katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

お母さん教室と世田谷KEY俱楽部の下地

2015-06-19 05:37:50 | モザイク作家
今日は朝からお母さん教室。それが最近、朝早くブログを入れる事が多く、今日も同じくって感じだったんだけれど、ちょっと遅めも合ったんだけれど、ブログを入れてて、一体昨日の果物の名前は何だったっけ?・・・・って思い出せず、そんな中、途中で断念・・・。

それでかぐやに画像を見せてあれ何だっけ?・・・からスタート。それはライチです。って・・・・しかも、どうやらこっちに来た時に、一緒に食べる機会があったのに、俺はその時拒否したらしく・・・えっ、食べたんですかぁぁ・・・って。それはすまん・・・・。なんてスタート。

さてそれではお母さん教室。それが先日の海外からのリピーターさんの作品が置いてあったのを見て、凄いわねぇ・・・って。同じ花を作っているから、この作品の凄さも判って貰える訳で・・・更にそれを1人でやっている事もね。

ただね、常にそうなんだけれど、人の作品の評価をする自分の目は一体どの程度なの?そして、その目で作っている自分の作品は一体、人からどの程度の評価を受けるの?・・・・ってこの関係性が判らないのね・・・・大抵ね。ついつい自分はそれより落ちる・・・って考えちゃったりするのね。

そもそも評価を出来る目が肥えるって事はね、その目でこだわるのだから、そんなに甘く無い訳なのね。当然、そんなこだわりを持てば、こうしたい、あぁしたい・・・とこだわったりする。そのこだわりが漠然では自分の思うようにはならないが、どうして?何故?と明確にしていくと、

ここがこうなっているから、そう見えたりする・・・・とか、ここが素敵だとかになり、ただ花が上手い・・・とか綺麗だとか、単純では無くて、凄さの内容って言うのが判ったりもする。そんなこだわるようになった人の目で作った作品は、当然それだけの作品になっているものなのね。  

でも、その評価をして貰うにもたまたまこうしてアトリエなんかに置いて行った時に見て貰うか、相席でしか、人の評価を聞く事は出来ないのね・・・・
個人レッスンでは。けれどそれだって、上手くなればなるほど、それをきちっと評価する人は限られて来る。

しかも、いくら先生として俺が良いね・・・と言っても、先生は誰にでもそう言う・・・なんて言われてしまうと、評価する人を1人失う訳で・・・。
それが良い例で、かぐやに凄いですね・・・って言われた人は必ず大喜びするのね。何かとても嬉しいって・・・おいおい。

それは俺の弟子だよっ・・・って突っ込みたくなるのね。あはははは。ただ気持ちは良く判るがね。いずれにしても、そんなこだわっている人が上手くない訳が無いでしょ・・・って話なんだけれど、もっと言えば更にタチの悪いのは、自分の位置を下げるわ、こんなに作れるようになっても趣味って言う。

では、趣味とはなんぞや?って話になる。すると、お母さんが楽しみとか・・・賃金を貰ってないとか・・・ってな事になり、そっか・・・でもそうなると、こんな簡単に進まない作品は大変な思いで作っている訳で・・・何処が楽しい?・・・もっと簡単な方が楽しいんじゃないの?・・・・

それと、賃金・・・ね・・・多分、この辺で気が付く人は気が付くはずなのね・・・上手くなってお教室の手伝いやら、作品に参加したり・・・それじゃ賃金が発生した人はどうなのかな?・・・・つまりきちんと定期的に仕事があった場合はプロとなり、不定期の場合、バイトとかになるって事でしょ?

でもね、仕事を持って野球なんかやっている人をノンプロなんて言ったりもするのね・・・お母さんって一体何処に当てはまるんだろう?って・・・。
そんな中、お母さんもここが長くなったから、こんなつまらない話がお教室に大いに関係がある事を知っているから、付き合ってくれるのね・・・

すると、お母さんが昔は花嫁修業なんて形の習い事は塾みたいなもんで、母から強制みたいな感じでお休みしたいなぁ・・・ってやってたって。
けど、続けていると免状とか貰えるのね。じゃ趣味は?って言うと、楽しみとして自分で決めてやっているのね。

だから強制力は無い。続けるのも辞めるのも自由なのね。ただ嫌々やっていても続けていると強制力が結果としては身になり、楽しみで自由だと強制力が無いから続けるのも辞めるのも自由となると、嫌々じゃないのに中々続かなかったりもする。

また視点を変える。音楽の話になって、お母さんは演歌が嫌いらしいのね。正直、お母さんの歳では珍しいとは思うんだけれど・・・。
すると、カラオケにも行くらしいんだけれど、じゃお母さんは一体何を歌うの?・・・って気になったのね。

