katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

ノアさん教室とシドさんのテーブル

2015-06-23 00:23:32 | モザイク教室
今日はお昼頃からノアさん教室。それまではノアさんのパーツ切りをして待つ。ちなみに画像はお教室後・・・・


さてそれでは、いつものようにどうですか?・・・・から様子みから。おぉ、やってある、ある。しかもえっ・・・ここ・・・なんて部分が無く、スマートに見られるのだから、アトリエでやった所と遜色の無い質って事でもある。お見事なのね。

そんな中、今となってはバラがなぁ・・・・って言うのね。まっ言いたい事は良く判るのだけれど・・・。つまり理由はこうなのね。
そもそも作りたかったのはフラメンコのダンサー。ただ資料としてこの部分が良く見えなかったので、本人はバラで隠した感じだったんだろうね。

その時は上手く行きそう・・・・って感じだったろうが、今となってはこんなに上手に出来ちゃったのだから、そこから見ればフラメンコの質が上がった分、バラの質にプレッシャーが掛かったって感じで、何か返って難しい事になっちゃった・・・って若干の後悔・・・。そんな感じ。

でもね、もしそうならそれでも良いのね。だって下絵の時は何も気にしていなかったんだから、その時はバランスが良かったから始めた事が、今は上手く出来ちゃったからの後悔なんだから、質が上がっての事なんだから、また質を同じように下絵よりも上げれば良いだけ・・・・。

ならばどう上げるか?バラなら1つはお母さんの作品から盗むのが良いのね・・・・。何しろ折角、先人の上手い結果がそこにあるのだから、何処が素敵なのか?どう言う切り方、流れなんて言う形を良く見る事。勿論色は変えてね。

その時に問題なのは花の大きさの違い。ノアさんのバラは相当大きい。だからより繊細にスマホの拡大画像みたいな感じを見てやらないと、ザックリ仕上がってしまうのね・・・・つまり単に色で誤魔化した感じになってしまうのね。

そうかと思えば、そろそろバックの話も・・・となるのだけれど、下絵の時は白い壁に青い空って感じの表現で、出入り口の向こうには緑が・・・みたいな感じだったものが、今ではその白い壁にプランターに植物とか、単なる青い空では無くて、木が立ってたりするんだって・・・。

いずれにせよ、ここでもかなり具体化して来て、ダンサーに見合いつつある。こうして、これにあったこれ、これにあったこれ・・・って、やりながら考えている・・・こんな感じになるのが、下絵の時に輪郭だけで始めた人のやり方なのね。

何しろ下絵が素晴らしく繊細に描けたとしても、あの時のノアさんに切れただろうか?・・・・それは段々と切る事、張る事が上手くなって行ったのね。
つまりそう言うスタートでこのグレードになったのであって、ここまで出来たのなら・・・もっともっと・・・になったって話。

例えばきちんとした下絵で始めたとしたら、ノアさんはあの時きちんと作れたのか?って言うと、下絵をきっちりね・・・って言われている人達は、みんな切る事、張る事に困らない人達で、まだきちんと下絵の通りに切れない人が下絵にこだわって満足には描けない・・・しかもそれを切れない・・・

では、やる気が起こらなくなる。けれど、早くやって見たい・・・って意気込みはある。だから輪郭だけで出来る事を探しつつ、見切り発車ってやり方になるのね。それでもコツコツやってたら、ここまで出来る・・・って証明するような作品になりつつある。そんな話なのね。

そうした積み重ねで、もっともっと・・・って残りのスペースで、自分の出来る最高の技術を見つけているようなものなのね・・・。
だもの見る人は、そのパフォーマンスが伝わって来るから素晴らしく見えるのね。

そんな作り方をしていれば、質は上がるが進みは悪くなるし、けれど充実感は味わえる。はぁぁぁ、疲れたぁぁ、でも良く出来たぁぁぁってな感じ。
やっている時は夢中になっているが、最後に一緒に必ず鑑賞するのだけれど、その時に、わぁぁ良いぃなんて、声を聞くと良かったねって気になる。

