河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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OCNから2014/12引越。タイトルや本文が途中で切れているものがあります。

1756- マーラー6番、チョン・ミョンフン、東フィル、2015.2.25

2015-02-26 01:44:18 | コンサート・オペラ

2015年2月25日(水) 7:00pm サントリー

マーラー 交響曲第6番 イ短調 23′13′15′29′

チョン・ミョンフン 指揮 東京フィルハーモニー交響楽団


第1楽章の提示部は5分ほどかかり、さらにそれをリピート、また第4楽章の序奏に5分かかる曲。これで通常のソナタ形式寸法でふちどりしていくと当然長大なものとなるわけです。この作曲家がどのような思考の順序、順番の発想でこのような規模の曲を書くに至ったのか、興味のあるところではあります。この曲だけではありませんけど。

個人的には、ミュン・フン・チュンという名がなじみ深い。チュンのピアノの雰囲気から言っても、変なところのないバランス感覚に優れた演奏を繰り広げ、当たり前と言えばそれまで。この曲は技量をはかると言ったあたりにスポットライトが照射されすぎてしまうのはその昔からそうで、格段な技術的進歩をみたいまのオケ技量の中にあっても同じテーマで語られるのは、聴き手サイドのテーマと言う範疇の広がりの無さ、進歩無さを物語っている。ではどこに進んで行けばいいのかという話になるんですが、普遍でなくてもいいので自分なりの基準などをもっていれば、いい演奏、悪い演奏、良かった、悪かった、のレベルから少しは逃れられる。ただ良不良を語っても何も生まれることが無いぐらい上演回数的には陳腐化してしまったシチェーションですし。自分で基準のようなものをもてないのなら、例えば、なぜこのような曲を書くに至ったのかマーラー本を読めばいろいろわかることが出てきますね、それが進歩へのワンステップになるかもしれない。
チュンの演奏スタイルはそのようなことを考えさせる演奏ですね。精神が落ち着いているし、何を聴きに来ているの?ということを考えさせてくれる。彼の頭の中のスーパースターをトレース、イメージし、少なくともモノトーンな受動的なだけの聴き手ではいたくないと思わせてくれる。こちらが思考に関しアクティヴな多様性をもつようにならないといけない。

ほぼ右手オンリーの棒テクニック、いろいろなことを片手でやってしまう、ピアノは両手なのに!

18型編成、ハンマー2回。


メモ。
初めて見たミュン・フン・チュン

オーケストラ演奏会
1984/10/16 AFH、ニューヨーク・フィル デビュー
バルトーク舞踏組曲
ショパンpf協2、エマニュエル・アックス
ドヴォルザーク交響曲第3番

オペラ
1986/3/19 メト デビュー
ヴェルディ シモン・ボッカネグラ、ミルンズ、カナワ、他

おわり


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