河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

シカゴ 初上陸

2006-07-10 00:07:10 | 音楽

1_23 この年、チェリビダッケが初来日し、真の演技性を見せてくれた。今なお忘れがたいことがたくさんあるが、今日はその話ではない。同年19776月シカゴ交響楽団がゲオルグ・ショルティとともに日本初公演をおこなった。サラリーマンの僕はもちろん仕事より音楽の方が優先度が高いわけだから帰りのタイムカードは、協力体制がしかれた同期にお願いした。チケットは実は当日券である。窓口にいったら何かの拍子で招待席みたいなところをゲットすることが出来た。会社を早めに抜け駆けした甲斐があった。隣に30年前の小沢征爾らしき人物がいたのをはじめ、日本の当時の著名な音楽評論家、音楽関係者が山のように来ていた。ことのほか眺めのよい席で、聴く方のやるき度も臨戦態勢十分。

記憶が鮮明なのはマーラーの5番。前半はジュピターだったが内容は覚えていない。強烈なマーラーであった。日本で初めてみるシカゴの超一流プレーヤーによるマーラー体験。アドルフと思しきトランペット・ソロに導かれ、輝かしいフル全奏が上野のホールを揺るがしたとき天井は蓋が取れ、聴衆は座席から全員10センチ浮いた。なんという強大で圧倒的なサウンド。全員ぶちのめされた。とにかく最初から最後まで、音楽がドライな感じでピアノとフォルテを蛇腹のように展開させる。第2楽章後半のファンファーレではアドルフ率いるそのセクションの末席には、今はニューヨーク・フィルの主席を占めているフィリップがいたはずだ。なんという輝かしいファンファーレ。圧倒的な第1,2楽章が夢のように終わり長大な次の楽章に突入した。デイルはピクリとも動かないで、生きたセメント銅像、みたいな感じで第3楽章のホルンパートを涼しげにふいている。キングコングの毛で出来ていそうな強靭なコントラバスが青白い炎をビーンと響かせているアダージョ楽章でさえショルティのびくつく、どつく指揮棒は変わらない。あの棒から何故あのような音楽が流れ出るのか。亡くなる前にシカゴのオーケストラ・ホールでおこなった演奏家形式のマイスタージンガー全曲は静かで柔らかで威厳と確信に満ちていた。踏みしめる人生の夕暮れ。昔のオペラ劇場でのいろいろな出来事、たゆまぬ努力、そのようなことの集積がこのマイスタージンガーにはある。その演奏でもどついていたんだろうな。

それで、最終楽章に突入した。この奇妙なフーガは果てしも無く音量増量大盛り特盛り状態になり、最後の弦によるゴソゴソしたもつれを最後のブラスで締めくくるわけだが、このシカゴにもつれは最初から無い。ハイな技術がシナジー効果を生み、こちらの楽器の技術のエコーがあちらの楽器のエコーとエコー同士さえも共鳴しあいさらなるエコーを生む。真の技術を生かしコントロールできたのはライナーとショルティだけだったのであろう。唖然茫然。黒く澄みきった異様な音楽。

マーラーの大音響が鳴ったこの68()、シカゴが上野で得がたいマーラー体験をさせてくれていた同じ時間帯に、音響の悪いNHKホールではN響が定期をやっていた。ハインツ・ワルベルク指揮のマーラー5番である。同曲異演。偶然とはいえ日本では昔からこのようなことが割りとある。海外演奏団体との同曲のぶつかりはひどいものだ。何年か前、マイスタージンガーがバッティングしたことがあったが、あれはない。

N響の方は後日放送があった。ブラスのみなさんがんばったと思うが、録音で聴く限り全体的にひどい演奏だった。当時まだまだ大リーグ超一流と国内野球では明らかな落差があったのと同じだ。その後、N響は国内トッププレーヤーがたくさんはいりレベル的には海外の並みのオーケストラ以上の実力を持つこととなったが、でも、特色がない。満遍なくうまくて、そつなくて、何でもこなし、でも、サヴァリッシュの棒の下、ジンタ調のフニクリフニクラをやったかと思うと、シュタインの棒で本格運命などもする。いずれにしても重い。あの自分の音さえ聴きわけられないようなホールでは耳が育たない。最高の実力をもった人たちの集団どまりなのである。その先がない。香りがない。余韻が歌わない。欲しいのは揺れ動くアンサンブル。生きた音楽。それが欲しい。この日本で何故、N響のようなトッププレーヤーたちのオーケストラに専用ホールが無いのか不思議だ。最初はいくら異国文化だったといっても歴史を積んできたわけだし、財力が無いわけでもないと思うし、まして、異国に相撲の土俵を作るといったことでもないし、21世紀に突入したこの時期、彼らのために我々のために是非本当のホールを造る必要がある。

結局、シカゴの公演はそれほど尾を引くことも無く、翌朝からはもとの日常に戻れた。シカゴにしてもルーチンワークであのような演奏を毎日おこなっているわけであり、日本人を見返してやる、と言った状況でもないわけで、演奏者と聴衆の気持ちの乖離があったのかもしれない。

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