ニューヨーク・フィルハーモニックの最初のコンサートは1842年12月7日だから、1941-1942シーズンは100周年記念シーズン。
日本から見れば昭和16-17年で大戦争中に突っ込むところであるが、アメリカの当時の録音を聴く限り危機的様相はまるでない。
この1941-1942年シーズンの定期は110回。
タクトをとった指揮者がすごい。
アルトゥーロ・トスカニーニ
ウォルター・ダムロッシュ
セルゲイ・クーセヴィツキー
ユージン・グーセンス
フリッツ・ブッシュ
ディミトリ・ミトロプーロス
アルトゥール・ロジンスキー
ブルーノ・ワルター
ジョン・バルビローリ
レオポルド・ストコフスキー
このシーズンは、バルビローリからロジンスキーへの橋渡しのシーズンとはいえ、よくこれだけの指揮者がそろったもんだ。彼らの指揮する公演の数々を現場の素晴らしい音で楽しむためには、タイムマシーンを使わなければならない。それで、河童は初日の公演にトリップしてみました。
1941年10月9日(木) カーネギーホール
バッハ‐ストコフスキー トッカータとフーガ・二短調
バッハ‐ストコフスキー アンダンテ・ソステヌート(ヴァイオリンソナタ)
ベートーヴェン 交響曲第5番
int
ヘンリー・カウエル 田舎の言い伝え
ワーグナー 「トリスタンとイゾルデ」より、前奏曲と愛の死
レオポルド・ストコフスキー、ニューヨーク・フィルハーモニック
ストコフスキー編曲によるバッハの響きはやたらと素晴らしく、しばしば地下鉄の音が聞こえてくるこのカーネギーホールにおいてもその豊穣な響きに圧倒された。
バッハ‐ストコフスキーの最上盤は、フィラデルフィア管弦楽団によるものであると絶対に確信しているが、それでも彼が振るニューヨーク・フィルの音は、これはこれでやはり何ものにもかえがたい。
逆に激しい音楽であるはずのベートーヴェンが端正に聴こえてくるから音楽というものは不思議だ。
後半、愛の死で締めくくるというのもストコフスキーらしからぬところがあるかもしれないが、そんな勝手な物言いは我々の作り出した想像だ。
後半一曲目にアメリカ作曲家カウエルの曲が設定されている。ストコフスキーの面目躍如というところか。
この定期は2日間のセットもの。ストコフスキーが初日から2日ワンセットで8回振っている。
10月9-10日
10月11-12日
10月16-17日
10月18-19日
それで、
必ずアメリカの作曲者のものをいれている。
10月9-10日 ヘンリー・カウエル
10月11-12日 ロイ・ハリス
10月16-17日 ポール・クレストン
10月18-19日 モートン・グールド
この信念が大事ですね。オケ自国の音楽を、なにがなんでも、とにかく、やる。やってから、考える、それでいくことがいいときもある。
それやこれやで、
このシーズンの締めくくりは、こんな感じ。
1942年5月3日(日) カーネギーホール
ベートーヴェン 交響曲第8番
Int
ベートーヴェン 交響曲第9番
アルトゥーロ・トスカニーニ、ニューヨーク・フィルハーモニック
これは、4月22日からのベートーヴェン・フェスティヴァルの最後を飾るものでした。この日の演奏を聴くには、河童は現在に舞い戻り、もう一度トリップしなければならない。
おわり