幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

遺言書を作る、その前に

2011-10-31 01:09:15 | 日記
 8月に亡くなった義父は銀行員だったせいか、妙にきちんとしたことが好きな人でした。それほど多額な遺産があったわけでもないのに、生前に遺言書を作っていたのもそのひとつ。死んだら某信託銀行に連絡せよ、ということだったので、妻が連絡したところ、早速信託銀行の担当者がやってきていろいろと説明をしてくれたそうです。僕は立ち合っていません。相続人である妻と義弟だけが話を聞きました。

 ご大層な遺言書(公正証書遺言)をわざわざ作るくらいだから、何か特別なことでも書いてあるのかと思いきや、遺産は姉弟で仲良く等分に分けろ、というだけ。子どもたちに教えていない隠し財産があるとか、見知らぬ認知した庶子がいるとか、生前世話になった女性がいてその人に全部財産を譲るとか、そういう劇的な展開は何もありませんでした。まあそうだろうとは思いましたが、そもそも妻と義弟は仲が良いので遺産を巡って揉めることもないし、揉めるほどの金額でもないし、なぜそんな当たり前のことのために遺言書なんか作ったんだ、と。先に書いたように、性格的にちゃんとした遺言書を作ってみたかっただけかもなと思います。

 ただ驚いたのは、その遺言書の作成に何と義父は信託銀行に63万円も払っていたのです。高いです。言われなくてもそうするわ、という内容を残すために63万円。ムダとしか思えません。「まあお父さんの最後の贅沢だったから仕方ないけど」とみんなで納得はしたのですが、きっと信託銀行にうまいこと言われてホイホイ作ったに決まっています。そうやって晩年は高い電化製品や車をどんどん買っていましたから。

 でもそれだけで済んでいればまだ良かったのですが、さらに驚いたのはその後。遺言執行者としてその信託銀行が指名されているのですが、その遺言執行手数料が150万円なのです。これには本当にビックリしました。遺言執行と言っても、なにも特別なことはありません。遺産を受け取るために書類を整えて各方面に提出するだけのこと。7年前に僕の父が死んだ時には僕が全部自分でやりました。確かにちょっと面倒ではありますが、頑張れば自分たちでできることをなぜ150万円も払って銀行にやってもらわなければならないのか、全く納得がいきません。

 しかし義父が銀行と交わした契約書を読むと、もちろん銀行にぬかりはありません。自分たちで代わりにやるから払いたくないと思っても、こちらから契約を破棄できないようになっています。当然ちゃんと手数料のことも明記されていて、遺産額によって手数料は代わってくるのですが、いくら遺産が少なくても手数料の最低額が150万円なのです。たとえ遺産が150万円しかなくても150万円銀行は取っていくのです。滅茶苦茶な商売です。

 怒った僕(と妻と義弟)は、僕の友人の弁護士にも相談してみましたが、契約書を読んだ彼も「これはぼったくってる。けど、どうしようもないね」とのこと。弁護士ならこんな高額な報酬はとても取れないとも言っていました。銀行は素人でもできる簡単な事務作業をするだけで、易々と150万円もの手数料が取れるのです。しかも遺産は自分たちで押さえ込んでいますから取りっぱぐれることもありません。信託銀行の店頭に遺言書を作りましょう、というポスターが貼ってあるわけです。

 義父に悪気はありません。きっと手数料が高いなと思っても、子どもたちに面倒をかけずに済むし、費用は自分の金で払うわけだから構わないだろうと考えたのでしょう。しかし、子どもたちにしてみれば無駄な金としか思えません。遺言書の作成料と遺言執行料で213万円も銀行に払ったわけですから。それは確かに義父の金ですが、貰う自分たちの金でもあります。それなら少々面倒でも自分たちでやるわ、と思ってしまいます。

 僕もこれが自分の実父だったら、張り倒してでもそんなことはやめさせたのですが、義父だけにあまり余計な口出しはできませんでした。遺言書を作ればもちろんそれなりのメリットもありますから、全く無駄なことだとは思いませんが、その費用に見合っているかどうかはよくよく考えた方が良いと思います。少なくとも信託銀行は割に合わない感じなので、作る前にまず弁護士や司法書士に相談した方が良いですよ。

