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2009-2010シーズン聴いたコンサート観たオペラより。
2009-2010シーズンはここ。
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2010年6月12日(土)7:00pm
サントリーホール
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スメタナ モルダウ
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ドヴォルザーク チェロ協奏曲
チェロ、ガブリエル・リプキン
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(アンコール)
ガブリエリ カノン
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ドヴォルザーク 交響曲第9番新世界より
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(アンコール)
ドヴォルザーク スラヴ舞曲第15番
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レオシュ・スワロフスキー指揮
スロヴァキア・フィル
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この指揮者は初めて聴きますが大変気に入りました。やや早めのテンポで、インテンポで押し切る。肉厚で爽快さとは少し異なるが、ある種音楽に対する信念のようなものを感じさせてくれる。上半身を使った大振り指揮はオペラ指揮者そのもののようにも見える。非常に明快な棒さばき。自意識過剰なモーションもみられるが、音楽にいい効果をもたらしているようだ。また、指示が主旋律よりもむしろ陰に隠れた部分や、縁どりを形成するフレーズの出だしの部分などに頻繁にだされ、音楽が弧を描くように膨らむ。従って、音楽の表情は絶え間なく豊かであり、あふれ出る情感が揺れ動きながら湧いてくる。
写真で見る指揮者はちょっとさえない感があるのだが、実物は長身で、髪の毛は少なくなっているものの、お腹のでっぱりもなく、極めてダイナミックで、全身で音楽を表現する。驚きであった。
モルダウ冒頭から早めのインテンポで押し通すが、アチェルランド風でもない、中間部もリタルダンドではないが、スローになる。つまり主題、テーマ毎のテンポ設定をもっておりそれで押す。音楽の表情にぎくしゃく感がないのは先を見通した音楽理解、譜読みがあるからなのだろう。今日のコンサートは名曲のオンパレードなのだが、その一曲目にふさわしい、いい演奏でした。
二曲目のチェロコンチェルト。今となっては手垢にまみれた曲なのかもしれないが、こうやって久しぶりに生演奏で聴くとやはり格別の曲ではある。提示部の第一主題、第二主題、ホルンの幽玄のソロ、こんな感じでチェロが出てくるまでかなり時間がかかる。リプキンはこれまたお初ですけれど、曲に集中しており自分なりにイメージをつくり(十分な時間がある)、コンセントレイトを高めているのですんなりとオーケストラに入り込む。やっぱり素晴らしい曲だ。リプキンのチェロはその体躯の大きさとはやや異なり、横幅で攻めるよりどちらかというと繊細系なのかもしれない。ピアニシモでの息の長さ、それはドヴォルザークのものに違いないのだが、さらに魅力的に聴かせてくれる。
アンコールではチェロのトップとの二重奏。これまたニュアンスに富んで音楽的、楽しむ音楽の醍醐味をきかせてもらいました。
今日のプログラムは国外団体にはめずらしく無料のもの。それはそれでいいのだが、薄すぎて情報量が少なすぎる。二重奏をしたチェロ・トップの名前さえ分からない。オーケストラのサイトが掲載されているのでググってみればすぐにわかるはずではあるのだが、そうではなくて会場でその場で団員のことを知りたいと思うこともある。
今日の演奏会チケット価格は一流どころ来日団体の三分の一だ。実力も三分の一とは全く思わないが、省エネプログラムもいいがもうちょっとだけ情報の量、質のかさ上げが望まれる。
そのオーケストラであるが、肉厚で少しボテ系。ピッチの問題があると思う。あとは縦のライン。アインザッツは指揮者があまり気にしていないと思う。インテンポの中に音楽の流れを強く意識した音楽造りで、そのような棒使いはえてしてこんな感じのオケサウンドとなるようだ。
後半の新世界。チェリビダッケの味わいが深すぎる新世界は忘れがたいものがある。すべての小節、フレーズが意味の塊であり凝縮された演奏は指揮芸術の極致を聴かせてくれるものだ。スワロフスキーはその演奏をほうふつとさせるにはいまだ成長しなければならないが、全ての音に耳を傾けさせるような魅力に富んだ解釈には違いない。とにかく明快な棒。明快さが意味をこめたものなので非常に説得力がある。この超有名曲の陳腐な解釈の対極の解釈であり、姿勢である。
オーケストラのボテ系サウンドはいまだ続いているが、それでも熱して加熱される。家路はこれまた速めのインテンポで何事もなく帰路につきたい感じにはならず、静かさがこの第二楽章終結部に向かって少しずつ潤いを帯びてくる。なんとも言えずいい演奏でした。
第三楽章からアタッカで第四楽章に突入。ここらへんにくると、さらに過熱気味。耳にタコができた曲でもこのような演奏だとあらためて興奮してくるものだ。
この第四楽章の爆進はお見事。ラッシュアワーの新世界。当時のマンハッタンもかくあるかな。
第四楽章のコーダは、前例のチェリはテンポをかなり動かすが、今日のスワロフスキーさんはインテンポの人のようですので、ここでのテンポ設定に典型的な課題というか特徴というかそのようなものが浮き彫りとなる。速度をおとして劇的な表情を圧倒的に作るにはそれなりの操作が必要なのだが、この指揮者はインテンポを貫き通すため、コーダ全体の速度感を下げる。下げたままでインテンポ。最後の打撃音の前ややアチェルランド気味になるがこれはもう想定内の自然現象。それにしてもこの美しいエンディングの閃きのような音の束の収束。ドヴォルザーク以外誰も思いつかないような美しい閃きだ。スワロフスキーさんは、チェリのようにあっけにとられるままスッと終るわけでもなく、マゼールのようにひたすらやにっぽくロングトーンの練習みたいに伸ばすわけでもない。自分の速度感にあった非常に自然な長さでアメリカから母国を見ながら終わる。
むしろ、アンコール曲との間隔が短すぎ、新世界の余韻がかき消されたようになってしまったのが残念。
そのアンコールが指揮者による日本語発声のスラヴォニックダンス15番というのがこれまた渋い。曲は派手だが別の番号で馴染みなのがたくさんあるのにこの「だいじゅうごばん」だ。駆り立てすぎの感もあったのだがアンコールピースのエキサイティングな方向感としてはうまくいったと思う。
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この指揮者、オーケストラに格別の思いがあったわけでないのだが、結果大変に心に収穫のあった一夜となりました。知らないところにアルチザンは、いる。このような音楽を育む音楽家たち。仕事は見えないところで成就していたのかもしれない。
おわり