幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

コロンブスは取り扱い注意

2024-06-13 23:59:06 | 広告
 コロンブスという人はアメリカ大陸を「発見」した歴史上の偉人でした。僕が子どもの頃はコロンブスの伝記も読みましたし、「コロンブスの卵」の逸話も知っています。正直、子どもながらにコロンブスの卵は「ズルじゃね?」と思いましたが、まあそれはともかく、偉人の中でもトップクラスの有名な人物であることは間違いないでしょう。

 しかし時代を経るにつれて、アメリカ大陸は「発見」されたわけではなく、元からあるし、多くの住民もいたし、そこにヨーロッパ人が「到達」して侵略をしたという歴史観が正統なものであるという認識に変わっていきました。ヨーロッパを中心にしたそれまでの歴史観が訂正されていくようになったのです。「インディアン」という言葉も「ネイティブアメリカン」と正しく表現されるようになり、もちろん「野蛮」で「凶悪」なインディアンをバンバン銃で撃ち殺す「正義」の白人騎兵隊という西部劇も作られなくなりました。

 もちろん、そんなことは知らないとか興味ないという人もたくさんいるだろうし、ヨーロッパ史観で何が悪いとか、行き過ぎた平等主義だと思うのも個人の自由です。ただその考えは少なくとも現代においては主流ではなく、ビジネスとして表現に携わる人は、コロンブスのように、昔と今とでは評価が変わってきている人物を安易に扱うことがどう捉えられるかくらいの知識は持ち合わせていないとリスクが高くなります。

 Mrs.GREEN APPLEの新曲「コロンブス」のMVが公開停止になった今回の事件は、「炎上上等」のケンカ殺法のつもりならともかく、真っ当なビジネスとしてはやはりチェックが甘過ぎたというしかないでしょう。特に今回はCMソングなのですから、ビジネス上のリスクは絶対に避けなければなりません。「これ面白いじゃん」というノリで作ってしまうと、途中で「危ないかも」と感じてもストップをかけにくいのはわかります。僕が現役時代もそうやってイケイケになった時もありましたし、途中でしっかり止めてくれる人がいなかったら危なかったこともありました。自分では面白いと思っているアイデアを「危ないから」という理由で止められるくらい悔しいことはないのですが、冷静にチェックして止める人は絶対に必要です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憧れという目標

2024-05-11 23:59:24 | 広告
 昨年のWBCで大谷が「今日だけは憧れるのはやめましょう」という名言を残しましたが、本来は憧れるのが当たり前だからこそ、この言葉が名言とされるわけです。逆に誰にも憧れないような人がその道で何を目指すのかと疑問に感じます。憧れる対象がいてこそ、目指すべき目標がはっきり見えてくるのではないでしょうか。憧れの人もいないで本気でやっているのかと言われても仕方ありません。

 とは言うものの、僕自身も自分がやっていること全てで「憧れの人」がいるのかと言われると、少々怪しいところもあります。コピーライターになった1983年、当時のスターコピーライターと言えば糸井重里(このあと登場する人は全て敢えて敬称略でいきます)でしたが、それはメディアに登場して一般人が知っているからで、業界内では恐らく仲畑貴志が駆け出しコピーライターの間では一番人気だったのではないかと思います。

 僕も仲畑はもちろん憧れの一人ではありましたが、一番好きだったのは秋山晶でした。当時すでに巨匠と言っても良い存在でしたが、とにかく切れ味が鋭いカッコいいコピーを書かせたらナンバーワンだと思っていました。残念ながら僕は全然そういうタイプのコピーは書けなかったというか、下手な物真似しかできなかったのですが、それだけにより憧れたというところはあります。「ただ一度のものが、僕は好きだ。」(キヤノン)、「精神力だけでは、テープを切れない。」(カロリーメイト)、「時代なんかパッと変わる。」(サントリー)など、秋山のコピーは今見ても惚れ惚れします。

 テニスでは始めたばかりの頃に憧れたのはローズウォール、次にマッケンロー、エドバーグと続きましたが、フェデラーの登場以降はフェデラー一択です。これもとても真似したいけれども真似できないのが残念ですが、引退した今も現役当時のプレーを見たら感動すらします。最近サーブの時に足を揃えないで打つ形に戻しましたが、これもフェデラーに憧れていたから昔やっていたフォームです。フェデラーのタッチ感覚があったらさぞかしテニスは楽しいだろうなと常々思います。