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豪華投手リレーの思い出

2011-10-30 02:02:10 | 野球
 プロ野球のクライマックスシリーズが始まりました。セ・リーグ2位のヤクルトと3位巨人の初戦、ヤクルトの小川監督は先発館山の後に先発要員の村中を中継ぎで起用、見事に接戦をものにしました。これは短期決戦ならではの投手リレーで、小川やるな、という采配でした。

 これで思い出すのが伝説の「10.8決戦」。1994年10月8日、最終戦を残して69勝60敗で並んだ巨人と中日が最終戦の直接対決で優勝を決めた一戦です。この時、ホームの中日は今中を先発させ、対する巨人は槇原。予想通りの先発です。しかし、その後の継投が全く違いました。中日・高木監督はいつも通りに今中-山田-佐藤-野中と負け試合なりの投手リレーをしたのに対し、巨人・長嶋監督は槇原-斎藤-桑田と先発3本柱をつぎ込んで勝利に執念を見せ、実際に6-3で巨人が勝って優勝を決めました。高木監督が後年この継投に対し「悔いが残る」とコメントした通り、もし今中が打たれても山本昌や郭源治を登板させていたら試合はどうなっていたのかと、ファンとしても残念な思いが当時からしていました。

 短期決戦でペナントレースと同じ戦い方をして勝てるなら良いですが、やはり「ここぞ」では思いきった手を打つべきなのでしょう。来季から中日の指揮を執る高木にはぜひこの10.8の苦い思いを糧にしてもらいたいと願っています。そしてこれからCSと(恐らく)日本シリーズを戦う落合監督には、今年こそ「完全日本一」で有終の美を飾って欲しいものです。

 もっとも今の中日は投手リレーに関しては吉見-浅尾-岩瀬で万全な上に、ワンポイントリリーフの駒も豊富なので、無理に先発のチェンやネルソンをつぎ込む必要はないんですけどね。

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ドラフト会議あれこれ

2011-10-29 01:30:17 | 野球
 一昨日のプロ野球ドラフト会議において、日本ハムが巨人原監督の甥の東海大・菅野智之を1位指名して話題になりました。菅野と巨人は相思相愛で巨人単独指名が決定的だと思われていたのに、日本ハムが強行指名して抽選を引き当てたのですから、巨人も菅野も呆然です。対照的に巨人以外の球団やファンはやんやの喝采。昨年の沢村と言い、有力選手を実質的に逆指名状態にして、ドラフト制度を骨抜き化する巨人の姿勢に対する反発心がそれだけ強いということでしょう。

 僕も球界の利益よりも自分たちの利益しか考えていないような巨人の横暴な振る舞いは本当に腹が立つので、拍手喝采を送った人たちの気持ちはよく理解できますが、ただ菅野のように監督の甥という特別な立場なら、そう邪魔せずにおいてやれよ、という気持ちも一方であります。サッカーのようにもっと頻繁に選手が移籍できるような制度になっていればともかく、FA制が導入されてもまだまだプロ野球は球団間の移動に制限が大きいですからね。

 日本ハムは7位で早大ソフトボール部の大嶋匠も指名して話題をさらいました。軟式野球出身者は過去にもいたそうですが、ソフトボールは初めてとのこと。硬球に慣れるまでに時間はかかるでしょうが、ちょっと面白いチャレンジだと思います。ぜひ大嶋には一軍に上がって活躍して欲しいです。

 中日は来季から指揮をとることになっている高木守道がクジを引いて、3球団競合の中、見事に東海大甲府の高橋周平を獲得しました。未来の四番を引き当てるとは、高木も幸先良いスタートを切ったものです。それにしても今はまだ監督は落合なのに、現時点ではOBに過ぎない高木がクジを引いているのは不思議です。公式には球団関係者ではないと思うのですが、ドラフトでクジを引くのは誰でも良いってことなんですかね?

