持ち去られたのです。研究のためといって、大学にえらい先生方が、アイヌに黙って墓を暴き、遺骨を持ち帰りました。その遺骨は、北大、東北大、東大、京大、阪大などの旧帝国大学を始め、天理大学や南山大学など、全国十二の大学に保管されていることがわかっています。わたしは、その遺骨を返してもらい、故郷に葬りたいと思って、裁判に訴えました。遺骨返還訴訟をしています。みなさんに、そのことを知ってほしい、そして力になってほしいと思い、きょうはここにやってきました」(アイヌ遺骨返還訴訟の原告の小川隆吉さん) 小川さんは、朝鮮人とアイヌの混血。
上記から、考えさせられた。アイヌの人たちに和人がしたこと。反省し、償い、偏見をなくし、そしてアイヌの人たちと仲良くすることが必要であろう。
アイヌ民族、部落民、在日の人たち、LGBTに人たち、国籍にない人たち、社会から偏見などで差別にあっている人たちに、私たちは、感情的にならず、一人ひとりの「人権」を大切にし、ともに生きていきたいと思う。