長々と書いてある1988年中盤068からのオーケストラ・オペラの来日公演。この時期はちょうどバブルの時代にあたる。(全項目一覧も参照)
数多のオーケストラ、オペラハウスが列をなして来日した。列をなさず並行して来日した。この倍の団体はきてるだろうし、とても全部聴き切れるものでもない。さらに室内楽、独奏者、などいれたら日本は一大超巨大音楽マーケットを形成していた。そして日本のオーケストラも日常的に活動していたわけだ。今考えると節操のない五月雨式な絨毯爆弾のようなものだ。
ビックネームの団体が来日してもだんだんと感覚が鈍くなり、イヴェント的なわくわく感はなくなり、初来日の団体もなんとなく何度目かの来日公演のような様相を呈してきて、聴くほうも区別がつかなくなってしまい、麻酔のようになってしまった。
まさに、これこそがバブル期にアルコールに酔いつぶれたまひ感覚そのものであったのかもしれない。オーケストラの特色、区別もつかなくなり、彼らの芸術的主張がどうであれ、知らず知らずのうちに自分自身が文化の平板化の波に飲まれてしまった。
それでも河童は通い続けるのだ。1988年はバイエルン国立歌劇場による第九で自分の世界を〆たのも束の間、1989年が続く。こんな状態が1990年代前半まで続く。とても全部書き切れない。1989年からのものは注目公演のみピックアップしてみる。が、このシリーズ物はちょっと一服して別の話をまた書いていきたいと思う。相変わらず昔話であるけれども。
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