再開 私の色

 私の人生観を述べてみます

再開 私の色(967)

2011-05-16 09:39:58 | Weblog
 知人の話から。

 知人(20代)によれば、彼は3人でチームワークをくみ働いている。しかし、そのうちの先輩(40代)の勤務態度が怠惰で迷惑をこうむっているという。決められた休憩以上に、喫煙時間が長く、通常の人とくらべ、休憩時間が1、2時間長い、おまけに仕事の態度が不真面目で、チームメイトから不満が出ている。

 本人に自覚を促す努力をしているが、なかなか言うことを聞いてくれないという。であれば、上司に直訴するしかないが、その前に、そのチームメイトと話をして、それでも改善がなければ、最終的に訴えるという。

 個人攻撃をするのではなく、仕事をしている企業やチームメイトに迷惑をかけない措置だ。その通りで、決められた勤務時間、休憩を守ることは最低限のルールだ。それが意外とできない年配者が多いのに驚く。

 やはり、まともな勤務でない場合は、当然罰せられても当然であろう。まったくやりきれない。世間では、仕事をしなくて、高い報酬を受けている人が多い。なんという矛盾か。

再開 私の色(966)

2011-05-15 09:00:45 | Weblog
 土曜日(2011年5月14日)の午後6時過ぎ、ショッピングセンターのマクドナルドの店に入った。

 そこで見えたのは、20代の若い母親たちが談笑し、その子供たちのうち2人が、暴れている姿だった。母親は、他の客のことを考えず、大きな声で談笑しており、子供たちは、靴をはいたまま、座席を移動するなり、あたかも自分の家のように店でふるまっていた。

 土足で座席を移動していた3、4歳くらいの男の子が、私の席によってきたので、「靴をぬいで」と、2、3度言うと素直にしたがって靴を脱ぎ、座席を移動。その間、その幼児の母親は、ぜんぜん無関心で、話に夢中。

 店の中で私が感じたのは、幼少期の家庭での「しつけ」だ。子供たちに、今一番大切なのは、物事の善悪ができることであろう。親がまずそれができていると仮定して、「子供たちに、やっていいことと、悪いことをしっかりと教えるべきだ」と痛感する。

 今の世の中で、「しつけ」ができて、うそをなくし、ごく普通に誠実な生活をする人が多くなれば、随分よりよい社会になると思うのだが。

 家庭でのしつけの欠如が指摘されている。また、自分の家族させよければという「エゴ」もまん延している。

 子供たちのしつけをしながら、親は自分を正すべきであろう。


再開 私の色(965)

2011-05-14 09:17:39 | Weblog
 2011年5月13日現在の食品などの物価を1年前と比較して、ややアップしているのではないか、と感じる。買い物をするたびに、オレンジジュースをはじめ、卵、野菜など、10~20%アップしている。原材料のアップで、そのぶんを販売価格に上乗せしているメーカーも多い。

 給料があがらず、生活が厳しいなかで、物価の高騰は生活者にダメージを与える。より質素な生活を余儀なくされる。特に年金生活者は大変だと思う。私は、困窮生活になれながら日々をおくっているが、それにより学んだことは多い。

 いかに、ムダづかいしていた、を痛感した。電気をはじめ、水道、ガスなどもムダをさけるようになった、冠婚葬祭もしかり。義理を欠いてしまったが、しかたがない。

 モノを大切にすること、そして他人に対しも今までより、やさしく接することができるようになったのは良かった。そして、考え方が、より多角的になった。特に貧者に対する思いやりが以前よりもできるようになったのは大きな収穫だ。

 今後は、お金に左右されない、生活哲学を構築したいと思う。

再開 私の色(964)

2011-05-13 09:36:31 | Weblog
 高齢者による「万引き」が多いと、聞いていたが、親しい友人からそのことを聞いて、がっくりときた。

 友人の話によれば、80歳の片足が不自由なおばちゃんが、万引きをしたという。金額は、カット果物の148円。お金には困っていない人だが、なぜ、万引きをしたのか、不思議だ。

 窃盗罪を犯す意味が分かっていないのかもしれないし、万引きの「味」をしめたのかもしれない。しかし、年齢に関係なく、犯罪だ。やりきれないなあ。

 物事の善悪をはじめ、道徳観はどうなってしまったのだろうか。情けなくなる。
 この世の中には最低限のルールがある。人を殺してはいけないとか、盗んではならないとか、、、、。

 簡単にうそをつく人や、ペテン師など、この世には、まっとうに生きられない人が多くいる。しかし、最低限、社会ルールを守ってほしい。それができない人も多いのは知っているが、やはり悪は悪だ。

 この世の中の悪いところばかり見てもしかたがない、と思いながら、ついつい目がそっちへいってしまう。

再開 私の色(963)

