今日は本来、さくらとぼーとみどりとカルビの4人の親子教室だったんだけれど、月に1回のリピーターさんが予約した日をキャンセルにしてしまったので、他の日を・・・と代替に選んだ日が今日だったのね・・・・しかしながら、すでにもう4人・・・本来なら別の日に・・・と言う事にしたのだけれど、
何せ月1回・・・もしそこも無理です・・・って言ってしまったら、また来月・・・って事になり、2ヶ月空いてしまう事になる。そこで狭い中ではあるけれど、出来ない事は無いので、お受けする事にしたのね。勿論、こんな時、考え方として、折角・・・って付けて前向きに考える事にすれば、
4人で和気あいあいって自由な教室は何度もやっているのだし、ある意味手狭にはなるけれど、第三者が入る事で緊張感を生むって言う経験も中々出来る事でも無いし・・・・色々考えがあってそうする事にしたのね。では、そんなこんなの5人の相席教室。
まず、ぼーから。いつもならテーブルの真ん中にぺきぺきのザルを置いて、カルビと好きに進めたりもするが、何しろ手狭になった。そこで工夫したのね。それが今日は色を選ばせないで1色で大きな場所をやって貰う事にしたのね。そもそもいつもなら、飽きないようにここをやったらここ、ここをやったらここ・・・
って感じに色や場所を動かして目先を変えたりするのだけれど、何しろ今日は狭い。そこでザルがいらない工夫をして、更に5人を見るのだから、ちょこまか見なくても良いように、大きな場所を1色でやる場所を選んで、悩まず1人でも出来る事をやって貰ったのね。そこが背中の白い部分。
大き過ぎるよ・・・四角ばっかりになってるよ・・・・色んな形だよ・・・こんな呪文みたいな事だけで頑張ってやってた。本当に上手くなった。しかもいつもと違った緊張感と今日は何か早めに帰るらしく、それもあってか確かにお教室って感じな事もあってかも知れないが・・・・。お次はカルビ。
今日はバックに入ったんだけれど、正直ビックリしたのね。もっとザックリ入れると思ってたのね・・・なのに目地幅を揃えた。明らかに何か変わった・・。それは第三者が入ったからなのか?2人共お母さんに何か言われて来たのか?いずれにせよ、今日の2人にはビックリしたのね。
何しろこいつらは育成枠の2人だから、大事に育てたいのね。だから何しろ楽しんでまた来たい・・・って思って貰う事が大事で正直技術うんぬんよりも、何か何回も来てたら上手くなっちゃった・・・って感じにしたいのね。それが出来る環境だから。
高洲のサークルのように仲間意識が高かったりすると、純粋にモザイクをやる・・・って言う事の比重では無くて、そこにいる人達とのお話だったり、別の魅力なんてあったりすると、続けるきっかけなんてもんの1つになったりする。
勿論その分、個人レッスンよりも先生に聞く時間は少なくなるのだけれどね。ただ逆に言えば、1体1では味わえない和気あいあいって雰囲気ってものがあって、ご飯食べたりお茶するなんて時間に、一息入れる・・・・モザイクの話を離れたりも出来る・・・そんな余裕なんてものも生まれたりする。
勿論、その時間にみんなに自分の作品を見て貰ったりして、批評をしあったりも出来る。それが先生と1対1の批評とは違う感覚で、生徒同士の目線の批評は受け入れやすかったもしたり、新鮮な目線だったり、いずれにしろ自分の制作だけに夢中になる・・・ってだけが上手くなる訳じゃないのね。
人の作品を見るって言うのは良くも悪くも刺激になる。良くって言うのなら、側でコツコツやられると、私も・・・って気分になったりもする。その人が上手ければ特にね。色んな事を感じる事が出来るから・・・けれど、ひとたび後向きになると、私は下手だ・・・なんて気持ちになると、
何か卑下した気分に追い込まれる事もある。それが先生と1対1なら先生と比較してもね・・・って気分なら比べる必要は無いけれど、それとて上手くなった人の中には、先生はこんな事出来るのに・・・・私は出来ない・・・・と言うような事もあったりする。
全ては刺激って話で、その刺激をどう自分に生かすか?なのね。しかもそう出来る環境が俺の教室で、何故か?って言うのは、みんながそれぞれ違う事をしているから。それによって人のを見る事を刺激に出来る人は、あんなの作りたい・・・とか、これ良いなぁ・・・とか、次の作品の参考にもなったりする。