 問題は音楽です。サックスは習い始めた頃に有名なプレーヤーの演奏を一通りCDを買って勉強しましたが、どうもピンときませんでした。さらにライブハウスに生演奏も聴きにいきましたが、「上手いなぁ」とは思うものの、憧れるという感じにはなりません。唯一アンテナに引っかかったのがデイブ・コーズでした。フュージョンのサックス奏者で、後で知ったのですが僕より2歳年下でした。他に聴いた著名なサックス奏者はレジェンドばかりだったので、逆に同世代だから何か感じるものがあったのかとも思います。来日した時には、ライブにも行って堪能しました。

 ピアノに関しては未だにそれほど聴き込んでいないこともあって憧れと言う人はいません。なのでピアノは道しるべなしでレッスンを受けている感じがずっとしています。ボーカルは逆に長年好きでいろいろな音楽を聴いてきているので、ボーカリストとして好きな人がたくさんいます。話が長くなるのでボーカリストについてはまた機会があれば書こうと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キリン氷結の広告

2024-03-12 23:06:55 | 広告
 キリンビールが缶チューハイ「氷結無糖」のWEB広告に経済学者・成田悠輔を起用して批判を浴びた件。これまで氷結と言えば高橋一生とか高畑充希とセカオワとかを使って爽やかに広告展開していたのに、なぜいきなり成田を使ったのかと僕も見た時に不思議に思いました。他に小峠英二と若槻千夏も併用していて、この3人の並びだと余計に成田が浮いていて違和感があります。成田だけちょっとテイストが違うかなと思いました。

 成田が好感度が高い学者だったら問題はありませんでした。しかし小峠と若槻という、かなり好感度が高いタレントと並べることで、「なぜ成田?」感がさらに増してしまいました。そして成田が2021年に少子高齢化問題で「高齢者は集団自決、集団切腹を」と言ったことがクローズアップされて、Xで「#キリン不買運動」というハッシュタグまで作られて批判が噴出しました。さすがにキリンビールも早々に広告を取り下げざるを得なかったのでしょう。

 成田の発言は当時もかなり批判を浴びましたし、まだ全然忘れられていないですから、起用したキリンも事前にこうしたリスクは認識していたのではないかと思います。しかし残念ながら実際には想定以上に批判が大きかったということなのでしょう。缶チューハイで若い世代に受けそうな新進気鋭の学者というつもりだったのに、大きな批判を浴びてしまい、何よりキリンのメイン顧客である年配層の反感を買ってしまいました。これは捨て置けないという判断でしょう。世間の反応を見て素早く取り下げたのはリスク管理としては良かったと思います。

 成田の問題発言ですが、本人はあくまでも「メタファー」だと言っているようです。注目を集めるために敢えて過激な物言いをしたのかも知れませんが、やはり太平洋戦争や軍国主義を想起させる「集団自決」とか「切腹」は不適切でした。それを「メタファー」だと主張しても、それ以前のところで物議を醸してしまっては真意はもう伝わりません。ここのところ過去の発言を掘り返されて批判される有名人が多いですが、特に広告では気をつけないといけないという事例が増えてしまいました。ますますCMで見るのは芦田愛菜や川口春奈ばかりになりそうです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キャッチコピーとマルハラ

2024-02-02 23:59:57 | 広告
 若者がLINEのトークの最後に「。」をつけると、冷たいとか怖いと感じる「マルハラ」なるものがあるそうです。以前から若者は文章に「。」をつけないという話は聞いたことがありますが、いよいよハラスメントと言われるまでに嫌われるようになったのかと驚いてしまいます。いやいや、文章の終わりに「。」つけなきゃおかしいでしょ、と思う人は、もう若くはないようです。そもそも彼らは「文章」を書かないそうですから。そりゃ「。」もつけません。

 僕がコピーライターになった40年ほど昔、キャッチコピーに「。」をつけるのがトレンドになっていました。それまでのキャッチコピーは「男は黙ってサッポロビール」みたいに「。」がつかないのが普通でした。しかし1980年代に入って糸井重里が「おいしい生活。」とか仲畑貴司が「おしりだって、洗ってほしい。」とか書いた頃には「。」をつけないとカッコ悪いとなっていました。新人だった僕も当然真似して書いていましたし、「。」で終わらないキャッチコピーを書いた記憶がありません。

