昔聴いた演奏会より。
1981年分はこちら。
ブログの左側に年別一覧あります。
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1982年2月11日(木)7:00pm
東京文化会館
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レスピーギ ローマの噴水
シベリウス 交響曲第5番
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ドヴォルザーク 交響曲第8番
(アンコール)
ブラームス ハンガリア舞曲第5番
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ロリン・マゼール 指揮 クリーヴランド管弦楽団
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マゼールのクリーヴランド任期最後の来日。この時は日本5回公演。今となってみればお得意のシベリウスの5番がいつまでも耳に残っているのだが。
例によって当時の感想メモから。
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クリーヴランドを去るにあたりマゼールはその楽器をセルに返した。
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最初、マゼールにしては力感が不足しているのではないかとふと思った。しかし、その曲目およびオーケストラのフラットな配置に思いをめぐらしてみると明らかに思考したあとがみられた。リズミックな激しさはなく、マゼールはいつになく静かであり、クリーヴランドのガラスのような透徹したアンサンブルのみがただひたすらあるのみであった。
それにしても、誰が何と言おうと、シベリウスは驚異的な室内楽的名演だ。弦楽器群がシベリウスの精神的高揚に流されることなく、ただひたすらアンサンブルバランスに重点を置き、ただひたすらそれに固執することが逆に音楽自体に炎の核を与えてくるというパラドックス的な現象が成立した。
金管群が弦楽器群と同等の緻密なアンサンブルと表現を持つということは一体どういうことであろうか。これはまさにシベリウスのフレーズの長い、それでいて精神的含みを多分に兼ね備えた音楽によく合う。これは間延びしてしまってはいけない音楽なのだ。ベートヴェンの後期の室内楽と相通じるところがある。
低音にシンフォニックな重力感がなく浮遊しているようなシベリウスの暗く透徹した響き、第1楽章における金管の完璧なアタック、第2楽章における中間部の息の長い微妙なハーモニック、そして第3楽章において、完璧な室内楽オーケストラと化したクリーヴランドは最後の打撃音の正確さに、そのクリーヴランドの証拠をマゼールに示したと言える。
また、マゼールはドヴォルザークの8番を演奏することにより、セルにその楽器を返した。それも、元に戻して返したと言ったらあまりにも劇的か。
おわり
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といった感想メモでした。
響きで全てを表現できる。だから頂点のスキルが必要。マゼールはそれを天才技で表現しきる。方向性が一体化した素晴らしい演奏会でした。
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セヴェランス・ホール
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