これがもし何年もやっている人も、ご新規も同じだったとしたら?比較も簡単かも知れないが、下手だの上手いだのって言うのを誰でも出来る作品で論じるなんて事になる。何か馬鹿げている。それを自分の作品として1点モノであれば、個々の実力で個々の時間で作っているのだから、
自分のやりたい時間の中でやれば良いだけ。刺激って言うのはやる気に火を付ける、前向きに使うのは良いが、後向きになるのなら必要なし。って言うのが良くある話なんだけれど、お姉ちゃんしかいないカルビと、一人っ子のぼーのセットだったり、弟子のさくらと弟子になろうとしているみどり・・・。
比較とかかぶるとか何も無い。そんな4人でのお教室はお教室の雰囲気は良くも悪くも無い。何か知り合いがこんにちはって集まって来た感じ。それが顔見知りになって同じ時間を共有して、名前を呼べるようになって、ちょっとでも話が出来るようになったりして・・・・。
そんな中、モザイクとしてかぶる事は無くても、大きくなった子の親のみどりは親としてはさくらより先輩だし、カルビはさくらの職業を目指していたりすると、モザイク以外に話す事はいっぱいあったりする。そう言う会話1つでも共有する事が出来ると、同じ趣味の人達なのだから、もっと深まる。
けれどそう言う会話が無く、黙々やってしまうと話し掛ける事に気が引けちゃうし、それでは緊張感ばかりを生むし、楽しみが個々のみ。勿論、それはそのスタイルの良し悪しがまたあるだろうけれど・・・・。いずれにせよ、今日の2人は良く頑張ってた。それではリピーターさん。
ここもある意味、ぼーと一緒で緑のエミリア1色でひたすら幅を合わせて切って張る・・・文字の繰り返し。何しろこんなに沢山の色があっても1色。みんながいれば、当然色んな色を使った作品を見る事になるが、何も変わらずマイペース。そう言う人じゃないと中々こう言うモザイクの進め方は難しい。
何しろここでしか作らない方だから、ここに来たらここら辺まで・・・と決めた所を黙々とやる。そう言うスタイルだから、いつも一定。進み過ぎず、慌てる事も無い。それが証拠に後少しで緑の文字が完成・・・って所まで行っても、辞める・・・・中々こう言う事って出来ないものなのね。
何か終わらせたくなっちゃうでしょ?そうね、気分じゃなくて、言葉としてはどうかな?と思うけれど、修行みたいなモザイクって感じなのね。あはははは。凄いのね。そんな方だから、仮に賑やかでも大丈夫だろう・・・って相席にしたんだけれど。流石に安定感あるのね。ではさくら。
何か非常に調子が悪そうで、考える事は嫌って事なので、それじゃ遊びで・・・と体験教室の下地を何点か出すと、先日のCafe pa paさんの下地をやる事になって、何か始めたなぁ・・・・と思ったら、何だかんだこうなる・・・。何処が遊びなんだかっ・・・・。しかもこの面だけ。
まぁ上手くなった奴の遊びって遊びの自覚無しでこんなの作って、遊びって・・・・俺には相当意地張って必死に見えるんだけれど・・・・。お見事なのね。ではみどり・・・・。
えっ・・・・正直、手狭だったので目は離してはいた・・・・まさかそうなっているとは思わなかった・・・・何でこうなった?・・・・バックがグレー1色になっている。何で?・・・すると前回、黒は無いな・・・って言われたって。だからグレーしか無いから、後は薄くするしか・・・って。でも本当は黒くしたかったって・・・・。
最後の最後でこんな事が待っているとは思わなかった・・・今何が起こっているか?判る?あのね、黒は無いな・・・確かに言った・・・けれどね、ストレートは無いな・・・って言ったら、ストレートは投げないって意味なの?主体では無いって意味じゃないの?つまり黒ベースは無いな・・・だったのに。
参考に俺の初期の龍を見ろ・・・って言ってあったのに・・・・切り方に何の問題も無いのに、どうして1色で単調にやったのか・・・?もっと言えば、どうしてこうしたい・・・って言う事をもっと言わなかったか?もっと言えばどうして違和感を感じているのに立ち止まらずに進むのか?