2011-05-12 09:22:38 | Weblog
 5月11日夕方、知り合いの先輩と仕事について話をした。

 その人はアルバイトのダブルワークをして、睡眠時間は4時間程度でがんばっている。持ち家もあり、そこそこの生活をしているのだが、「家の修理、孫へのこづかいなど、結構お金がいる。幸い、健康だから楽しみながら仕事をしている」という。60を超えてがんばっている姿は、すごいなあ、と私は思った。

 60歳を超えて、悠々自適の人は少ないだろう。知人の先輩のような人が大半ではないだろうか。ダブルワークのまねはできないが、その仕事に対する気持ちがいいなあ、と思う。以前はもっと働いていたというが、年金などの関係で調節して、人生を楽しみながら働いている。

 翻って自分自身のことを考えると、体力、気力が年々弱くなってきており、それにあわせて働いている。体を大切にして働くしかない。労働を楽しくする工夫が必要だ。

 新鮮な発見、楽しみなどを探しながら仕事をしている。日々、新しい気持ちで臨むと、意外な発見もあり、楽しいものだ。1日1日が勝負、という気持ちだ。

 1日24時間をどう過ごすか。結構むだな使い方をしている私だが、反省しながら大切に過ごすようにしたい。

再開 私の色(962)

2011-05-11 07:54:02 | Weblog
 先日、和歌山県近くの道路を歩かなくてはならなかった。目的地まで、最寄りの駅から歩くしか手段はなく、15分ほど歩いた。昼間だったが、そこそこ車の往来があり、大半は安全運転で、歩行者の私を注意した運転をしてくれる。
 その道路は、30キロが最高速度だが、中には50、60キロの猛スピードで走る車もあり、危なくってしょうがなかった。それで、事故が起こり、怪我でもしたらどうなるんだ、と私は思った。

 もし、夜間であれば、もっと危険だ。なぜ、今そのことを書いているか、というと5月10日午前中、広島県福山市で、登校中の小学生の列に、軽自動車が突っ込み4人が重軽傷をおったからだ。運転の男性(38)は、「漫然と運転していて、事故のことは覚えていない」というコメント。まったく、何を考えて運転をしているのだ、と強い怒りがわいてきた。

 私自身も運転するし、それなりに気をつけている。以前、信号機のあるところで、小学5年生くらいの男児の自転車が信号を無視して、私の自動車と危うく事故になりそうだった。信号無視をしてくることもある、と想定しながら日ごろは運転しているが、やはりルール違反では、どうしても事故が起こる。その男児には、強くにらみつけておいた。

 自動車を運転していると、危険が多く、大半は、交通規則を守らないことが多い。運転者としては、そのことも頭に入れているが、限界がある。

 今、特に思うのは、自転車の夜間のライトをつけずにペダルを踏んでいる人たちだ。事故を誘発しており、事故がおきてからでは遅い。

再開 私の色(961)

2011-05-10 08:36:15 | Weblog
 5月8日、秋田の高校生男女が自分たちの赤ちゃんを、男子高校生が公園に捨てたとして、乳児の保護責任遺棄の疑いで逮捕された。7日に男子高校生は、生後1、2日の赤ちゃんを捨てたという。

 この事件は、高校生同士がセックスして、赤ちゃんが生まれ、どうしていいかわからず捨てたというものだ。妊娠した時、相談することもできなかったのだろうか。セックスの意味も分からなかったのだろうか。「命」をもっと真剣に考えてほしい、そして性の営みも。

 人は、自分のしたことに「責任」をもたなくてはならない。それが最近は欠如しているのだろうか。それとも分かっていて、逃げているのだろうか。

 命が軽視されている時代にあって、もっと大切に考え行動してほしいと思う。性についても同様、その意味を十分に考えてほしいものだ。

 いつから、このように「生命軽視」の時代が、あたかも当たり前のようになってしまったのだろうか。そのような一部の人たちの行動で、ほかの人も影響を受ける。

 何かが狂っている今の社会ともいえる。

再開 私の色(960)

2011-05-09 07:54:42 | Weblog
 チームワークで仕事をしている中で、怠けている人がいると、やはり気になる。その人のために、チームが迷惑をこうむるわけだ。しかし、その人にもそれなりの権威があり、無視できず、うまく対応しないと、チームが崩壊する。

 ただ、怠惰には、それなりに忠告しないと、チーム力が発揮できないこと、そしてそれが大きな失敗につながることもあることを認識すべきだろう。やはり、いかにその人の尊厳をキズつけることなく、うまく話すかであろう。

 しかし、キャリアもあり、それなりに責任がある人に対して、基本的なことを話すのは、まったく情けない。馬鹿らしい。しかし、それが現状である。

 大企業の中でもそういう人たちが多いと、以前知り合いのマスコミ人が言及していた。会長、社長、管理職であれ、不正らしきことは見逃さない。見逃せば、それが大きな「負」となり、やがてその組織は腐敗し、淘汰されるだろう。

