katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

棟梁教室とリピーターさんの下地作り

2017-07-19 02:16:14 | モザイク教室
今日は棟梁教室。前回この作品を張り始めて、初めてつまづいた・・・思うように進まないってね。ただ逆に言えば、今まで一度もつまづかない事が不思議な位だったと思うのね。ただその理由はまず下絵につまづいていた事だと思うのね。何しろ2年以上も掛かってしまったのね。

この下絵と向き合うと悲しい事ばかりを思い出し、もうこれを作るのは辞めよう・・・と何度もリタイア気味だったのにそこから抜け出した。その次はアトリエに来たくても来られない・・・それはみどり教室の厳しさをブログを読んで、こんなに厳しいんじゃ勇気が出ない・・・って思っていたらしく・・

そこもkameyaさんのみんなと来るようになって、そのみどりと相席をするようになると、虎穴に入らずんば虎子を得ずって話で実際体験すると、文字で読んでいる程では無く、しかもどうしてそんな事になるんだろう・・・の仕組みが理解出来ると気にならなくなったのね。

つまり厳しく言われているみどりは、弟子であって上手くなりたい・・・と望んでいるだけで、趣味で楽しんでいる訳じゃないって事。それをそんなに言わなくても・・・と思う自分はどんな立ち位置で見ているのか?って単純な話で、可哀そう・・・なんて思いたければ、みどりよりも上手くなれば良い。

それを追い掛ける身で勘違いするから、モノの本質を見られない。そもそも簡単な話で、分かりやすく言えば、何かを目指している人は過酷な特訓もするし、涙も流しても当然だし、辛くても進むのは何故?・・・それを笑って楽しいね・・・って上手くなるのなら苦労はしなくて良いのね。

そもそも仮に同じエステに通っても、方や健康維持の人と、方や女優だったらメニューは全く違うだろうし、女優とトップ女優では、エキストラと主役の違いもあったりするだろうし、目指している所次第で難易度は変わって来る。単にそれだけの事なのね。

それを健康維持の立ち位置でそんなに厳しくやらなくても・・・・って言うのは、自分の身を下に置いての発言であって、やっている人は好きでやっているのだから、みんなとは違って当然だし、じゃ棟梁は何処に身を置いてどうなりたいの?・・・って話なのね。

これがいつも言っている最初は覚悟だって話。それを上手くなりたい側でみどりとの相席を望みいつしか慣れてしまうと、思っていたほど辛くも無いし、むしろ楽しいとも思えたりすると、今まで悩んでいた事が何だったのか?・・・って位に、すんなり解決し、こうして1人でもアトリエに来られるように

なった。ここまでは紆余曲折ありながらも、悩んだ分すんなり思い通りだったんだろうね。しかし、そんなにすんなり出来る事ばかりなら、先生もいらないし、そんなすんなり出来る事を先人の人達は悩みつつ、進まず、苦労をしながら制作しているのは何故?・・・それを同じ大作に挑んでいるのに、

棟梁はすんなり・・・って事になると、楽をしているのか?みんなが何を悩んでいるのか?嫌むしろ棟梁が上手いのか?・・・みたいな話になるでしょ?ほら、こうして考えれば、これまでは難なくこなせただけで、要するにとても難しい事に遭遇したって話。じゃその難しい事って何?

それが天使の羽根の部分。じゃそこはどんな事になっているのか?縁取りを1cmタイルの16分の1位の大きさの四角で張り、その中をガラスタイルで仕上げる・・・ここにつまづいた。じゃこれを誰かやっていないか?・・・そうおかみさんが妖精でやっているのね。妖精の手はまさに同じ。

ほら・・・その時にどれ位おかみさんはそこに悩みつつやっていたのか?・・・は目の前で何度も見ていたはずなのね。けれど、それが自分に降り掛かって来る事も見ていなかったし、どれだけ時間が掛かっているのか?悩んでいるのか?それを感じられれば、楽な場所じゃないな・・・って事は、

少なくとも予期出来たはずなのね。これこそが人のフリ見て・・・みたいな話で、上手くなるって事の1つに上手い人は人のやっている事を見逃さないのね。ではここまでは技術の前の心構えみたいな事で、今度は具体的な技術な話になると、そもそもタイルを切ると上から切り口を見ると、

上から見た部分を合わせて切る。じゃ判りやすく数字にすると、1cmタイルを16分の1は何ミリ?って言うのはどうでも良い話で、まず4分の1の羊羹みたいな長方形を切る。そしてその羊羹の1つを4分の1にしたものが16分の1になる。たんにこれだけの話。ただ理屈ではね。