 ところで中日が3位指名した東海学園大の田島慎二は、実はうちの息子の中学時代の同級生です。特別親しかったわけではないらしいですが、さすがにクラスメイトがドラフト指名されたわけですからかなり興奮していました。「第二の浅尾」なんて中日スポーツは早くも呼んでいますが、ぜひ大成して地元の星になってもらいたいものです。

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25周年記念オリジナルTシャツ

2011-10-28 01:12:21 | テニス
 以前にも書きましたが、今年はテニスサークルを創設して25周年です。四半世紀続いたわけで、自分で立ち上げて続けてきておいて言うのも何ですが、本当によくぞ続いたというか、ちょっとした奇跡だなぁと思います。25年前からずっと幹事。それも全権を把握し、全ての雑務をこなし続けてきました。大変でした。片手間ではできないことです。

 25才から50才まで、仕事も家庭も遊びも忙しい25年間でしたが、その中でもっとも精力を傾けたのがサークルの運営だったというのも、考えてみればおかしな人生です。人が一生の中でもっとも何事かを為せる貴重な25年間だったのに、それがテニスサークルの運営なんて、優先順位が明らかにおかしなことになっています。

 とは言え、別に後悔しているわけではありません。サークルの運営は自分が好きなようにテニスするための場所作りですから、要は自分の好きなこと、楽しいことを存分にやってこれたわけで、むしろ幸せでかつラッキーだったなと思っています。またそれをすることを許してくれた家族と会社に感謝しています。もちろん、サークルを一緒に支えてきてくれた本当にたくさんの仲間たちにも。

 5年前の創設20周年の時には、新旧メンバーをたくさん集めてサークルの同窓会をしました。楽しかったので今年もやろうかとちょっと考えたのですが、みんなの現状を考えると簡単には集まれそうになかったので諦めました。同窓会は30周年を目指したいと考えています。

 ただ20周年の時に記念のオリジナルTシャツを作ったので、今回も25周年記念のオリジナルTシャツは作りたいなと思い、ようやく昨日デザインが完成して注文を受け付け始めました。前回の反省点から価格を前回比33%オフし、カラーバリエーションも思いっきり増やして満足度の高いTシャツにしたいと思っています。これを読んでいる新旧サークルメンバーの方にはぜひご注文いただければと思っています。

 まあオリジナルTシャツというのは作った本人が一番喜んでいるものですから、本当は作れるだけで楽しいんですけどね。昔からのオリジナルTシャツを全部並べて記念写真でも撮ろうかな。

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子どもの頃、北杜夫が人生の師だった

2011-10-27 01:27:42 | 読書
 作家の北杜夫が亡くなりました。『楡家の人びと』などで重厚な純文学作品を書く一方、「どくとるマンボウ」シリーズでの軽妙でユーモアあふれるエッセイでも人気を博した作家でした。斎藤茂吉の息子、昆虫好き、躁鬱病、医学博士といくつもの顔を持ち、長年にわたって人気作家として活躍した彼も84才になっていました。

 僕が初めて北杜夫の本を手にしたのは小学生の時でした。当時、父親の本棚に入っていた文庫本を適当に漁って読んでいたのですが、なにせ山手樹一郎とか源氏鶏太とか石坂洋次郎とか司馬遼太郎とかで、読んではみたものの時代小説やサラリーマン小説や古い青春小説が本当にわかっていたかというと微妙なところ。ところが何気なく手にした『どくとるマンボウ昆虫記』は小学生にとって大興奮の一冊でした。

 これに感動した僕は「航海記」「青春記」と次々と「どくとるマンボウ」シリーズを読み進み、北杜夫の世界に耽溺しました。昆虫も船旅も松本から望む北アルプスも当時の僕には憧れでした。その後、北杜夫のエッセイによく出てくる友人だということで、遠藤周作やら阿川弘之やら吉行淳之介やら佐藤愛子やらを読むわけですが、さらにそこから星新一に行きあたり、周りの友人の誰よりも早く星新一マニアとなりました。