 公的、私的企業などを含めても、少なくてもそのような例は多い。それが、現実だ。しかし、おかしいことは、「NO」といえる勇気を持ちたい。流されてはいけない。

再開 私の色(959)

2011-05-08 09:08:48 | Weblog
 昨日(5月7日)は、電話カウンセリングの相談員を務めてきた。相談員3人が担当予定だったが、1人が病欠、2人で10人の電話を取り対応した。

 「うつ」の相談が多く、中には深刻なものもあった。電話カウンセリングのメリットは、電話をかけてくる人(コーラー)が、気軽に、自分の都合のいい時に、電話をかけられ、話を聞いてもらい、心の整理ができることだろう。話した内容は守秘義務で、漏れることはない。

 もっともっと利用してほしいと思うが、要は電話によるカウンセリングが知られていないことだ。費用は無料、ただ電話代がかかるだけ。相談員はプロで、信用も高い。

 人にはいろいろな悩みがあり、それを身内や友人などに相談できないこともある。そういう場合、第三者に話を聴いてもらい、客観的な意見を提示してもらえ、結構役に立つものだ。

 悩みなどがある場合、話すことで、結構楽になる場合が多い。心に残ったものを、ためるのではなく、適宜に出してみることも重要である。

再開 私の色(958)

2011-05-06 23:41:44 | Weblog
 今日(5月6日)、兵庫県尼崎市の南七松町周辺へいく機会があった。下町で、そこに川があり、驚いたのは、多数のコイが泳いでいたことだ。川の水を見ると、生活廃水が流れており、とてもコイが泳げるものではないと思ったが、しっかりと泳いでいた。多分、それほど生活廃水などは、汚れていないのかもしれない。

 川といえば、私が小学生のころ、名古屋の天白川で泳いだ経験がある。きれいな川とはいえないが、泳ぐことができた。今はどうなっているのか、分からないが、やはり川はきれいにしてほしい。

 数十年前、神奈川県の小田原市へ行った時、街の中を流れる通路に、魚が自由に泳いでいるのを見つけて、「わー、すごいなあ」と思った。きれいな水は、いろいろな生物を生かすことができる。

 家の近くにある大和川は、長く全国で最悪に汚染された川の位置付けだったが、近年、住民らの運動で、きれいな川に戻りつつある。結局、川を汚すのは、私たちだ。便利な社会を維持するために、川が汚れるのであれば、多少不便でも、川が汚れないことを優先したい。

 自然をもっと大切にしよう。人間の生活が便利になればなるほど、自然が死んでいく。

再開 私の色(957)

2011-05-06 08:41:39 | Weblog
 5月3日、神戸の三宮、元町かいわいを1年ぶりに歩いて感じたのは、店がどんどん変わっていることだ。空店舗も少し目立った。それほど、競争が厳しいということだろうか。

 私が神戸に行った時はよくのぞいたショッピングセンター(SC)内の古本屋が、なくなっていた。SC全体の経営の厳しさを痛感するとともに、店を利用する人たちがどんどん変化していることだ。そのSCは、老若男女が結構利用していたし、旅行客も多かった。

 今は、若い女性を狙った店が増えたが、商店街を歩いて感じたのは、伝統の重み、そして中華街もあり、異国情緒にふれることもでき楽しい。しかし、物販店、飲食店などの価格をみると、ずいぶん高くなった印象を受けた。

 各店舗は、個性を強く打ち出しているのが良く分かる。今までの顧客を大切にしながら新規のお客獲得と、懸命な姿が目立つ。

 店を繁栄させるのもダメにするのも、店主がどういう経営をするか、に尽きるだろう。取り扱う商品にもよるが、顧客のニーズや提案できる商品は大切だ。

 SCの近くの百貨店も入ってみたが、高級品を前面に押しながら、価格のこなれた商品もあり、まずまずの印象を受けた。今後は、もっと個性をだしていかないと、生き残れないとも感じた。

再開 私の色(956)

2011-05-05 00:03:36 | Weblog
 20代の男性の話から。
 彼が勤める企業で、上司にあたる人との会話が続かないという。上司が聞く耳を持たないようだ。そのため、日々の社内の出来事で、相談することができない。

 彼が正しいことでも、結局上司が聞く耳を持たない。ほかの関係者も立場上のため、相談できず、その20代の男性は孤立している。最悪な状況でいるわけだ。

 そのような企業や人間関係は多い。私がいやなことは、正義が歪曲化されてしまうことだ。多数決で、正しいことが受け入れられない風潮で、力がある、立場が上にある人たちの勝手な結論が通ってしまう。それは大きな問題だ。

