アラン・ドロンが亡くなりました。僕が子どもの頃の大スターですから、自分の親と同世代。1935年生まれは母と同い年でした。我々が子どもの頃の「世紀の二枚目」と言えば日本では加山雄三、海外ではアラン・ドロンでした。もう今や二枚目という言葉も死語に近いのではないでしょうか。最近あまり耳にしません。「イケメン」という軽い言葉に取って代わられていますが、アラン・ドロンはやはり「二枚目」の方がしっくりきます。
『太陽がいっぱい』でスターになったアラン・ドロンですが、1960年の作品で僕が生まれる直前の映画ですから、当然公開時には見ていません。子どもの頃に見て印象に残っているのはテレビの洋画劇場で放映された『レッド・サン』です。三船敏郎、チャールズ・ブロンソン、アラン・ドロンという日米仏の三大スターが共演した西部劇です。監督は「007」シリーズのテレンス・ヤング。もう若い人にはわからない単語だらけで悲しくなります。
この映画ではアラン・ドロンは三船、ブロンソンに次ぐ三番手で敵役を演じていますが、正義の味方よりも悪役の方が似合う俳優でした。色気が過剰にあり過ぎて、単なる正義マンでは収まりきらないのです。『太陽がいっぱい』や『若者のすべて』など陰のある役柄がはまりました。日本なら沢田研二がまさにそういう俳優で、後に沢田の主演映画『太陽を盗んだ男』を見た時に、「日本のアラン・ドロンだな」と感動したのを覚えています。
もっともアラン・ドロンが二枚目俳優の代名詞として大衆に人気だったのは日本だけで、ヨーロッパでは社会派作品にも出るちょっと違うスタンスの俳優という捉えられ方だったということです。その後、ロバート・レッドフォードやレオナルド・ディカプリオなど、その時代を代表する二枚目俳優が登場していますが、未だにアラン・ドロンがナンバー1だと思います。ご冥福をお祈りいたします。