河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

0011- 全日本吹奏楽コンクール

2006-07-05 01:19:48 | 静かな悪友S

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河童―「最近の大会は、金賞、銀賞、銅賞みたいな順位付けになっているのか。」

静かな悪友S―「最近ではない。もうずいぶんと昔からそうなっている。」

河童―「なめんじゃねぇ。なんで一位が何校もあるんだ。」

S―「知らん。」

河童―「審査員の耳が悪くなっただけじゃねぇのか。」

S―「そうかもしれん。」

河童―「自分たちの耳を棚に上げて点数付けか。なめんじゃねぇ。」

S―「最近は中学高校ともレベルの向上が著しくて、その差が狭まっていると思う。」

河童―「なんだぁ。それじゃ審査員の耳だけが昔のままでレベルは上がっていないと言うことじゃねぇか。」

S―「そうかもしれん。たしかに高校野球や春高バレーで金賞4校、銀賞3校みたいな話しは無いな。」

河童―「なんで完膚なきまで白黒つけないんだ。どうせ審査員なんてろくでもねぇ連中がやってるんだろ。」

S―「よくわからんが、毎年ころころよく変わってるようだな。オケの団員とかも審査をしたりしてるみたいだ。その辺からあらためないとだめなんだろうね。」

河童―「なさけねぇ団体だな。その昔ははっきりと一位、二位、三位、四位、五位、六位、七位、八位、、、、、となっていたはずだ。」

S―「昔は五位ぐらいまでの学校は、音楽に少し詳しい連中はみんな知っていたし。」

河童―「あたりめぇだ。全国大会に出れば部活の年間予算もたんまりもらえたんだ。」

S―「そうなんだ。」

河童―「俺はきいたことがあるぞ。その昔エルザの行進で全国大会三位にはいった学校があったな。例のY校だ。」

S―「おっ。その名前聞いたことがあるぞ。」

河童―「あたっりめぇだろう。弱音系がきれいで定評のあった高校だ。いまどき、弱音が美しいとか、流れるような音楽に特徴がある、などといった学校なんかあるもんか。ただ技術的にうまいだけじゃねぇのか。」

S―「かもな。それでその高校は三位どまりだったのか。」

河童―「ちょっとまて、エルザのときは七位で、翌年カリニコフで三位だったかな。ジャンニーニだったかな。ちょっと皿が乾きすぎだ。その翌年ずにのって、パルジファル!をやったら弱音過ぎて途中で落ちてしまい、全国までいけなかったようだ。」

S―「なるほど。それはそれでなんとなくありそうな話しだなぁ。昔から時間の流れに乗っていなかっただけなんだろう、審査員が。その年だけ聴けばいいみたいな。どっかの音楽評論家みたいだなぁ。」

河童―「わぅぅ」

S―「なんだその声は。」

河童―「河童が意見に同意したときの声だ。」

S「結局、文化の平板化だと思う。」

河童―「なんだそれ。」

S―「つまりだな。便利文化に感化されて育ってしまうと上位互換性しかなくなってしまうんだ。」

河童―「なんだそれ。パソコンみてぇだな。」

S―「つまりだな。どんな辺鄙なところに旅に出ても、寝るときはクーラーにベット。トイレは水洗洋式ウォシュレットでなければならなくなるのだ。観光のときだけ、すごい景色だな、とか言っている。一回楽してしまうとそれ以下での生活様式は出来なくなるわけだ。」

河童―「音楽と水洗便所が関係あるのか。」

S―「つまりだな、一度うまくなって技術が上位互換性レベルまであがってしまうと特色がなくなってしまうんだ。地域的な特色がなくなってきて、どこのオケもただ単にうまいだけ。そしてどこへ行っても同じレベルの演奏となってしまう。つまり文化の平板化だ。」

河童―「そしたら審査員もある程度しょうがないんじゃないのか。まて、このせりふ最初と逆のことしゃべってるな。自分でも変に納得してしまったな。」

S―「いやいや、そうじゃないんだ。いまどきの審査員は聴く経験を持っていないんではないかと思う。文化の平板化というならば、その平板の地球の上の音楽を普段から聴きまくってなければならないと思うんだ。そういう意味では耳が悪いだけではなく、経験が少なすぎるんだ。吹奏楽だけ聴いていてもだめだな。」

河童―「そりゃそうだ。昔、高校の定期演奏会でベートーベンの運命の第3、4楽章とかやってたクレイジーな高校があったな。」

S―「それも例のY校なんだろう。」

河童―「わぅぅ」

S―「ほら。でもそうやって、やる方は腕を磨き、聴く方は耳と皿を磨いたんだな。」

河童「わぅぅ」




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