するとコーラスみたいな・・・って言うのね。俺はそう言う分野が苦手だから、知っている範囲で言えば、ゴスペルとかあぁ言ったハーモニーものならな問題無く聞けるけれど、年末の第九みたいなのは苦手なのね・・・って話をしていて、演歌はこぶしとか楽譜に無い事があるけど、

コーラスみたいなものは楽譜通り・・・って。つまりお母さんは、いくらか楽譜に明るいって事?・・・なるほどね。要するに楽譜、レシピ、設計図・・・そう言う基本があって・・・ってものが得意だとするのなら、感覚、アドリブみたいな事が苦手って事?

でも、モザイクはオリジナルだよね・・・?こう言うやり取りの中でも、何が得意なのか?何が不得意だったか?こんな事をお母さんの歳で聞かれる事は無いだろうけれど、それによって、あぁ本当ですね・・・なんて発見があるのなら、そこに新しい発見があるはずなのね・・・。

つまり、歌は好きだけれど演歌は嫌い。嫌いな理由はこぶしみたいな決まりの無いような節回し。きちんとした楽譜通りで無いから・・・と言うのなら、これをモザイクに当てはめれば、花は好きだけれど何でも良い訳じゃない・・・みたいに掘り下げれば、楽譜通り・・・つまり下絵を描き込む事

・・・そう言う事になる。そうすれば切って、張るだけになる。でしょ?しかもそこに心配は少ないのだから、質は上がって行くはずなのね。
こんなやり取りの中、今日一番の名言を頂いちゃったのね・・・お母さんから。

お稽古事は趣味じゃない。・・・・・凄いわっ、目からウロコとはこの事なのね。ならお母さんのモザイクはお稽古事じゃん。確かに俺が先生だから師範代って感じじゃないし、アトリエに雰囲気も無い。けれどね、教えるって言う技術に関しては、別に劣っているとは思わないけれどね・・・。

って事は、アトリエの人達ってもはや趣味って域では無い人達ばかり・・・・って言うのは、お稽古事になって来たって事?
もしそうなら、上手くなって当然だわっ。だってお稽古事なら大変な事や辛い事もあるだろうし、趣味なら楽しいだけで良いはず。

ただ普通、お稽古事って言うのは、決まったものをみんな同じくやる事で、差がはっきりするものだし、作法なんてもんがあったりする。
所作なんて習った事無いもんなぁ・・・俺。ただ、それをみんなで作って行けたとしたら・・・・もしかするとお稽古事まで昇れるのかな?

ほら、そうなるとお母さんは俺の所では、本物のお稽古事とは?なんて知っている大先輩。色々教わる事があるのね。勉強、勉強、何事も勉強。
聞いて受け入れられるものはすぐに書き換え。いつまでもそこに立ち止まっていると、進歩が無いからね・・・。

昨日より今日。明日の自分の方が良くなってないとね・・・生徒に追いつかれちゃうと、捨てられちゃうでしょ・・・ね。
いつまでも同じ事を教えていれば良いのなら、追い付かれないからそのままで良いけれど、みんなが進歩するならね・・・立ち止まっていてはね。

こうしたやり取り1つだって得る事はいっぱいある。それをどう自分のものにするか?は全て自分次第。
そんな中、お母さんがCafe pa paのお教室、3人なのに手伝い必要ですか?・・・・って言うのね。実はお母さんには決まった時に日程を空けて貰っていたのね。

確かにさっき、かぐやにも同じ質問をされて正直、1人でも良いかな?・・・・と思っていたが、今の話を全部踏まえた上で、やっぱり最初の通り一緒に行って下さい・・・と改めて頼んだのね。ただし、特に質問されるまで何もしなくても良いって事で・・・。

本来、手伝いなら何かをして貰うものだけれど、現地がお母さんの家から近い事で負担は少ない事で頼みやすい事。そんな事を踏まえて、負担が少ないのなら、俺がどう教えているか?見て貰うのも良いかな?・・・・ってね。自分ならあそこはどうしていたか・・・とか、何か見て欲しいと思ったのね。

そんな事で得る事もあるのかも・・・ってね。それと、お母さんがお稽古事の人ならそんなに遠慮しなくても良いのかな・・・・ってね。
きちんとよろしくお願いします・・・と頼めば・・・。それと3人の生徒に2人の先生・・・有得ないって言うのなら、俺らしいから・・・。

理由はただそれだけ。ってそんなお教室の後は、世田谷key俱楽部の下地への写し。







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