 北杜夫は僕にとって人生の最初の師であり水先案内人でした。彼のエッセイが10代前半の僕の精神世界に与えた影響の大きさは測り知れません。ユーモア小説や青春小説がこの年になっても未だに大好物なのも、北杜夫のエッセイの影響です。もちろん『楡家の人びと』『夜と霧の隅で』などの純文学系の作品も読んでいますが、影響を受けたのは圧倒的にエッセイにおける北杜夫の明るさであり希望であり子どものような無邪気さであったと思います。謹んでご冥福をお祈りします。

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オジサンは若者の壁になるべきなのか

2011-10-26 01:32:41 | 日記
 月曜、火曜と週明け早々に2日続けて会社の送別会でした。月曜は部で、火曜は局での送別会。数年名古屋にいた後輩たちが転勤していくわけで、まあ送別会をするのは良いんですが、さすがに連続になったのはちょっときつかったです。しかも昨日の送別会はライブハウスで行ったので食事が貧相。唐揚げにポテトにサラダにピザ。これだけしかないのはちょっと50才にはきついです。

 もっとも20代の若手はそんなこと全然気にしないで盛り上がっていました。若者ってのはそんなものですよね。ちゃんと料理した美味しいものを食べたいなんて思うのは中年になった証拠で、若者は食べられれば何でもOK。自分たちだって20代の頃はそう思っていました。

 今の若者たちを見ていると、四半世紀前の僕たちを見ていたオジサンたちの気持ちがわかります。バカで元気で前向きで単純。大きな声を上げて思いっきり笑ったり叫んだり。俺たちもあんな頃があったよなぁ、なんてオジサンたちは微笑ましく少し羨ましく思って見ているのです。そしてきっと当時は自分たちもそう思われていたんです。あいつらバカだけど、でもまあ楽しそうだから良いかって。

 ただ昔と違うのは、若者が少し世慣れていてオジサンたちの扱いが上手になっていることと、オジサンたちが物分かりが良くなって若者をあまり叱らないこと。両者の距離が近づいていて断絶が少なくなっているのですが、果たして本当にそれが良いことなのかどうかはわかりません。お互いにそうしている方が衝突が少ないので楽だし居心地が良いのは間違いありませんが、衝突を恐れていたら生み出せないものもあるような気がするのです。

 本当に昔のオジサンたちはよく若者を叱っていました。僕たちにとってオジサンたちは壁でした。立ち向かいぶち壊し乗り越えるものでした。しばしばそれは理不尽な障壁に感じられて、僕はよくオジサンたちに毒づいていましたが、自分がこの年になって若者に毒づかれることはほとんどありません。もちろん陰では何か言われているかも知れませんが、直接言ってくることは皆無です。

 それは果たして良いことなのか悪いことなのか。昔風の精神論で言えば年長者が大きな壁になってやらなければ若者は育たない、なんてことになりそうですが、現実の職場では壁なんかにならなくても若者たちはちゃんと育っています。だったら余計な軋轢は必要ないのかも知れません。

 まあただ僕たち自身は「昔の人に比べれば優しいよな、俺たち」って思っているだけで、若者から見ればやっぱりオジサンたちは邪魔くさい存在なのかも知れませんけど。

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『謎解きはディナーのあとで』と『11人もいる!』第1回

2011-10-25 02:18:11 | テレビ・芸能
 この秋の新ドラマ『謎解きはディナーのあとで』と『11人もいる!』を見ました。まず桜井翔&北川景子主演の『謎解きはディナーのあとで』ですが、もう予想通りというか、危惧した通りの仕上がり具合で、見ていてちょっと辛かったです。初回のストーリーはほぼ原作通りなのですが、かなりチープというか学芸会。桜井は全く原作の執事のイメージとはかけ離れているし、北川は見た目は「お嬢様」に似合っていなくはないけれど、あまりにもお芝居がイマイチ過ぎ。椎名桔平までもつられて下手に見えてきました。

