2012-2013シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2012-2013シーズン
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2013年3月23日(土)6:00pm
サントリーホール
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ブラームス 悲劇的序曲
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マーラー カンタータ「嘆きの歌」(初稿版)
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ソプラノ、小林沙羅
ソプラノ(ボーイ・ソプラノ)、星川美保子
メゾ、小川明子
メゾ(ボーイアルト)、富岡明子
テノール、青柳素晴
バリトン、甲斐栄次郎
混声合唱、東響コーラス
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秋山和慶 指揮 東京交響楽団
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嘆きの歌、タイミング
第1部29分
第2部18分
第3部19分
合計66分(実測値)
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嘆きの歌はめったに接する機会がないはずなのに、ここのところ一年で3回目。
1364- 嘆きの歌 アルミンク 新日フィル2012.5.18
1392- スーパー・コーラス・トーキョー、嘆きの歌、インバル、都響、ジークフリート牧歌2012.10.3
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なにか策略でもあるのだろうか。そういえば何年か前にブル8のオンパレードということもあった。
嘆きの歌ならもう2,3回続いてもいいかもしれない。
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秋山はなぜか年齢とともに棒が強靭になっていくような気がする。さらに確信の棒に登りつづけている。見た目はティーレマンと似てきた、どっちが先かわからないが。
釘を抜く様な剛直な運動は確信の棒に見える。無理やりな強引さはなく、妙に清涼感みたいなものがある。さわやかな剛直さといったところか。
初稿版の日本初演者ということもあるのかもしれません。忘れていたことを思い出せばよく、もちろん、曲をオーケストラと合唱に移植するだけではなく、鳴りに余裕のようなものも出てきているのだろう。めったに奏されない曲で余裕の表現が可能なのはひとえに指揮者の力量が秀でているから。
企画面では字幕スーパーがなかったのが悔やまれる。コストの問題なのだろうか?
嘆きの歌は、観ながら聴いていればすぐにわかるのだが一つの歌がとにかく短い。カンタータだろうがなんだろうが、とにかくちょっと歌ってすぐに移ってゆく。これだと字幕スーパーも難しいだろうなとは思う。だからこそ必要。
プログラム冊子に対訳が載っていたが本当に対訳だけで、誰がどこを歌っているのかあれではわからない。歌がショートなのでいちいち書いていられないかもしれないが、それならばせめて、ここは(合唱)、ここは(独唱)みたいな注記があれば手掛かりにはなる。画竜点睛にするべきだったのだ。演奏の方はおそらく、成功裏なものが予想されていたような気もするし。
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第1部に物語が集約されている。事の発端と事件がここにある。全曲の半分近い長さ、一番ドラマチックな場面は字幕がないとわからない。マーラーの音楽は盛り上がりは見せるものの、普段慣れ親しんでいるブレイクしたマーラーの音響像からいうと当たり前のような膨らみであり、その感性で聴くと殺しの部分はむしろ滑らかとさえ言える。二十歳の劇的表現はこのようなものだったのかもしれない。
また、シンフォニーや歌曲の萌芽が見えるといった具合の話しは自分も前聴いたときに書いてはいるものの、当たり前すぎてあまり意味がない。なぜこんなにプチプチと歌が途切れながらつながっていくのかそのテクストを含めそっちのほうに興味が湧く。単に作曲家が若かったから、なのかな。ブーレーズとかだときっちり教えてくれそうな気がする。
主題は一つだけ鳴り響いており、あとはよくわからないものが並んでいるといった感じかなと思います。
秋山は力強い指示で進める。出てくる音は曲にむしろ手慣れた感じの表現で非常に安定している。一見剛直そうだが実は柔軟な演奏。歌い手たちも歌いやすそうです。
第1部30分をあっという間に聴かせてしまう秋山の力量はすごいと思います。オーケストラは機能も含め膨れ上がっていくことになりますが、それでいて歴史的にはそれまでにないような革新性が感じられる、全部とにかく、広がりの可能性を大きく感じさせてくれる。この第1部だけで十分魅力的に思えました。この演奏あっての成功でしょう。
字幕スーパーがないことだけが悔やまれます。
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第2,3部は言わずもがな、骨の笛がポイントになりながら進行していきます。これだけで十分に劇的な内容ですが、音楽の劇的なものがきっちりと作られているとは言い難く、秋山の演奏解釈とその表現があってこそのドラマチックな展開だったと思います。息をつく間もないストレートな棒でありながら、妙に居心地がいい。
何事にも媚びない内容のあるいい演奏でした。
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ブーレーズは自作自演がとにかく一番素晴らしいと思う。最も過激だった時代の自作が一番面白いという時代はいつかは来るはずと思いつつ、時代背景的には当初思ってもいなかったような合体での全曲収録(たしか)となったロンドン交響楽団・他によるマーラーの嘆きの歌だったはずだが、それが1969~1970頃だから40年以上も前。シンフォニー全曲ありきの後ではなく、この曲。
ブーレーズの意思や意図が明瞭で、それは曲の響きにも同じ言葉で表現できる。過激な作曲家としては頭の中でシンフォニー全部消化され既に通過していたのかもしれず、それがあればこその10番第1楽章、嘆きの歌、だったような気がする。(今となってみればだが)
日本国ではどうだろうかと思うに、マーラー・ブームとは言い難く、単にブレイクの継続状態。発掘行為の最果ての一つが嘆きの歌だと思う。むろん、ここ20年余りで国内オーケストラは昔とは比べ物にならないぐらいうまくなっているので、そういった部分での寄与も当然ある。つまり、嘆きの歌でも聴かせるようになったのだ。
この曲を含めたブーレーズのライブ収録での一連の再録。クリスタルのようでありながら柔らかい。みんな、もとには戻れないかもしれないが、マーラーの後は自作があるじゃないか、とブーレーズに言いたい。
演奏の発掘材料としての同曲の地位は終わりになり、いつか嘆きの歌の時代は来るのだろうか。
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ブーレーズ全作品CDが4月に出るようです。
ピエール・ブーレーズの作品全集BOX
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