1991年のパリ管来日公演のことを書いてます。
425-に全日程等を書きました。
426-では初日の、ファウストの劫罰のことを書きました。
ファウストの劫罰は3日間連続で行われました。
初日の次の日も聴きました。
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二日目はこんな感じ。
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1991年11月1日(金)7:00pm
東京文化会館
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ベルリオーズ/ファウストの劫罰
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マルガリータ/ワルトラウト・マイヤー
ファウスト/デイヴィット・レンドル
メフィストフェレス/ジョン・トムリンソン
ブランダー/ジョン・ポール・ボガート
天上の声/エレーヌ・ブリュール
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パリ管弦楽団合唱団
セミヨン・ビシュコフ指揮
パリ管弦楽団
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前日と全く同じです。
280人そろい踏みですから、3日間連続の方があらゆることがリスキーでなくなり、また効率的。
この日も、マイヤーが素晴らしい。
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オーケストラの響きについては前日書いたので、今日は指揮者ビシュコフについて。
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ビシュコフはこのときが初来日であったが、河童はその数年前に彼を既に聴いている。
そのプログラムはこんな感じ。
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1984年3月13日(火)7:30pm
エイヴリー・フィッシャー・ホール
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ベートーヴェン/プロメテウス、序曲
リスト/ピアノ協奏曲第1番
ピアノ、アレクサンダー・トラッツェ
ラフマニノフ/交響曲第2番
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セミヨン・ビシュコフ指揮
ニューヨーク・フィルハーモニック
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ここらへんのことは、いつか書くことがあると思うので、それまでのお預け。
当時の勢いからいっても至極当然のプログラムだ。また、情熱が印象的でもあった。
話を戻して、日本で演奏したファウストの劫罰はどうだったの?
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はっきりいって影が薄いというか、パリ管に押されてなかなかドライブ出来ないもどかしさがあったのではないか。
常任指揮者になったといっても、常任になってはじめてそのオーケストラを振るわけではなく、普通はそれまで客演などの実績が既に積み重なっている。
だからオーケストラをドライブ出来ないとか、影が薄いといった事態はあまりないはずなのだが。
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1952年生まれだから、1991年は38-39才でそれこそ油ノリノリの年齢なのだが、彼の場合なんだか、年とともに収束していくような感じだ。
爆発型の指揮者だと思うのだが、それまでのカリスマ性のようなものがだんだん薄くなるというか、危ない橋を渡らなくなるというか、なんだかしりつぼみのような雰囲気がある。
メータ型の指揮者のような気もするので、傍から見ているよりもオケの説得力があるのかもしれない。
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でも、だ。
ファウストの劫罰というのは、花火線香のような光の音が、左のセクションでパパッ、右のセクションでパパッ、奥からパパッ、手前でパパッ、おのおの別々に出てくる。
短い断片の積み重ねがいつのまにか全体を形成していく面白さがある。
パリ管は絶妙。なのだが、ビシュコフはパリ管に振られている。
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レパートリーも少ないのではないか。譜読みに余裕があまり感じられない。
前任者たちのレベルには、まだまだおよばない。
今回はパリ管を満喫しようと思う。
ファウストの劫罰はこれで2回聴いた。もう2回別のプログラムを聴くことになっている。
それはそれでまた楽しみだ。
(続く)
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