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昼、仕事を流した後、夕方の人もいる、夜中に帰る人もいる、みなそれぞれのところにむかい、最初の一杯、だまされたと思い、まずこの一杯を、常温で、そして冷やさないグラスで、たしかめてみるといい。
この色あい、香り、そしてのどごしの琥珀のごとき水分を感じさせない液体のうまさ。
遠い昔のことなぞ露ほどにも浮かんでこない、今これがここにある、本当にニッカの響きさえ水滴を越えた金粉のごときこの極上の味わい。久々のヒット。
これを最初に一口たらしたとき、妙な例えだが味噌汁を思い出した。味ではない。味噌汁の一口目の何とも言えない、あぁ、この日本人に生まれてきてよかった、こんなに日本人に合うものは無い、といった思いに似たものを感じた。こんなにおいしいウィスキーを飲めたらやっぱり地球はヘヴン。
63度。そのまま胃にたらしたら二杯で限りなく酩酊にちかいヘヴン状態。つまみは100パーセント不要。この味わいを楽しめばいい。
ここ二三回クラシック音楽の話題から離れてしまっているが、この極上の一杯にあう音楽。それはある、あるけど、タイトルがよくない。宗教を越えた響き。
ハイドンの
十字架上の七つの言葉
これだなぁ。
最後の一曲をのぞいて全てスローテンポで押し通したハイドン、久しぶりのヒット作。これを、頭を空にして聴くとキリストのたかみを越えたピュアな音楽のウィスキーとの同化を感じることができる。
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六本木のCASKで今出回っているのは5周年記念ボトル。今河童が飲んでいるのは3周年記念ボトルのほう。当時、といっても河童何百年もの六本木徘徊に比べたら、河童に爪があったのかなどと言いたくなるようなその垢でも煎じて飲ませたい年数しかたっていないCASKではあるが、3周年のそのとき、今も同じ客然としたお皿をつけたままカウンターで飲みついでに、つい、ゲットしてしまった2本のそのボトル。いま、なぜか、一本目に空気を通した。
こんなにうまいとは、あらためて感じ入った。
たぶん、ふだんは、なんだろう、一杯目は、バスピエールから始まってしまうため、この至福の琥珀を真に感じたことがなかったのだろう。こうやって、世の騒がしさから離れ、飲むワンショットの奥深さ、実にすばらしい味わいだ。世に末があるのならそれはそれで受け止めてやろう、などと一瞬の退廃さえ受け入れてしまいたくなるような許された心の臓もさぞかしハッピーだろう。
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これだけ褒めたら5周年記念ボトルなぞ、一本サービスでくれてあげてもいいとオーナーは思うかもしれない。オーナーは昼が忙しそうだから、思わないかぁ。
それにしても、だ。
ウィスキーは、いろとりどり、バーで飲むといろんなお酒がのめていいのだが、この余市だけは、うちで、こんもりと、秋の夜長、普段しない同じお酒のおかわりを、自分でしながら、あれやこれやと思いをめぐらし、てんごくだなぁ。