ただね、教える側もここまで来ると、教えるプレッシャーが掛かるのね。最初は向き合って逆さまからでも教えられたのに、もう怖くて逆さまでは、ここはどうですか?・・・・なんて簡単には答えられないから、同じ向きで見ないとならないのね。それだけ緊張感が増したって事なのね。

そんな緊張感も先生冥利と言えばその通りって話だけれどね。まだ途中だけれど、凄いなぁって思うのね。少なくとも作ろうとしたフラメンコのダンサーはきちんとそう見える所までは来た。後はバック・・・ってやり方でもこの作品の質はキープ出来る所までは来たのだから。

けれど更にこれにあったバックを探そうとしているのだから、作りたいものが終わっても、更に質の向上って気持ちで取り組めると思うのね。
ただね、大変なのね・・・それを一番知っているのに、こっちへおいでぇぇって簡単に言う訳にも行かないし、覚悟はいるのね・・・お互いに。

作り手も大変だけれど、それを教える方もね・・・。しかもこんな大きい作品を電車で・・・って・・・・いつかある時、ズッシっと重みを感じる時が来る・・・その時は終わりが近づいた合図だよっ・・・っていつものセリフで見送ったけれど、こんな作品が趣味で楽しいだけのはずが無い。

ただ作り応え・・・・本当のモノつくりって言うのはこう言うもので大変な事もあったりして・・・本気で取り組むと、みんなこう言う作品が作れるのね・・・・輪郭の線から始めても・・・って言うのを見せてくれる作品でもある。

ただこんなシリアスだけの話ばかりじゃなくてね、これが意外と和気藹々にやらせて貰っていて、随分とお互い慣れて来たのもあって、やり取りが上手くなって、伝わったか、伝わらないか?の確認も少なくなったのね。何でも話題は良いんだけれど、その話題での自分の考えを話しながら、

進められたり出来るようになったのも理由の1つで、手が止まらずに進められれば、いちいち指導で手を止めずに話が聞ける訳で・・・。
そんな事が出来れば、例え話も広げられるから笑いも取れるが、しっかり手を止められては、作品は進まない、ふざけた事は言いづらい・・・。

だから真面目かっ・・・って話しか出来なくなるでしょ?それじゃ勉強みたいになっちゃうのね。色々教え方は人それぞれにあるだろうけれど、俺は何でも良いから相手の記憶に残す・・・って言うのを意識しているのね・・・。自宅でやる時にフラッシュバックして貰えるように・・・ね。

一人の時に困らないように・・・でもね、誰にでもそれは必要無いのね。何故なら自宅でやらないと、残るのは馬鹿話だけになるのね・・・そのやり方はね。インパクトがあるだけの事になるからね。例えばバイク乗ってるよ・・・なんてのがあるんだけれど、実際バイクには乗ってないけれど、

切るのに夢中になると両脇が空くのね・・・ほらバイク乗っているみたいでしょ?・・・・こんな事を記憶に残すと、この言葉で思い出す・・・なんて事に繋がったりするのね。勿論、こんなのは初歩の初歩だから、みんなに言ってる事なんだけれど、こんな場合は基礎の話だからみんなが必要な事で

、人によって覚える事は違うし、取り組むもの次第だからね。その人の時間だの作品内容で変わって来るのね。教え過ぎてもうっとうしいだろうし、物足りないって言うのも困るだろうし、適度が一番だろうけれど、中々その適度って言うのが難しいのね・・・・。

何しろノアさんだって、自分の作品がまさかここまでになるとは思わなかっただろうから・・・・最初とは違うと思うのね。きっとこだわり方もね。
その心変わりして行く気持ちに向き合う向き合い方って言うのは難しいのね。ここまで来れば、目標も具体化するだろうけれどね。

いずれにせよ、宿題はモザイクでは無くて、バラや壁の下絵をもっと細かく見て描き込む事・・・・それにした。
そんなこんなで終わった後に、最初の画像のシドさんのテーブル。

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