河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1245- モツコン24 清水和音 マーラー5番 ペトル・ヴロンスキー 読響2011.5.23

2011-05-25 00:43:22 | インポート

2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから
2010-2011シーズン
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2011年5月23日(月)7:00pm
サントリーホール
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モーツァルト ピアノ協奏曲第24番
 ピアノ、清水和音
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マーラー 交響曲第5番
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ペテル・ヴロンスキー指揮
読売日本交響楽団
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この日の公演の指揮は当初、のだめのズデネク・マーカルが予定されていたが3.11東日本大震災とその後のフクシマの影響でキャンセル、ヴロンスキーに変更になった。
マーラーの曲は棒により大きく変容するので、聴く方の影響も大きい。
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前半のモーツァルトは完全に清水が自分の世界に入っていて、たまにこっちを向くものの聴衆のことはあまり眼中にないように思える。
わりと遅めの解釈で、非常に粒立ちがよい。音符ひとつずつの切れ味がよい。聴いている席のせいかピアノの反射音がよく聴こえる位置で極上シート。ピアノの幅が広くて振幅のある弾きっぷりがもろにわかる。
なんだかどんどんスローになっていく。立ち止まりそうになるのだが、点と点ではなくつながりを感じることが出来るのは奏者がこのモーツァルトの音楽の全体像を理解して弾いているからだと思う。
立ち消えそうになった第1楽章であった。そして第2楽章でややスピード感覚はもちなおしたもののデリケートな表現は変わるとところがなく全体表情はペイルな感じで細胞が一つずつ透けるような演奏が続く。
第3楽章は第1楽章の思いを引きずっていて、オーケストラのスローな響きとピアノのトリッキーな表現の対比がおもしろい。弱弱しくも知り尽くした音楽表現が魅力的でいい演奏でした。
また、ウィンドの遊びも、久しぶりに聴くモーツァルトの音楽の遊び。満足しました。
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マーラーの5番は約75分のヘビーな演奏でした。指揮のヴロンスキーはやたらと動くわりには聴こえてくる音楽が鈍重でメリハリに少し欠ける。音楽をつかむことにかけては長けていると思う。まるで映画音楽のような75分でした。
ですが、変化や流れや燃焼や歌やチリチリする情熱や、そういったものをあまり感じることができない。早い話、まんべんなくスローで、胃もたれ。たとえば第2楽章結尾のブラスのファンファーレ、まるで粘り腰の納豆のようなやにっこさとスローさ加減。ヘビーで、だいたいこんな感じでずーと進む。
また第1楽章なんかは、主題間の経過句の味わいはまさにゼロ。第1主題第2主題がただならんでいるだけで、この楽章はこんなにシンプルだったのかと妙に納得したりする。
それに、おそくてもつれるオーケストラというのも妙な話だが、そのような怪しさも随所に聴かれました。
第3楽章のホルンは位置を左の台の上に移動。立ったまま独奏。お見事でした。音色が強弱変わることがなく均質で素晴らしいサウンドと技術で魅了。
第4楽章は約12分、ドライでしかし読響のペイヴメントのように敷きつめたストリングの重い響きは魅力的で、この音楽を繊細でありながら横幅広く聴かせてくれました。非常にいいい演奏でしたね。
第5楽章は遊びがない。どうしても重いまま最後まで進んでしまいました。重いまま転がってしまった。
こんな感じだったのですが、ヴロンスキーはドラマチックとはちょっと違っていて、映画音楽のような立体的な表現を目指していたのかもしれない。この音楽のサウンド面、音圧等それ相応の楽しみ方、聴く人によりいろいろな側面をそれなりに楽しめるものでした。
おわり
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