再開 私の色

 私の人生観を述べてみます

再開 私の色(2782)

2016-04-30 23:43:23 | Weblog
 ゴールデンウイーク(GW)が昨日からスタートした。今日は4月30日で、やや朝は寒かったが、日中は晴れて気持ちがいい天気だった。(堺市)

 私はすでに短い2日間の休みをとっており、GWの間は仕事だ。

 休日の取り方でも、正社員と非正規社員との違いは大きい。賃金、休みなどの待遇の差がどんどん広がる。それを是正してもらいたいが、時間がかかりそうだ。

 日本人の生き方を見ると、ただ働くばかりで、有給休暇の消化には、とれにくい事情がある。つまり、休むことが、何か悪いことに思ってしまう国民性でもある。それは、今までの日本の伝統習慣である。

 つまり、法律で実施しないと、なかなか有給休暇などを取りにくいといえる。

 大切なには、しっかりと働き、休むということだ。

 非正規の人たちは、休みも、結局正社員のために犠牲となっている。

 そのようなインバランスを是正するためには、やはり立法化するしかない。(日本人はそうしないと、何もしない傾向が強い国民だ)

 個人の幸福度が低い日本、さあ、どうするか。

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再開 私の色(2781)

2016-04-29 22:58:05 | Weblog
 時々利用していた、駅中近くにあった書店が今日(2016年4月29日)閉店していたのを知った。その駅周辺の店は、靴店、そして今回の書店と、閉店が続く。採算が合わないためだ。

 うーむ。確かに、私自身、靴をそこの店で買うことや、書店でも同様に買っていたが、頻繁ではなかった。ほかの店でもいつでも同じ商品などを得ることができ、そこで買うということは絶対的ではない。

 店がなくなり、次の店が入ってもビジネスは厳しいと思う。2つの閉店の前には、時計・メガネの店が店を閉じていた。

 店はやはり、特徴をださないと、価格競争に飲み込まれ経営は厳しくなる。

 次に出店する業種はどういうものになるのか、興味があるが、かなりビジネスは厳しい、といえる。

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再開 私の色(2780)

2016-04-29 00:21:42 | Weblog
 年に数回、宝くじを買う。つまり夢をかうということだ。もちろん今まで当たったことはないが、今日(2016年4月28日)くじを調べてもらったら、5等が当たっていた。金額はわずかだが、当たったのがうれしかった。

 世間にはギャンブルはいっぱいある。賭博をはじめ、人を誘惑にさそうもの多い。最近では、未成年の日本の冬季五輪の有望選手が米国で、パーティーに誘われマリファナを吸ったことで、強化選手などの枠から離された、というニュースがあった。

 かけごとをはじめ、いろいろと世間で禁止されていることは多い。プロの選手がかかわった野球賭博などはもちろんいけない。

 やっていいことと、いけないことの「けじめ」をしっかりとしておくことが重要である。殺人をはじめ、詐欺など、ごく普通に考えて「罪だ」と思うことはしないこと。それが、平然と行われるのが不思議だ。人間とはそういうものなのか。

 他人への暴力(声を含め)はしない。争いごとを避けるには、先ず自分のほうから降りることがポイントだ。そして自分なりの「正義」を確認しておきたい。

 人を傷つけることなく、自分が傷ついたほうがいいだろう。犠牲になれとはいわないが、争いを避けるための方法として、自分のほうから避ける、引くことが一つの手段でもある。

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再開 私の色(2779)

2016-04-27 21:24:51 | Weblog
 プロ野球セリーグの試合。本日(2016年4月27日)、甲子園での試合、阪神対巨人戦をテレビで見て思ったのは、やはり、プロは、エラーをしない、投手では四球を出さない、という基本が重要であることを再確認した。

 試合は、巨人のワンサイドゲームだった。岩田投手が打たれ、かつ野手のミスなどがあり、それでは勝てないと思った。

 それと、苦境に陥った時の選手たちや監督の心理に関心がいった。特に金本監督はイライラしていたと思う。

 阪神の選手にいいたいのは、もっと精神的に強くなれ、と。それにはしっかりと練習をしないとだめだ、といいたい。

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再開 私の色(2778)

2016-04-26 23:34:46 | Weblog
 100歳を超えた医師の日野原重明さんと、美術家の篠田桃紅さんの対話したテレビ番組を見た。

 篠田さんは独立心の強い女性で、あるがままに生きてきた姿勢が印象に残った。日野原さんは、与えられた命・寿命を、自分の使命のために実践したきたという。

 人は生まれ、そして命を全うする。それは誰でも同じだ。生きている間に、何をするか。自分に与えらえた人生に、何をするか。

 以上をあてはめて考えると、私は篠田さんと同じような生き方をしてきた。ある程度、わがままな生き方ともいえる。まあ、それも人生だ。人の生き方は多様であり、これだ、という生き方はない。つまり、自分で見つけたのがその人の人生である。

