河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

0127- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -1-

2006-11-27 00:01:00 | 音楽

0127- 昔、テミルカーノフはニューヨーク・フィルにデビューした -1-

テミルカーノフがニューヨーク・フィルにデビューしたのは1986年のこと。
クラウス・テンシュテットの代振りである。
当時、ヨーロッパ、アメリカと飛ぶ鳥を落とす絶好調テンシュテットがキャンセルした。
Indisposed気分が悪い(振る気がしない)。
というわりには、プログラムはちゃんとあらかじめ、テミルカーノフ、ペトロフの名前が刷り込まれ、また、きっちりプログラム変更もされている。
普段、プログラムは一週間4日分のものであるため、直前変更も比較的即座に反映される。
とはいえ、用意周到だな。前の週もキャンセルだし。

いろいろあったのだが、それは後述の新聞記事にゆずるとして、テミルカーノフは思い切り振った。
名前の発音もおぼつかない新聞記事もあったが、とにかくデビューした。
こんな感じで。


1986年1月9,10,11,14日
エイヴリー・フィッシャー・ホール

プロコフィエフ/交響曲第1番
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番
 ピアノ、ニコライ・ペトロフ
シベリウス/交響曲第2番

ユーリ・テミルカーノフ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック

当時の発音はこんな感じだったらしい。
Tay-meer-KAH-noff

ということで、初日9日の雰囲気はどんな感じだったの?例によって昔のカッパメモから。


今晩も本来ならば、クラウス・テンシュテットが振るはずであったのだが、キャンセルとなり、ユーリ・テミルカーノフというソ連の指揮者が振ることとなった。
プログラムも総入れ替えであり、ピアニストもソ連のニコライ・ペトロフ。
これらの経緯については、ニューヨーク・タイムズの記事に詳細が載っている。
テミルカーノフもペトロフも名前だけは知っているのだが、こうやってRussian Setでなくても聴くのはもちろんはじめて。

テミルカーノフはかなり小柄である。
またかなり腕が長くぶらぶらしている。
棒を持たない指揮なのだが、まるで棒を持っているようなそれぐらいのリーチだ。
彼を見て瞬間的に思い浮かべるのはアシュケナージであり、彼らはきっとソ連の同じどこかの民族かもしれない。
たまにトリッキーな動きをするが不自然さはない。
体は小柄なのだが全てが自信に裏打ちされており、説得力がある。
今晩のプログラムで彼の力量がニューヨーク・フィルの人々の前に披露されるのは、もちろんシベリウスなわけであるが、このシベリウス、彼の注入力のあとがはっきりとみてとれる演奏であったように思う。
まず、ひと耳でわかるのが、休止の扱い方である。これは完全に意識されたものである。休止がいわゆる日本風な間の呼吸を感じさせる。
シベリウスの長い呼吸の音楽において、このようなフレーズ単位の間のとり方は、微妙な音楽を作り出し、シベリウスの音楽を非常に魅力的なものにしている。
特に第2楽章が印象的であり、いつも聴くこの曲に比べて第2楽章のバランスを大きく感じたのも、きっとこのような理由によるものに違いない。
音楽が盛り上がる時の盛り上げ方が、また一種独特である。
雪山のスロープをスキーで駆け上がるような感じなのだ。
駆け上がるわけであるから爽快感とはちょっと異なる。
これらの現象はシベリウスだからこうなったものなのか、彼の音楽そのものなのかよくわからない。
もうひとつ、音楽解釈に、昔への回帰現象、みたいなものがあらわれている。
これは別に彼のみに限ったことではなく、このごろの現象。
ソ連でもこのような現象はあるのか、もう一度あのムラヴィンスキーを聴けたとしても、古いと感じるかもしれない。
最後は、ニューヨーク・フィルのブラス・セクションがロシア風壮絶音楽に共鳴したかのごとく、ここは何故かシベリウスなのだが、ミックスしたものすごい平衡感覚で音楽を閉じた。
マンハッタンに生きている限りなにごとも「やりすぎ」という言葉は存在しない。
全てが相対的。
テミルカーノフははじめてということもあるのかどうか、非常に丁寧な指揮をしており、ひとつひとつかなりわかりやすく振っていた。
入念であり、間違いがあってはいけないのだ。彼がソ連から背負ってきたのは音楽だけではないのかもしれないのだから。
ペトロフは明らかにそうである。
聴衆に対する礼一つとっても明らかなように、彼はロシアに仕える人物であり、インターナショナルな人物ではないようだ。
アメリカ人に拒絶反応を起こさせるようなことをしてアメリカで成功したロシア人はいないのだ。プロレス以外。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第2番はいつ聴いても不思議な曲である。
何一つメロディーらしきものはあらわれず、第4楽章でかろうじて、昔のロシア風メロディーがかすかに流れてくるのだが、それも束の間である。
思考するピアノの長大なソロパートがあったかと思うと、ひたすらオーケストラの彷徨とリズム。
これはその当時のプロコフィエフの思考の進行状態を考えあわせながら聴く音楽なのかもしれない。
迫力の点ではプロコフィエフの表現した音楽を再現しているようだ。また、この複雑な曲、技術的な問題など、あのロシアがニューヨークに送り出した人物につき、あるはずがない。


といった支離滅裂河童の文章であるが、ひとつ答えがあったのは、当時からテミルカーノフは棒をもっていない。
また、ペトロフもこんな昔から、ひたすらプロコフィエフの2番を弾いていた、ということ。
(続く→ -2-)


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