河童メソッド。極度の美化は滅亡をまねく。心にばい菌を。

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1248- シュトラウス 変容、ブラームス 交響曲第4番 ウラディミール・アシュケナージ N響 2011.5.28

2011-05-29 19:35:29 | インポート

2010-2011シーズン聴いたコンサート観たオペラはこちらから。
2010-2011シーズン
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2011年5月28日(土)6:00pm
NHKホール
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シュトラウス メタモルフォーゼン
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ブラームス 交響曲第4番
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ウラディミール・アシュケナージ指揮
NHK交響楽団
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変容の集中力と盛り上がり、切れ味の鋭さと流れの良さが印象的な好演でした。この曲はいろいろと仕掛けが凝らされている曲で解説を読めば興味も深まる。ベートーヴェンの葬送行進曲引用に関してはほかにもいろいろあるのでしょうが、個人的には、マーラーの交響曲第6番の第1主題なども葬送行進曲の波形によく似ていると思います。
それで、23人の弦楽合奏はステージ前方にかたまり、ノリントンのときに使ったような間仕切り、音響板を横にならべて後方を遮蔽。このでかいホールでピアニシモがきめ細やかな弦楽合奏を行うのであるから、音をまんべんなく響かせるのはもとより困難。それなりの効果はあると思うが、3階後方席とかはつらいと思う。自席は2階だが、それでも隣の同じく会員と思しき中年のご婦人が、毎度、右に左にと最初から最後まで誰を探しているのかキョロキョロ以上、身を乗り出してあちらこちらを見まわす姿、それも毎回、この不思議なシチェーション、それがなかったとしても2階の良席でさえ満足な音の響きが伝わってくるものではないのだが、今日の演奏はそれなりに演奏者が一個の演奏家となり集中する姿を垣間見ることができ、やっぱりこうなったときのN響は強いとあらためて思いました。
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ブラームスの4番は、ジュリーニが晩年に残した演奏が素晴らしいと思っているので、ついそれと比べてみたくなります。ジュリーニはテンポをかなりスローにとり、それでいて一本ずつの糸が透けて見えるような絶妙な枯れ姿のブラームスとなっていたのですが、それと比べたくなります。アシュケナージはお皿の上の刺身のようで、冷たく動かない。見た目はいい。そんなにありきたりでしょうか。
ジュリーニはフレーズの随所で、ちょっと表現しづらいんですが、例えば第1主題とか第2主題のうち第2主題を例にとると、一つの小節のなかで音価の長さを伸縮させた月並みな歌い方とはちょっと異なり、いわばインテンポのまま微妙に音価にふくらみを持たせるような歌い方をさせ音楽の陰影を表現する。
アシュケナージは何もしていない。そうかもしれない。
アシュケナージは音価の長さを変え、伸縮させる方式だと思うのですが、それが歌わせるために伸び縮みさせるのではなく、主題のひとつの音の長さの延長として、(わかりづらい)、ストレートに、響き自体つまり音価が長くなる。揺れ動くのだが感情に即した揺れではなく(「歌う」とかいった揺れではなく)、妙な表現ですが、「ロボットが自ら感情を持とうとして意識してすること」のように聴こえたりするのです。(すみません、わかりにくくて)
もちろん、アシュケナージがこんなことを考えて演奏しているはずもありませんが、響きはそのように聴こえる。メタリックな感情。そぎ落としたら何かが残った。それだけで音楽を表現したい。そのように聴こえます。さすがにオペラのぜい肉を毛嫌いしていた人間が究極の行きつく先だったのかしら。これはこれで素晴らしい、最近思うようになりました。ジュリーニとは違う枯れ方。このようなブラームス4番、あっている曲だと思います。バロック風でもあり、ロマンチックなものを横目に見て出来る音楽の表現。いろいろと考えさせられました。
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指揮のせいかプレイヤーのせいか、「いり」を間違うケースが一回ずつ2楽器ありました。決してだれた演奏ではなく、裸になった曲構造への緊張した取り組みの高さゆえと理解しておきましょう。
おわり

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