 自分の寿命が終えるまで、しっかりと生き切ること、そして何か、人や社会のために役立つことを一つでもしておくことが、いいのかなあ、と私は思う。

 100歳を超えた2人から、すがすがしさや、人生を楽しみ、生き切っているなあ、と感じた。

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再開 私の色(2777)

2016-04-25 22:14:48 | Weblog
 知人の男性(65)が、このほど第2の仕事を終えて退職した。その人は、40代の上司の罵詈雑言に耐えながら、よく頑張り退職の日を迎えた。

 罵詈雑言に耐えるには理由があった。それは、定年し次の仕事をあっせんしてくれるところの契約である。5年間が契約だが、その途中で辞めると、信用をなくし、仕事を紹介してもらえなくなるため、彼は後輩のためにがんばったという。頭が下がる。

 上司は言葉の暴力を何とも思わず、相手を言葉で傷つける。しかし、本人はそれが分かっていない。最悪だ。

 しかし、耐えた男性が上だったかもしれない。「何度やめようか、と思ったが、我慢した」という。

 ただ、我慢も限度があり、それによって精神を病んでは意味がない。限界を知っておくことが大切だ。時には、辞めることも手段である。

 その男性には、ごくろうさまです、といいたい。彼は、次の仕事を探すという。元気である。

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再開 私の色(2776)

2016-04-24 22:47:46 | Weblog
 最近、知人(60代、男性)との話をきくと、それはパラハラ? と思った。

 知人は、公務員を退職し、防災関係の仕事に就いた。しかし、上司(男性、40代)は、自分の利益だけを前面に押し出した人だ。

 その男性によるパラハラは、とにかく自分の都合のいい「報告、連絡、相談」を強いる。それが多少でも遅れると、罵声を浴びせる。まったく、「独裁者」のようだ。

 とにかく、ささやかなちいさな、「失敗」を何度も指摘してくるという。

 その40代の男性は、結局自信もなく、自分の不安な精神的状況を、部下の60代の男性に、日々訴えることしかない、と思い込み、それを実践している。


 パワハラの影響を受けないためには、日々態度を明確にしておくことだ。つまり、是々非々をはっきりとしておくこと。それでトラブルが起これば、去るのも一つの方法である。

 常識の範囲をこえる上司の「暴力」には、耐える必要はない。耐えれば、病気になる。自分を守るためには、お金よりも自身の命が重要である。

 

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再開 私の色(2775)

2016-04-23 23:16:09 | Weblog
 日本は平和なのか、と時々思う。しかし、それは表面上であり、格差社会がいわれ、その格差が進んでいるような気がする。以前、国民が中流社会だ、と「錯覚」した時があったが、私も含め、下流社会の人たちが増えている。

 一所懸命に働いても、貧困から抜け出せない人たち。つまり、時給が安いということだ。仕事は同じでも、正社員だと、1時間2000円が、非正規社員だと、1000円以下となる。

 そのような図式でいうと、大企業は下請け企業を搾取し、正社員は非正社員の賃金を搾取? しているといえば言い過ぎであろうか。

 正社員を経験し、パート・アルバイトの仕事に就いた人の話を聴くと、「同じ仕事をし、結果を出しても、賃金面などの待遇が異なるのは容認できない」という。当たり前だ。

 今の雇用制度を打破してはどうか。正社員、非正規という枠組みをはずし、同じ仕事、同じような成果であれば、同じ賃金や待遇にしては。

 休日にしても、休みが多い正社員にくらべ、非正規は不安定だ。日給月給で、病気で休めば、それだけで、賃金が減る。うーむ。

 おかしな格差社会は社会を不安定にする。「平和」を維持するためには、いかに不均等を是正するか、に尽きると思うのだが。

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再開 私の色(2774)

2016-04-22 22:20:39 | Weblog
 「人のものを盗んではならぬ」という言葉は重要である。

 ものを、商品に限定すると、「万引き」が多いのに驚く。スーパーなどで、商品を盗み、そのまま店外にでる。それが過激になると、日々、万引きし、見つかるまでそれを続ける。

 万引きは窃盗罪だ。それを犯せば、10年以下の懲役、50万円以下の罰金だ。

 なぜ、万引きをするのか。

 高齢者などは、金銭的な状況から、また、小中高校生らは、「遊び感覚」、そして若い成人らは、万引きという「快楽」を得ての、「習慣的」なものが多い。

 一度、万引きに成功すると、どんどんエスカレートする。保安員らによる捕捉されるまで、続く。

 無料で、商品を獲得できれば、最高の快楽であろう。

 しかし、万引きはしない、させない、発見すれば、警察に伝えるなどの、一般常識が不可欠だ。

 商品を得るには、しっかりと金を払うこと。それがルールだ。

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再開 私の色(2773)

2016-04-21 22:25:57 | Weblog
 熊本などを中心に起きた地震(2016年4月14日)で、被災地やその避難住民の声を聴くと、まったく大変だなあ、と思う。今まで住んでいた環境から、地震によって、異なる環境によっての住生活は、ほとんど「地獄」であろう。