じゃ実際やって見ると・・・まず4分の1に出来るのか?となると、斜めになっちゃったりして・・・すると4分の1にきちんと切れなかったら、そこからの4分の1は、4枚取れずに、1枚ないし、2枚しか取れなかったりする。しかもそこが4分の1にきちんとならなかった事で、他の4分の3にも影響が出る。

つまり1枚の1cmタイルから理屈では16枚取れるはずが、何枚実際は取れたか?って話になる。こうして聞くと、げぇぇぇ凄いなんて思ったりもする。けれど、ある意味こんな事は別に棟梁には苦にならず、むしろ時間が解決するだけで、心は無傷みたいに進めたろうね。

じゃ後はガラスタイルを・・・・になるんだけれど、ちょっとイメージしてね。豆腐を包丁で真っすぐ切って見て。ほらいくらでもサイの目に細かく切れるでしょ?そうサイの目のように・・・つまりサイコロのように何処が切り口か判らないよね?じゃ木をのこぎりで同じように切って見て。

何か斜めになったりしてない?さっきのようにしっかりしたサイコロにはなっていないでしょ?そこに気が付けば、タイルはどうなっているだろうか?つまり切り口が斜めになっていたとしたら・・・・上から見た幅と奥に見える幅は一緒じゃない事になる。しかも両サイド出っ張っていたとすると・・

そこに深層心理。つまりもし棟梁がピッタリを望むような人だったりしたら?確実に失敗する可能性は高いのね。何故なら何度と無く切り直して、思ったような納得したパーツを入れたくなるから。それをこの位で良いや・・・と言う若干ルーズ目な感じで進めるのなら、進行具合は良くなるが・・・

ただね、そんなにガラスタイルは甘く無いのね。必ず思い通りに切れる保証は何処にも無いのね・・・むしろ成功すればラッキーってね。しかも値段も安くは無いから心のダメージも大きい。さてそれで思うように進むとは?一体何個進む事なんだろうか?・・・って話。

つまり前回の失敗はこの難易度を舐めていただけなのね。しかも意識無く。だから意識をし始めた途端、失敗の数と進まない苛立ちが、言葉としてつまらない・・・って発言になった。ただそれだけなのね。だから、腕の問題じゃなくて心の問題なのね。

それを立て直す・・・って言った今回、随分立て直して来たのね。落ち着いているし、是正もしていたから、この位なんだ・・・って慌てなかったし、俺とてこうして失敗をする・・・・と切って見せたし、このパーツではこの位が限界なんて例も見せた。

そもそも初めての大作なのね・・・終わるだけでも凄いのに、それを自分の納得するグレードで終わりたい・・・この時点で金じゃなきゃ銅なんていらない・・・って作り方でしょ?あはははは、そりゃ過酷だわっ。しかも、そりゃ目指した人が全員金になっちゃうね・・・。

何でも何処もが金のグレードになるとは限らないのね。それを上手く行かなかった時、いかにリカバリーの場所を作れるか?だと思うのね。そのリカバリーこそが真の上手さだと思うのね・・・だから、前回のつまづき大いに結構。やっと乗り越える壁って言う部分が来ただけなのね。

ただ、いついかなる環境状況でも同じように進む・・・じゃなくて、その日の自分自身と向き合って、今日はこっちで回避とか、今日は心に余裕があるから失敗してもチャレンジ・・・のように、羽根が終わるまで区切りが良いから・・・って真っすぐ進まない事もテクニックの1つ。

そんな事を教えたのね。まっ、とは言え、随分と上手くなったし、変わりたい・・・と願っているだけあって、随分と自分なりの検証もするようになったし、収穫は自分の言葉に、・・・・けれどとか、出て来ると、嫌違う・・・えっと・・・と表現を変えようとする所は明らかに変わった。

ただ変わったって事は、良い事と悪い事は背中合わせで、1つを得たのなら、1つ失った事になる。失った事は気が付いてしまう事。今ままで気が付かなかった事が気が付いてしまう・・・・それによって心が傷付く事もある。そこを乗り越えられればもっと落ち着いて出来るようになる。

まっ、謎掛けみたいな話になるが、目標が高ければ高い程、みにくいアヒルの子の話をじっくり理解出来る位振り返れば良いと思うのね。自分はアヒルなのか?はたまたそうで無かった場合、一体何なのか?・・・これこそが個性で生きる人って言うのは・・・って話なのね。

さてそんな後、豪雨も止むと何も無かったように晴れていたので、まだ明るかったし・・・週末のkameyaさんのリピーターさんの下地作り。


新しく買ったトリマーの刃。本格的に使うのは初めてだが、中々良い仕上がりだったのね。これは使える。

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