河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

350- ギネス・ジョーンズ サントリー・ホール5周年記念で歌う 1991-8

2007-07-16 16:06:00 | 音楽



 

1991年の来日公演のことを書いてます。
自分が生聴きした公演からピックアップしてますので、全部を網羅しているような記録とは異なります。

1991年はサントリー・ホールが出来てから5周年記念ということで、いろいろと催しものがあったのでしょう。
これもその一つだと思います。

サントリーホール5周年記念コンサート
1991年4月29日(月・昭和天皇誕生日)
7:00pm
サントリーホール

華麗なるプリマドンナ
ギネス・ジョーンズの夕べ

オール・リヒャルト・シュトラウス
プログラム

(前半)
ドン・ファン
4つの最後の歌
(後半)
ティル
チェチーリエ
あした
東から来た三博士
子守歌春の祭り

(アンコール)
2曲+1曲

ソプラノ、ギネス・ジョーンズ
ロベルト・パータノストロ指揮
東京交響楽団

NHK-FM生放送中継あり


この日の公演は、NHK-FMが生放送をしていて、河童の蔵から久しぶりにDAT(ディジタル・オーディオ・テープ)を取り出して聴きながら書いている。
留守録をセットアップしながら生公演を聴く、というのは比較的ぜいたくではあるが、生公演を聴いた後、家でもう一度聴くというのは演奏会の雰囲気の香りがなんだか失われてしまうようで複雑な気持ちではある。

この日のプログラムは、当初の予定と順番が変更になっている。
前半後半の最初の曲はオーケストラ曲であるが、それ以外のオーケストラ伴奏曲が全部、前半後半入れ替えになっている。
だから当初最後に歌う予定だった4つの最後の歌が前半にきている。つまり、ジョーンズにとっては第一声が4つの最後の歌ということになる。
4つの最後の歌の第2曲のホルン・ソロ、第3曲のヴァイオリン・ソロの味わいはいま一つだ。
ふくらみがなく情感がこもっていない。歌うように吹かなければならないし弾かなければならない。心がこもっていないとジョーンズに失礼だ。
ジョーンズはいきなりの難曲で大変であるが、昔からのぶら下がり気味の歌は健在なものの、すれすれのところで声をビーンと張ってもちなおしてくる。
経験というか余裕というか、出だしであまり声がこなれていないなか素直な努力が聴衆に一層の緊張感を強いるようで、前向きな姿勢のコンサートだ。

ジョーンズはこの年、53才だった。
歌手の寿命は短くピークは過ぎているとはいえ、別に60才70才で歌っている人もいるわけであり、あまり歳のことをいうのもどうかと思う。
確かに指揮者に比べたら短いが、指揮者と体が楽器の歌手では比べる意味自体、無意味。
4つの最後の歌は作品自体が驚異的に素晴らしく、指揮者もオケもそれなりのことをしていれば雰囲気が自然に出てくる。
大変なのは歌い手だ。歳だろうがなんだろうかこの曲を選んだこと自体、うまくやりとおせる自信があるからなわけで我々としては聴くしかない。
第1曲はゴツゴツした感じであったが、2曲3曲と進むにつれ、ぶら下がり気味の声も丸みを帯びてきていい感じだ。第4曲はオケともども同じ流れに乗り、消えゆく音楽が最高潮に達した。
そして、これら全部をぶち壊した一人の聴衆は、何年何十年何百年経とうとも、背に決して消えぬぶち壊し屋の刻印を背負って生きなければならない。
あれはフライング・ブラボーではない。公演をぶち壊すためにわざわざ意識してやったとしか思えない。テープにもしっかり残っている。
こんなレベルだから、日本人は聴いているときは静かだ、と海外の演奏家に言われているのだ。これは誉められているのではない。馬鹿にされているのだ。
なんでこんな簡単なことがわからないのだろうか。

ということで、前半が終わったところで、このぶち壊し屋がどのようなインターミッションをとっていたのか興味のあるところではある。
まさか、自分が一番この曲を知っていて、だから最初に叫んだんだよ、なんて溜飲を下げているわけではなかろう。
もしそうだとすれば、救いようがない、というのはこのことだ。反省すれば1パーセントだけ救ってあげてもいい。

後半の2曲目のモルゲンは良かった。フレーズ間の空白というよりも、空白な空間をたまに漂う歌がある。
この雰囲気を作れるのは、ホールと聴衆を支配できる歌手だけ。
グレイトなオペラ歌手が、馬蹄形のオペラハウスを沈黙させるあの雰囲気ですね。
後半5曲は続けて歌われる。曲ごとの拍手は遠慮願います。と、ジョーンズからのお願いがプログラムに載っていたが、そうでなくても前半フライングがあったので、この日のような雰囲気の場合大抵、後半はみんな静かにしている。
ぶち壊し屋以外の聴衆が反省してあげているわけだ。
4曲目の子守歌ではジョーンズのぶら下がり気味の歌い方がまた気になりはじめた。
癖のようなものだが曲によりそんなに気にならなかったり、すごく気になったりする。

最後にアンコールが3曲あったが、NHK-FMでは時間の関係で最初の2曲しか放送できなかった。
最初の2曲は後半の流れでシュトラウスの歌曲であったが、最後の曲は記憶によるとシュトラウスの曲ではなかった。
ギネス・ジョーンズを最後に聴いたのはたしかこのときで、その前に彼女の歌うこの曲を聴いたおぼえがないので、記憶によると最後のアンコール曲はこれ。
プッチーニ/トゥーランドット より
書かなくてもわかりますよね、あれです。
すさまじい限りです。
しかし、時間の関係で放送されなかったのです。
このような特別生放送の場合、アメリカだと必ず最後まで全部やる。
日本だとダメ。
あらかじめ決められた放送時間があって、それを延長とかするとコンピュータでプログラミングされている放送時間割が崩れる為やむなく時間枠で切っているとそれらしき理由をいったりしているが、コンピュータ制御なら変えるのは簡単なはず。何の為のコンピュータなのか。
変更するといろいろと人為的なめんどうくさいことが発生するからやらないだけといったところが相場だろう。
プロ野球中継でも一番おいしい局面の前に放送終了。
一番肝心なことをすることを、一番良く現場のことを分かっている人間が、しない。
現場の人間にそのような意思決定が出来ないからどうしようもないのだと言われたりするけれども、それならば現場の人間が分かっていても出来ないことを、意思決定者が、分かっていなくても出来るようにするのが、声というもの。
このような誤りが衰退の原因の一因を作ったりしている。

それはそれとして、ギネス・ジョーンズの炎の核は、1991年当時、いまだ赤々と燃えており、体力気力も充実していたように思える。
一夜限りの充実した夕べであった。
おわり


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