 過剰にマンガチックな演出を施しているのは主演2人の演技力に自信がないから演出で補おうという意図かも知れませんが、そのせいで余計に学芸会チックになってしまっています。もともと原作だって絵空事の話なのですから、計算が行き届いていない演技と演出では破綻するに決まっています。桜井翔の代わりに阿部寛か堺雅人、北川景子の代わりに蒼井優か戸田恵梨香あたりをキャスティングしていれば全然違ったドラマになっていたことでしょう。まあ主演2人のファンが見るアイドルドラマとして考えるのなら、これはこれでOKだと思うので、まともに批評するのは無意味かも知れませんが。

 クドカン脚本の期待のドラマ『11人もいる!』。深夜枠なのでちょっと下ネタも含んだ大人のドラマでした。と言うか、もっと爆笑コメディかと思いきや、意外やシリアスなテーマを盛り込んだホームドラマだったので、そういう意味では予想とは違っていました。物語の主役は神木隆之介なのですが、実質的な主役というか、狂言回し的存在で出番が多いのは広末涼子と加藤清史郎。この2人のやり取りがむしろクドカンのコメディらしい見せ場だとも言えます。

 さすがにこちらはキャストが脚本とうまく噛み合っていて、神木、広末、加藤だけではなく、ダメオヤジの田辺誠一も、健気な妻の光浦靖子もピッタリはまっています。広末はコメディエンヌとしての資質が光ると僕は以前から思っていましたから、今後は幽霊役の彼女の自由自在な活躍ぶりに期待したいと思います。

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空いている遊園地と大混雑のアウトレット

2011-10-24 01:01:22 | 日記
 昨日の日曜日、会社の毎年恒例のファミリーデーという行事で「長島スパーランド」に行ってきました。最近ちょっとご無沙汰だったんですが、久しぶりに長島に行ったらいろいろと変わっていたことがあってビックリ。メインゲートを遊園地入口すぐ近くに新しく作ってあったので、これまでのように駐車場から延々とゲートまで歩くことがなくなったのはとても良いと思いました。それ以外にもいろいろと改良を重ねて集客に努力しているんだなというのは感じました。

 しかし、その努力があまり実効を上げていないというか、10月の天気の良い日曜日にしては遊園地は随分と空いていました。まるでかつての平日のようです。人気のアトラクションもあまり並ばずにどんどん乗れるし、園内の飲食店も閉まっているところがあったり、昔は休憩している客だらけで座るところがなかったのに、今はどこでも気楽に座れます。空いている遊園地というのは遊ぶ方にとっては余裕があって快適ですが、こんなハイシーズンにこの程度の入りで大丈夫かなとむしろ心配になってしまったほどです。

 逆に混んでいるのがアウトレットモール。こちらもまたさらにエリアを拡大して店の数が膨大になっていて、見て回るのが大変なのですが、それでも大混雑しているなと感じるほど客足が絶えません。湾岸長島インターで出口渋滞が起きていても、来る客の目当ては遊園地よりもアウトレットにあることは混み具合の差で歴然です。僕は最初に安いシャツや靴を買って、後は早々に諦めて遊園地に戻りましたが、両者の人口密度の差に唖然としたほどです。

 さらに長島温泉の本来の核であるはずのお風呂とホテルはさらに空いていました。ホテル「花水木」はガラガラで、レストランでのランチもゆったりと味わうことができ優雅な気分。アウトレットで食事にありつこうと思うと何十分も行列に並ばなければならないのに、遊園地なら簡単、ホテルなら優雅。経営側からしたら儲かる施設ほど客が来ないということになりそうです。ちなみに温泉のイベントは「小松みどりショー」でした。渋すぎです。

 ただもちろんそうなるには理由があります。同じ遊ぶならこの不況時、誰でもコストパフォーマンスの良い方を選びます。ホテルは高級で値が張ります。遊園地は目玉のスチールドラゴンやホワイトサイクロンは1回1000円ですから、しっかり遊ぶにはパスポート券を買うことになり、そうするとTDR並みにお金がかかります。その点アウトレットは安くショッピングが楽しめるし入場料も必要ないどころか、買い物をすれば駐車場代1000円も返金してくれます。遊園地に比べて「お値打ち感」がありますから名古屋の人に受けるのもよくわかります。僕も会社行事じゃなければアウトレットだけにします。

