katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

みどり教室

2017-07-05 07:28:04 | モザイク教室
今日はみどり教室。それがどうしても本日中に終わらせたい作品が作りたいらしく、そんな訳でいつもよりも早めのスタート。それでどんなデザインか?と確認をすると、このデザイン・・・これを通常のコースタ―サイズ・・・つまり10cmで作ろうとしていたのね・・・しかもぺきぺきで。

まぁ余りに見当外れなんで、説明となるのだけれど、まず通常安全面を考えると、外側に1cmタイルみたいな切り口の無い縁取りをしたくなる。つまり通常のやり方では、ぐるっと1cmタイルを張れば、2cm取られちゃうから、中身は8cmしか無くなってしまうのね。

じゃその8cmの中で、ぺきぺきのようなもろいタイルで、この文字とヒールのかかとが作れるのか?・・・となると、俺には無理。それが出来るって判断なのね・・・すると、別にそんなに気にしていないで、少し太くなっても・・・・って。この安易さ加減。余りに甘いのね。

では聞くけれど、必ずヒール本体はピッタリのサイズに作るはずなのね。ピッタリね。つまりピッタリって表現はボディコンみたいな事。体のラインを完璧に・・・みたいな技術の後に、かかとは出来るだけ細くするって事で・・・・と思い込んでいる。ここで我こそ正義の考え方。ばかちんなのね。

そもそもがどれだけ細く出来るか?じゃなくて、どれだけ太いのに耐えられるか?なのね。何ともおろかなのね。まぁ一見同じじゃんなんて考え方をするからこんな発言が出来る訳で。つまりきちんと出来れば出来るほど、目に付く・・・そう考えるべきなのにね。

これについては答えがはっきり後に出て来るんで、置いといて・・・・文字を描いて貰えないか?って言うのね。それについては良いよって事にしてあったので、描くに当たっても、この文字をヒールの後ろに被るように大きくするなんて提案をして来たのね・・・。更なるばかちんは、それで文字が判る。

そんな判断をする。じゃ文字とヒールを重ねて試してみ・・・って事になると、気が付くのね。そうね、絵で描くならいくらでも出来るだろうね。けれどタイルを切るって言うのは、出来る事と出来ない事の判断力が必要になる。しかも、出来れば良かった・・・・の初心には戻れない。

より良い物が作りたいって欲を持っての作り手になっている。その自分を甘く見るからこんな事が起きる。ただ少しは進歩したのは、この程度の話で、心が折れ、じゃ諦める・・やらない・・・の0か100かだけは、どうやら直っているらしいのね。まっ最悪だけは治ったみたいだな・・・。

ってな話で、本当に大事なのは何か?になるのね。つまりもし、なら辞めるって考え方なのであれば、自分の思い通りにならないから辞めるって単なるわがままのエゴ・・・それを相談して置いてね。しかも文字まで描かせてね・・・愚かである。

これが多少の変更があったとしても、基本のヒールは何も変わっていないのだから、作れるのならそれでも・・・・って考え方なら、それでも作りたいって熱意が伝わる話であって、労力を使った人に報いる・・・って思いやりすらも感じられる。感性、感受性なんてもんはこんな事から始まる訳で。

では文字をヒールに被らずに、文字もヒールもはっきり判る場所となった時に、このデザインとなったのだけれど、決まってしまえば後は素材。より細く切れるのは?の質問に1cm・・・って。まっ、当然の事。所が躊躇している理由がはっきりしているのね。何故コースタ―なのか?何故ぺきぺきなのか?

全て今日1日で完成したいから。結果から言えば、8時過ぎにこうして完成をしたのね。ほら出来たじゃん。って話だけれど、そんなに簡単には終わらないのね・・・。ではこれを見て欲しいのね。


俺の文字はこんなだったんだけれど、みどりのモザイクの仕上がりとの違い・・・・そんな図解なんだけれど、下絵通りにやったんですけど・・・って。その一言を言わなければ、左程の話にはならなかったんだろうが、はぁ?って事になる。

どんな感受性やら感性をしているのかなぁ?・・・・って心の中で思ったのだけれど、時間も時間。良く頑張ったって事で流そうとしたのだけれど、今から直したい・・・・って。ほらね。出たぁぁぁぁぁぁぁぁ、上手くなった奴のエゴぉぉぉぉぉ。こんだけこだわる訳なのね。あはははは。

そもそもがたったこれだけが気に入らずに8時過ぎでも直したい・・・さっきの話の意味がここで判るのね。ほらやっぱり質にこだわったでしょ?そんな奴が、ヒールは太くても・・・なんて耐えられるはずも無く。しかもこのバックは玉石ってタイルでクラッシュを作る事を進めたが、

そこには玉石のタイルの大きさがランダムで必然的に色んな大きさで切れる事と、細かくなり過ぎないで、1cmタイルよりも進みが良い事も考慮に入れたが、更に言えば、このタイルには白い模様が入ったりして、いくらか黒1しょくりも良く見えないか?の理由からなのね。

もしこれをぺきぺきでやっていたとしたら?黒1色になっていたかも知れないし・・・比べるまでも無かったと思うが・・・。いずれにせよ、ここまでのグレードで完成したものを壊してまで、8時過ぎに直したいこだわりの人・・・・この人がぺきぺきでやった作品は一体どうなっていたんだろうか?

例え数時間早く終わったにせよ、このグレードは出せなかった事になる。それを納得しただろうか?つまり自分自身が自分の納得度を知らないって話なのね。腕ばかりが上手くなり、心が付いて行って無い証拠なのね。ただ、腕だけはこうして上手くなっているし、眼もいくらか肥えて来た。

何が良くて何が悪いなんて事もね。ただそれは見たからであって、見なくても・・・つまり想像力・・・ここは大きく見劣りする。出来る力を基準にすれば見劣りして当然だし、見劣りする事を基準にすれば、基準値が下がった事で、出来る事が非常に際立つ考え方になる。

そもそもが弟子となった訳だし、腕が認められつつあるのだから・・・って1つ褒められたのだから、見劣りするって考え方の方が厳しいが期待値が上がった事で、もっと上手くなるって方向になると思うのね。それをいくらタイルを切って張っても、作り手の気持ちがこうも変わってしまっては、

テレビで見る陶芸家や小説家の先生達の、作っては投げ捨て・・・書いては丸めて・・・・の繰り返し。粘土や紙を無駄にし、労力をいくらでも掛けられる大先生のやり方。まっ、恐らくそんなのは演出だろうが・・・・いずれにせよ、もっと自分の思い描く完成度ってものと向き合った時に、

こんな程度で・・・・じゃ無くて、これなら耐えられる・・・・って見極めが出来る、そんな想像力も身に着けて欲しいな・・・と思ったのね。
そもそもその考え方が判らないまま、腕だけが先行して行くと、一体どんな人になって行くのだろうか?・・・・

実はここにかぐやも繋がっていて、2人共に言ってた話だったが、最後の最後に理解出来たようだったが、俺の説得力が無かったのか?聴く耳が足らないのか?いずれにせよ、こんな時間が掛かってしまったのは、残念で仕方無いのね。早く林先生のような、今でしょ・・・的に簡単な説明で済むように

なりたいものなのね。って、つまんない話が長くなったんで、画像のみ。


こんなんじゃ駄目だろうなぁ・・・・そうそう、言葉足らずだった・・・ちなみにみどり作品の大きさは中身が10cm程度になる下地に変更したのね。こんなデザインをコースターでは無理だからね・・・・もし頑張れば出来るのかな?・・・なんて思われると大変だからね。

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