幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

やめた趣味

2024-08-27 23:59:27 | 日記
 よく周りから「クリタさんは本当に多趣味ですね」と言われますが、僕自身はそう言われても「器用貧乏」とか「下手の横好き」と言うワードしか思い浮かべることができません。それほどどれもこれも大したレベルではないからです。もちろん趣味は極めれば良いというものではなく、どちらかと言うと楽しめればレベルは問わないのが趣味の良いところなのですが、やはりやっている以上は上達したいというのも人情というものです。

 僕がやっていることの中で多分一番レベルが高いのはクイズで、クイズサークルとかクイズ研究会とかに入ったこともないので、正確なところ自分がどれくらいのレベルか測ることは難しいのですが、過去に「アタック25」に初挑戦で優勝したとか、クイズ番組の予選をテレビ局で受けて落ちたことがないというのは、まあまあレベルが高い方だろうとは思っています。もっとも予選で通ることと番組に出られることはイコールではなく、いろいろあって出られなかったことの方が多かったですけど。

 幼い頃からやっていたからそこそこのレベルに達していたのは書道でした。6歳から書道塾に通っていたし、母親もずっと書道をしていたので自然と生活の中に書道がありました。学生時代に仲が良かった女の子も大半が書道をしていた子たちだったので、自分が特別字が上手いとは思っていませんでしたが、それなりに書けるというくらいには感じていました。

 高校1年の時に県の美術展の書道の部に出品する学校代表に選ばれました。全校生徒1350人の中から選抜された5人の中の一人でした。選ばれたことは誇らしかったのですが、先ほど書いたように自分では「そこそこ」だと思っていたので代表という立場にプレッシャーもかなり感じていました。今思えばスポーツのように勝ち負けがハッキリするものではない芸術なのですから、そこまで上だ下だと気にしなくても良かったのですが、当時は自分自身の字が周りに比べて下手に見えて仕方ありませんでした。

 先生に王義之の蘭亭序の臨書を書くように言われて、数日かかって何とか仕上げ立派な装幀もされました。しかし出品された美術展を見に行きましたが、会場の中で自分の作品が格段に見劣りして見えて恥ずかしく、母親からは「全然そんなことない」と言われたにも関わらず写真1枚も残さずに捨ててしまいました。そして、そのトラウマから書道はもう関わらないと決めてしまったのです。これも今思えば本当に惜しいことをしました。もうその時以上の字は書けないので、写真で良いから残しておけば良い自慢になったのにと残念です。思春期特有の自意識過剰だったのでしょう。

 あれから48年が過ぎました。書道をもう一度やってみたいという気持ちはありますが、失われた48年はどうやっても取り返せません。あのレベルには戻れないのです。趣味は一度やめてしまうと簡単に戻ることが難しいです。だから今やっているあれやこれやもなかなかやめられないで続けてしまっています。こうして「下手の横好き」が出来上がっています。

 
コメント
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