 ちなみにスチールドラゴンやホワイトサイクロンに乗るには年齢制限があって、上限は54才まで。おっと近いぞ。いよいよ世間では老人扱いされる年齢に近づいてきているみたいです。やばいやばい。

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傷つきやすいという人ほど、傷つけている

2011-10-23 02:34:04 | 日記
 僕は傷つきやすい繊細な人間です。そして、そういうことを言う人はたくさんいます。僕の周りの人も多くは似たようなことを言います。多分、人間誰しも批判や中傷や悪意に耐えられるほど強くはないし、それに耐えて乗り越えていけるほどの強い信念を持ち合わせてもいないのでしょう。

 ところが不思議なことに、みんな自分は傷つきやすいとか打たれ弱いとか思っている割には、人のことは割と平気で傷つけます。ちょっとした陰口や、軽い嘲笑でも自分のことなら大いに凹んでしまうのに、人に対しては割と軽い気持ちでやってしまいます。ましてや悪意のない(と自分では信じている)言葉で相手を傷つけることに関しては罪悪感すらありません。単に自分の気持ちを素直に言っただけ、自分のしたいことを優先しただけ、それで傷ついたとか言われても困る、と。

 傷つきやすいナイーブな人間だと自分を評している人に限って、他人の気持ちは考えてはくれません。なぜなら「自分は弱い」から「他人のことまで思う余裕がない」から。「自分を守るのに精一杯」だから「他人よりも自分のことを優先」したいから。これは要するに大人になっていない子どもの発言です。社会の成員として、コミュニティを形成するものとして、時には自分よりも優先しなければならないことがあることを理解していません。

 まして家族とか親友とか恋人といった、本当に大事にしなければならない相手なら、より気を遣った言動を取って良い関係を維持するべきなのに、むしろそういう相手だからワガママを言ったり甘えたりしても良いんだとばかりに自己中心的な振る舞いをしているようでは、いつまで経っても大人としてまともに相手はしてもらえません。せいぜい「可愛いね」と頭を撫でてもらえるくらいです。

 相手に「甘えている」「迷惑をかけている」という自覚が少しでもあるのなら、早く甘えることをやめた方が良いです。甘えられても決して見離さないのは親だけです。逆に言えば、親以外は兄弟姉妹であろうと夫婦であろうと、いつまでもワガママを言っていれば離れていきます。そうやって突き放されて初めて自分がどれほど相手を必要としていたか理解するのですが、その時には大抵手遅れなんですよねぇ。

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父の命日

2011-10-22 11:22:06 | 日記
 今日は父の命日です。2004年でしたから、早いものでもう7年が過ぎました。当時は年内はもつだろうと思っていたので、突然のことで慌てましたし、身内から葬儀を出したのも初めてなのに喪主をして大変だったことしか思い出せません。

 逝った直後はまだ生きているかのような感覚にとらわれていて、いないということが実感できなかったのですが、7年も経てばすっかり父も遠くへ離れてしまった感じになってしまいます。その代わり、父の悪い部分は忘れて良かったことだけ記憶に残っているので、どんどん「いい人」になっていくのがおかしいです。人間の記憶というのは便利にできているものです。

 よく「年を取ると親に似てくる」と言われますが、僕にはその実感がありません。親戚からも「お父さんに似てきた」と言われることもないですし。それが残念というわけでもないですが、父は気が弱い代わりに特に子どもとか弱者に優しい人だったので、せめてその「優しさ」だけは似ないかな?と思っています。あんまり僕は「優しいよね」なんて言ってもらえないですけど。

 今日はテニスの予定でしたが、雨で中止になりそうなので、そうしたら実家に顔を出してこようと思います。命日でもテニス優先、というあたりが「優しくない」気がしました。

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