2016年12月20日(火) 7:00pm サントリー
ベートーヴェン エグモント、序曲 8′
Int
ベートーヴェン 交響曲第9番ニ短調 15′14′12+24′
ソプラノ、アガ・ミコライ
メッゾ、清水華澄
テノール、デイヴィット・バット・フィリップ
バス、妻屋秀和
合唱、新国立劇場合唱団
マルクス・シュテンツ 指揮 読売日本交響楽団
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一言で言うと、圧倒的な臨場感。
このホール、客がプレイヤーを包み込むような空気感、指揮者シュテンツによってさらにグッと身近に迫ってくるアトモスフィア、一体感がフツフツと醸しだされる。
シュテンツは一度聴いたことがあります。2010年、N響とのマーラーのリザレクション。結構なディテール大胆拡大解釈の印象。指揮ぶりは、たたき上げで板についていて、つきまくっているお見事棒でした。
ということは6年ぶり。印象は前回のお見事さがさらに昇華。指揮棒、指揮姿、一連の動き、パーフェクト。音楽解釈と表現、じっくりと熟成されていたものが一気に湯気のようにそこここに立ち込めるような感じで、素晴らしすぎる。
指揮棒イコール腕みたいな感じ。音楽の塊。ぶ厚い音、躍動感、指揮者とオーケストラの一体感をビンビン感じます。圧倒的な指揮でした。
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読響の第九は7回あるようですが、今日だけエグモント序曲が前プロで演奏された。読響特有の音場が正三角形にそびえ立つ重厚な音響と奥行き感。もはや三角錐ですね。
このような本格派エグモントを聴くと、指揮者が解釈を日本のオーケストラに植え付けに来て、それがパーフェクトに表現開花したという実感を強く感じます。
ベースの地を這うような動きから、弦のトップまでのバランスが最高、奥からギュッと光るウィンドアンサンブル、バランス重視のブラスセクションは手前に配列されているインストゥルメント群ともお見事アンサンブルで、オーケストラの醍醐味を満喫。
メインの第九はそれやこれやの表現力がさらに前面に出てくる。惚れ惚れする真性ドイツ・ベートーヴェンの響き満載。迫力ありますね。
読響集団のこの地響きアンサンブルはサントリーだと1階席で聴けばその迫力がよりわかる。ベースの刻みの圧力、迫力あります。そのベースを基底にした正三角形音場の迫力。ベートーヴェンも草葉の陰で大喜びしている。見守るだけじゃ気が済まないぐらいのものだろうよ。
指揮者とオケのアナログ的な波長が1曲目のエグモントからよくシンクロしている。読響の間口の広さには驚く。まぁ、コンマスの小森谷さんも読響アジアナンバーワンと言っているぐらいだし、謙虚な自負、説得力ある言ではある。それに熱狂型オケ、それから年功序列無し。そう言ってるし、これらが色々と絡み合ってこのような演奏が出来るんでしょうなぁ。
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ぶ厚いサウンドが3楽章まで見事にのたうち回る。ほとぼりをさまさせることもなく終楽章へアタッカ突入。
真性ベートーヴェンが心地よい。
ソリスト群は余裕の妻屋バス。そして、圧倒的にきめにかかるソプラノのミコライ、彼女の歌は頂点音までそう快、メリハリ感が秀逸。清水さんは今年何回聴いたかな。たくさん聴きました。厚みあります。ミコライとの重唱も威力あり。テノールのフィリップは直進性のあるもので聴き位置により聴こえにくいかもしれない。
合唱が凄い。びっしりと高密度で隙間が無い。壁の中から輝く響きが出てくるようなおもむきで充実のサウンド。オーケストラとの一体感。
と、良い事尽くめ、なんですが、
ホルンが今ひとつ安定しない。ここはきめないといけないという個所できまらない。スケルツォ楽章の終わりのところ、ティンパニを抜いた解釈かと思いますが、弦がすっと終わる、指揮者のツボ解釈のところでポロッとやる。これではツボが半減。
それから3楽章の上昇ソロのところもどうもこんがらかってしまった。N響の2番さんが4番でトラしてたので彼が吹くのかなと一瞬思ったのだがそうでもなかった。
プリンシパルさんの音は少し細くて、今日はいなかった若いもうひとかたのほうが読響サウンドにマッチしてる気がします。
今日は火の玉集団の協賛だったようで、らしくない連中が色々とおりましたが、基本的に奥ゆかしいものがありますよね。ジャマジャマの演奏会ではありませんでした。いつも通りピュアな演奏会を楽しむことが出来ました。
おわり