全ては上手くなった証拠。不安なら止まる。けれど進みたい・・・美意識よりもこれしか無いならこれか・・・って切って張っただけ。しかも振り返る事すら辞めて、夢中で張った・・・・意図する事とは違うのに・・・・そしてそう言われたから・・・と俺のせいにする・・・。
それではもう二度とこんな事の無いように自宅ではやらないで・・・上手くなってタチが悪くなったから。たった数時間教えた事を繰り返しの場所なら反復練習として素晴らしい事だけれど、教えていない事を自宅での時間の方が長い人がやればどんな事になるか?・・・・判らないかな?
こう言う場合、例え話を大きくした方が判りやすい。ホームセンターで木工教室やって家を建てているようなもんなんだよっ・・・・その作品何百、何千時間掛けた?・・・・そんな大作なんだよ・・・どうして最後の最後にこれしか無いなら進むしか無い・・・になるのかな?
どうして次まで待って聞いてから・・・・って進まないのかな?どうして下山をしないかな?・・・もうそれ以上は言わなくても想像は付いたし、どうしてこうなるのか?って言う事も、モノつくりは自分自身なんだよ・・・・そんな事を平気で出来るって言うのは、心が病んでいるから・・・。
良く覚えて置くと良い・・・弟子になるのなら、今後これから起こる失敗の時も、思い込みで聞きもせず、それしかなかった・・・って進む事のみを選べば、必ず同じ失敗を繰り返す事になる。それよりも、みどりの場合は、立ち止まって、それで良いのか?本当に良いのか?ここはひとまず立てなおし・・・って、
下山する。そんな事が出来る気持ちが必要である。そもそも逆鱗に触れたのは、黒くしたかった・・・って強い意志があったのに、黒は無いなって言われた・・・ってたったそれだけのやり取りで全てを決めた事。何故?って聞き返さない事。納得したんでは無くて、言われたからしょうがない・・・って進めた事。
意思の疎通って言うのなら、きちんと納得するまで話すべき。そもそもオリジナルなのだから、本人以外どうしたいのか?は判らない。しかしその本人が仕方無いか・・・言われたから・・・って美から離れる意識でただ進める・・・・こんな事をこれだけの大作の最後の最後にやって良いか?悪いか?
そんなやり取りを弟子になろうとしている手前でやられてた気持ち・・・正直ガッカリではあるが、ここも人に立て直しって言うのであるのだから、自分も立て直し・・・・中心部からやりたいように直して来い。その様子を見て、グレーを剥がす。ただ全部剥がしたいなんて言語道断。
折角の失態。良い勉強になる。常に100点なんてモノつくりは無い。だからこれ以上は下げない・・・そう言う気持ちや気迫でやって来い。って話。その位の事はどんな人達でもやっている事。打たれたピッチャーが投げやりに投げる?4回転で転んだら諦める?子供だってプロ意識があるのならやらないのね。
そもそも仕事にしたいのなら、その位の意識は持って貰わないと。その意識の低さではお金をお客さんから貰う価値無し。人に凄いと言われる作品を作るようになったのなら・・・・それ相応の人としてでは無く・・・それを作った人として・・・それにふさわしい人であれ。を目指して欲しい。
いちいちへこむ暇があるのなら、今までの努力を無駄にしない、台無しにしない、そう言う着地の仕方があるはず。そんな事でへこむなら最初からこんなもんを作るな・・・と言いたい。こんな凄いものを作れるようになった自分に偽り無く、卑下せず、おごり高ぶらず、自分らしく・・・・。
俺には、どうせ・・・と意固地に作った駄作のバックに見えた・・・・ひたすら何か忘れたい・・・って必死なだけで切る張る技術の向上した人の意地だけのバックにね・・・だから美しくない。しかも意図する事も伝わらない。この不死鳥がもがいて脱出している絵だとするのなら、もっともっと苦しむと良い。
なのに悩まずに、これしか無いから1色で・・・全然悩んではいない。答えの出ない事に深みにはまって行く・・・そこから抜け出したい・・・そう言う葛藤の部分のバックには全く見えない。このままなら凄いワッペン。もっともっとモヤモヤしているここが一体何処なんだか、どうしたら良いのか?
答えは出ないが、持っている羽のみで飛ぶしかない・・・って活路を見い出そうとしている絵だと思っていたが・・・・。しばらく振りに喝って感じだった・・・。まっ、良いお灸だったと思うが・・・・。いずれにせよ、凄い不死鳥を作ったから、凄いバックが欲しくなっただけ。へっぽこならへっぽこのままで良いのだから。