 避難することによってのストレスをはじめ、急に慣れない集団生活によるプライバシーのなさによるストレス、寝泊りをマイカーでしている人たちの中には、「エコノミー症候群」で亡くなる人たちも多く、まったく地震による影響は大だ。

 慣れない集団生活では、多数の人たちは、周囲の人たちに配慮し、それがストレスになる。「適度」な気配りは必要であるが、それ以上になると「自爆」する。

 できるだけ体を動かすことや、周囲の人たちの「会話」が重要なポイントとなる。特にそのような場所での「あいさつ」は不可欠だ。

 環境が激変し、どう対応したらわからない人が多い中、「ともに震災を乗り切る」姿勢が大変だ、と思われる。

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再開 私の色(2772)

2016-04-21 00:15:34 | Weblog
 日々の熊本・大分地震の報道から、急に地震に遭遇したらどうしようもないなあ、という気がした。

 いくら地震に対しての準備をしていても、どこで地震にあうか、によって対応は異なるだろう。電車や車に乗っていて地震となったらどう対処するか。うーむ。難しいなあ。

 家の場合はどうか。倒壊したら、などなど、いろいろと考えるが、これはという対処法はない。

 遠方に出て、地震にあえば、帰宅困難者となる。うーむ、やっかいだなあ。

 以上のことから、そうなったら、落ち着いて行動するしかない。やれやれ。

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再開 私の色(2771)

2016-04-19 23:56:11 | Weblog
 朝起きて、トイレに行き、洗面をし、着替える、という日々の行いが、震災した熊本県らの人たちは、完全にできない。不便で、最悪の状況であろう。既存の施設(家など)が使用できないとなると、とりあえず我慢し、耐えるしかない。大変なことだ。下着もかえることができず、風呂にも入れず、気持ちが悪いのも分かる。しばらくは、耐えることしかないのだろうか。

 今回の地震は、余震が多く大変な状況だといえる。当面は余震が静まるのを待つしかない。

 被災された地域に、食料や毛布などが十分にいきわたっていない、と思われる。

 被災地の天候も寒さや雨などで、被災者には最悪であろうが、なんとか耐えてほしい。

 とにかく、「生きるぞ」という強い意思をもってほしい。

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再開 私の色(2770)

2016-04-18 23:00:32 | Weblog
 今回の熊本地震(2016年4月14日発生)、大分地震をはじめ、地震や台風などに、いかに人は弱いかと痛感する。

 余震など、想定外ともいえるが、やはり予測ができないと、対処できない。自然などに対して、人間の力は本当に小さく、弱いものだと思う。

 事が起こるまえに「予防」が重要であるが、地震など、ある程度起きる予測はあるが、30年以内とか、やや抽象的でもある。

 阪神淡路大震災、東日本大震災などから、私たちは何を学んできたのか。

 地震の発生をおさえることができなくても、起きた場合の対策がまったくできていないことが露呈している。

 食料、水、衛生用品、毛布などの供給、物流など課題が多い。うーむ。

 地震を想定した街づくりの再構築が求めらえている。私たちの意識もだが。

 

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再開 私の色(2769)

2016-04-18 01:16:47 | Weblog
 今回2016年4月14日起きた熊本地震で思うのは、余震が多いということだ。今まで地下で蓄えられたエネルギーが徐々に爆発している感じだ。

 被災者は、トイレの問題をはじめ、入浴、着替え、食事、プライバシーの確保など、大変な問題に直面し、苦痛であろう。非常時、協力してのりきるしかない。ただ、我慢には限度があり、「遠慮」しないことも必要だ。水分確保をはじめ、トイレには遠慮しないことが大切だ。

 「生きる」ために、何をすべきかを考えてほしい。避難して、病気になりやすいのは分かるが、最大限それは避けてほしい、と思う。

 被災された方には、強い意思を持ち、生活してほしい、と願う。

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再開 私の色(2768)

2016-04-16 23:41:48 | Weblog
 2016年4月14日の午後9時26分過ぎ、熊本で大きな地震があった。現在、余震が続いており、地震の強さは、私が経験した阪神淡路大震災と同じか、それ以上だ。

 地震などの自然災害? は、防ぎようがないのか。うーむ。これから死傷者が増えるのは辛い。

 震災で住む家を亡くし、家族・友人らを亡くし、「絶望」に追い込まれた人には、とにかく生きよ、といいたい。何がなんでも生きよと。

 人は困難にあうと、死にたくなる。それは分かるが、生きよ、と私はいいたい。生きておれば、人生はいろいろと助けてくれる。

 人生は、良いことも悪いこともある。それが人生だろう。地震などにあって絶望している人たちがいるのは多いと思う。自ら命を絶つことはやめてほしい。

 死にたいと思えば、一度死んだつもりで、次の人生を歩んでほしい。

 命を大切にしてほしい。そして与えられた人生を大切に。

 

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