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1983-1984シーズンの聴いたコンサート、観たオペラ等のことを書いてます。
グレイト・パフォーマー・シリーズというのがあって、これはニューヨーク以外の州や国外からの来演となっている。おもにエイヴリー・フィッシャー・ホールで日曜日の午後3時から行うことが多い。ニューヨーク・フィルハーモニックの定期は普通、木金土火なのでそれ以外で練習のない日は空きなのだろう。この日はいつもの日曜日ではなく月曜日の来演だ。
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1983年12月5日(月) 8:00pm エイヴリー・フィッシャー・ホール
ベルリオーズ/海賊、序曲
プロコフィエフ/ピアノ協奏曲第2番
ピアノ、アレクサンダー・トラッツェ
ブラームス/交響曲第2番
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アンドリュー・デイヴィス指揮
ロサンジェルスpo.
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この時代、音楽監督は偉大な指揮者カルロ・マリア・ジュリーニである。
ジュリーニは以前聴いているので、彼の棒についてはまたいつか書けると思う。
この日は、約1週間前にNYPを振っていたアンドリュー・デイヴィス。
今日はロサンジェルスpo.を振った。
当時のメモ書きがあるがデイヴィスを酷評したひどい文章なのでかなり柔らかい表現に変えた。以下。
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またしてもアンドリュー・デイヴィスの登場である。
久しぶりに聴くロサンジェルスpo.はさすがアメリカ・ビッグ6の名に恥じない素晴らしい演奏を繰り広げた。
なんといっても安定したブラスにかき消されないヴァイオリン、その他の弦が素晴らしく、ちょっときらきらしすぎるところもあるが、あの湧水のような噴き出す音が音楽の喜びを教えてくれる。快感だ。また、ホルンが独特で、線が細く微妙なニュアンスを持っている。トップはさすがどこでも、良いですね。
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ところで問題の指揮者であるが、今日はこの前よりも席がポーディアムに近かったせいもありよく観察できた。
まず、動きすぎる。それも一見して無駄だとわかる動作が多すぎる。そして、その動作が非常に滑稽に見えて音楽の見通しを邪魔するのである。(お世辞にもよいスタイルとは言えない。)
あれで、もう少し見栄えが良かったら音楽もそれなりに良く聴こえるかもしれないのに、彼は自らその大げさな動作で全く損をしている。
現にまわりの聴衆はみんなくすくす笑っているのだ。
音楽に没入する前にこの目前の動作がときとしてこらえきれないほど滑稽なときがあるのです。あれでオーケストラの団員も生活がかかっていなかったら吹き出していたに違いない。もっと素直に指揮すべきです。
たとえ、いくら今の自分が充実しているといっても、それをあのような形に無理やりあらわす必要はない。もっと音楽の内容を充実させるべきだ。
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ブラームスはロサンジェルスpo.のすばらしく節度のあるブラス・セクションときめの細かい弦に支えられてふちどりは完璧であったにもかかわらず、全くブラームスの型になっていなかった。もっともっと、深く深く、気を落ち着けて沈みこまなければならない。また、四つの楽章のバランスを考えなければならない。
さらに目立ったのが、フレーズの頭に気を使うあまりその前のフレーズの切れ目がおろそかになることである。つまり適切な指示を与えていない。
ジュリーニとともにあるロス・フィルであればこれは水と油。デイヴィスがこのオーケストラを振るのを聴く意味はあまりない。
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プロコフィエフのピアノ協奏曲であるが、いつ聴いても変な曲である。努力のわりに報われないというか。。
録音などで聴くとそんなにも感じないのだが、生に接してみると、ピアニストは目を白黒させて演奏している。汗だくで、必死に弾いている。
そのせいかどうか、とてもこのピアニストは31歳にはみえず頭はテカテカである。こんな曲をレパートリーにするからです。
第1楽章などはさながら打楽器の如くであり、また形式もくそもあったものではない。一瞬、バルトークを聴いているような錯覚に陥るところがあったが、彼ならばここまではしないだろう。たしかに面白い曲ではある。
おわり
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といった変てこな感想だった。
プロコフィエフの第2番については、その後何度も聴くうちに、接し方が変わったのは当然。理解がそれなりに深くなった。
アンドリュー・デイヴィスは、こちらの聴き方を工夫してメディアだけで聴くようにするとかといった自助努力が必要かもしれない。もういい年になっているので昔のようなひどい動きはしなくなったのかもしれないが、当時はあまりにもひどい動きであり、その印象をずっとひきずってしまっている。ただ、別に特別に嫌いな指揮者ではない。
おわり