Gooの事務局から、私の(5483)が表現上などに問題があり、削除するとの知らせを2023年8月28日受け取った。以下再現してみよう。
どこが問題なのか、不明である。抜粋は本からで、そうであれば、岩波書店にGooは尋ねるべきではないか。私は読者として、本を読み、狭山事件を確認し、コメントしたのだが。
(5483)
無実で、有罪にされ冤罪で苦しむ人は多い。その中で私は、狭山事件について最新の本を読みたくなり、「被差別部落に生まれて」著・黒川みどり、を最近読んだ。岩波書店、2023年5月17日発行。著者は静岡大学教授。
狭山事件について、本から抜粋してみよう。
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一九六三年五月一日、狭山市で埼玉県立川越高等学校入間川分校一年生であった中田善枝が下校後行方不明となり、その夜身代金を要求する脅迫状が届けられた。
ところが、翌二日午後一一時五〇分過ぎに、警察は現れた犯人を取り逃がしたため、同年三月三一日の村越吉展ちゃん誘拐事件に続いての犯人取り逃がし失態で世間の非難を浴びた。
窮地に陥った埼玉県警は、五月三日、特別捜査本部を発足させ、大がかりな山狩り捜査を開始、五月四日に被害者の遺体が発見された。五月八日の参議院本会議で事件の報告を迫られていた篠田弘作国家公安委員長は、八日までに犯人を捕まえるようにと警察に指示した。
五月一一日、死体発見現場近くの畑でスコップが発見され、それが石田養豚場のものであることが発表された。警察は石田養豚場関係者を中心に、狭山市内の二つの被差別部落に捜査を集中させていったとされる。そして、五月二三
日、二月まで石田養豚場で働いていた当時二十四歳の石川一雄逮捕となった。殺害事件と結びつける証拠がなかったため、別件逮捕であった。
一雄は狭山署に拘留されて殺害の追及を受けるも否認を続け、警察は新たな証拠を得られないまま勾留期限の六月一七日を迎える。しかし、警察は、一雄を保釈すると同時にその場で再逮捕し、川越警察署分室に移して取調べを続けた。このかん弁護士との接見がほとんどできず、一雄は弁護士不信に陥り、六月二〇日、誘導されるままに「自白」をはじめる。七月九日、一雄は中田善枝殺しで起訴され、浦和拘置所に移された。
一九六三年九月四日に一審の裁判が始まり、第一二回公判において浦和地裁
は死刑判決を言い渡した。同年九月一〇日、第二審第一回公判で、一雄は一転して殺害を否認し、無実を訴えるにいたる。しかし、一九七四年一〇月三十一日、第二審東京高裁から無期懲役の判決が言い渡され、一九七七年八月九日、最高裁第二小法廷で上告棄却が決定されて、その後三一年七カ月の歳月を経て、一雄は一九九四年十二月二十一日、仮出獄となった。そして今までに、東京高裁に三次にわたる再審請求が行われてきた。
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以下は私のコメント。
狭山事件は以前から知っていたが、確認と最新の状況を知りたくて読んだ。
部落差別の偏見や石川一雄さんが子供のころ、読み書きを習得できず苦労した。
警察、検察、裁判所などの不十分な調査、強引さなどを知ると、とても信用はできない。
最近も検察の強引な取り調べで有罪が無罪になるケースが増えている。
日本の司法に問題が山積しているようにも思える。大きな権力に対処するためには、市民らの視線や声・意見が大切である。
一人の市民が無罪なのに、間違った証拠を捏造され犯人にされ死刑にされたらたまらない。無実ならば、死ぬまで無実を訴えることだ。司法界は柔軟に対応するのが仕事である。死刑って本当に必要なのか、と思う。