 やはり、正義は維持されなくてはならない。決して上からの力で屈することなく、最後まで貫く覚悟が必要だ。そうしないと、悪がはびこる世界になり、まともな社会ではない。一部の権力者や独裁者を許してはいけない。

 私は、彼に「実力をつけて、ほかの仕事を見つけてはどうか」と話した。悪が広がっているような、希望の持てない会社にいてもしかたがない。そのことは、彼自身分かっており、今は努力している最中だ。

 権力をはじめ、不正には断固としてたたかう姿勢が必要だ。それにしても、そういう企業が大小を問わず多すぎる。

再開 私の色(955)

2011-05-04 08:44:18 | Weblog
 2001年の米国同時多発テロを指導したとされる、テロ組織のアルカイダの指導者、オサマ・ビンラディン容疑者が、米国のヘリコプター部隊によって、パキスタンのアボタバードで殺害されたというニュースを5月2日の夕刊で読んだ。

 疑問は、容疑者を殺害していいのか、それと、死体は水葬されたということ。本当なのか。死体は写真などで、確認がほしい。容疑者を殺害するのもおかしい。

 オバマ米国大統領の一方的なコメントを報道しているが、私には疑問だらけだ。やはり、死体は写真などで明確にすべきだろう。

 なぜ、今容疑者の殺害となったのだろうか。逮捕はどうしてできなかったのだろうか。殺害してしまえば、「いろいろな真実」が分からなくなる。

 オバマ大統領は、大統領再選を目指しての、策略なのだろうか?

 疑問だらけのニュースで、真実を知りたいものだ。
 

再開 私の色(954)

2011-05-03 21:18:13 | Weblog
 5月3日神戸市内で開かれた、朝日新聞労組主催の「5・3集会」に参加した。500人ほどが出席した。私は3年ぶり。

 この集会は、1987年の5月3日、西宮市の朝日新聞阪神支局に、散弾銃を持った男が発砲し、小尻知博記者(当時29)が死亡、もう一人の記者、犬飼兵衛記者は重症を負った。言論を暴力で、封殺しようとする動きに対抗して、市民とともにたたかうこと目的に、1988年から開かれている。今回で24回目。

 今回のテーマは、次は誰だ「つるしあげ社会」を問う。基調講演は、森達也・映画監督、作家、パネルディスカッションは、森氏を含め、金平茂紀・TBS報道特集キャスター、堀江貴文・元ライブドア社長、板橋洋佳・朝日新聞記者。

 テーマは多少ずれたが、森氏は「均一化されたマスメディアに、事実を、自分の頭でしっかりと判断ででるメディアリテラシーを鍛えてほしい」と強調。
 金平氏は、民放は視聴率に左右されるが、「民意をしっかりと取材し、ニュース報道に徹したい」と話した。
 堀江氏は「取材の偏見が問題。一度烙印を押されてしまうと、回復は難しい。多様な報道による真実の報道を」という。
 板橋氏は「チームワークによる組織ジャーナリズムをいかし、自己満足に終わる取材をこえたニュースを提供したい」とした。

 パネルディスカッションを聴いて私が思ったことは、読者が新聞、テレビ、書籍などを、うのみにすることなく、真贋を確かめながら、事実を考えることだ。それは、勉強しないとなかなか身につかない。

 先ず、ニュースを読み、見て、どう判断できるか、の力を身につけたい、と痛感した。

 

再開 私の色(953)

2011-05-03 08:03:21 | Weblog
 東日本大震災で、亡くなった人たちの個々の事情を知ると、辛くなる。

 その例として、亡くなった娘さん(20代、既婚)は、市役所に勤務し、津波の到来をマイクで放送していたが、その市役所も崩壊して、犠牲となった。

 どこまで仕事をすべきか。死ぬまでやってほしくはなかった。しかし、彼女にその判断はできなかっと思う。うーむ。結局、絶えず、どこまでが限界か、ということを知っておくことも重要なことだ。仕事で命を失うのは避けたい。

 津波の緊急時との仕事と、比較はできないが、私の知り合いの元ジャーナリストは、そこそこいい仕事をしていたが、昇進には恵まれず、いじめにあい、健康を理由に定年前に退職した。彼にその当時の状況について聞くと、「体調も悪くなり、精神的な落ち込みもあり、そのまま仕事を継続していたら、脳の病気か、精神的な病になっていただろう。人生はここという時の決断がとても重要だ。勤務していたら、体調を崩し、死んでいたかもしれない」と話した。

 つまり、状況をしっかりと理解、決断することの大切さを教えてくれる。そのことは、「自分の命を大切」にすることにもつながる。

 自分の命と同様に、他人の命も重要である。どちらが大切かを比較するのはナンセンスかもしれないが。自分の命の大切さを痛感する。