 当時の若者の感覚では「。」がつくことで、言葉に息遣いのようなものが感じられて、単なる広告の宣伝文句ではなく、語り掛けられているようなパーソナルさが表現できていると思っていました。「。」がつかないキャッチコピーは何となく古臭く感じられたものです。だから今の若者が「。」がつくと冷たいとか怖いとか感じるのと、ある意味では真逆の捉え方を当時の若者はしていたということになります。

 ただ今でも新聞広告や雑誌広告のキャッチコピーを見ると「。」はついています。僕が現役だった時代と基本的なコピーの構造は変わっていません。少し安心しますが、逆にこれで若者に届くのかなという懸念もあります。そもそも新聞や雑誌なんて今どき若者は見ていないからと言われたらそれまでですが、そのままwebにも同じキャッチコピーを使っていたりしますから、もう少し「マルハラ」について特に中堅以上のコピーライターは意識して書いた方が良いんじゃないかなと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

老害にならないコメント

2023-12-25 23:04:06 | 広告
 昨日のM-1について、いろいろなコメントや裏話などがネットに流れてきています。面白い話もどうでもいい話もあるのですが、その中でカンニング竹山がABEMAで話した内容にちょっと共感しました。竹山は「M-1」を見たかと聞かれ「全部は見てない。ちょいちょいで」「こういう言い方するとあれですけど、そんなに興味が無くなってきちゃってる。僕、漫才師だったの20年前だから、昔は仲間が出てたら頑張れーとか見てたんだけど。今の出てる子全く知らない。だからみんな面白いって評価しかない。みんな頑張ってんね、面白いねしかない」と話したそうです。

 僕は32年間コピーライターをやっていたのですが、8年前から現場から離れてしまったので、この竹山のコメントと同じように広告表現について感じています。大学の卒論を「広告表現における企業競争」というテーマにしたくらい若い頃から広告コピーについては興味があったのですが、近年はめっきり広告、特に広告賞について関心が薄れ、どこの誰がどういう広告を作っているのかも知りません。竹山がM-1について興味がないというのと同じような気持ちかなと思いました。

 竹山も「(漫才は)好きですよ、元々漫才師だから」と語っていますが、僕も広告は好きですけど、業界の内輪ノリ的な賞レースとかには全く関心がありません。そもそも名古屋のローカルクライアントとローカルな広告をコツコツ地道に作ってきたので、大きな賞ともあまり縁がありませんでした。ごくたまにですが、東京の一流ホテルで開かれる大きな広告賞の会場に招待されたこともありましたが、顔見知りも少ないし、いつも場違い感から隅っこでローストビーフや寿司を食べていました。なので広告賞について語ること自体がおこがましいのですが、もともとそういうところで働いていただけに客観的に見える部分もあります。

 そもそも今や広告自体が僕が基礎を学んだ40年前とはすっかり違うものになってしまいました。全く自分の経験や知見が通用しない世界に様変わりしているのに、いつまでも広告表現の現場にとどまっていなくて良かったとさえ感じています。アップデートできていない年寄りが何か意見することはまさに老害にしかなりません。お笑いや広告以外の世界にもきっとそういう年寄りがたくさんいることでしょう。素直に「みんな頑張ってんね、面白いね」で良いと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

店内みんな村上春樹

2023-10-05 22:55:12 | 広告
 ユニクロの新しいCM。本を抱えて喫茶店に入ってくる綾瀬はるか。店内の隣の席で読書をしている石川佳純。さらにカウンターで本を読んでいる少女の3人全てが村上春樹を読んでいることが話題になっています。綾瀬と石川は『海辺のカフカ』、少女は『街とその不確かな壁』でした。このCMに対してネット上のハルキストは大喜びです。そりゃまあそうでしょう。読書の秋にクラシックな喫茶店で読むに相応しい作家として村上春樹が選ばれたのですから。ただハルキストが熱狂的なほど、アンチハルキストもいるわけで、逆に「みんな村上春樹を読んでいる喫茶店なんて嫌だ」という声も上がっています。不特定多数を相手にするCMの難しさです。

 個人的には村上春樹は好きでもあり嫌いでもあります。小説は肌に合いません。1979年のデビューですから、一番読書をしていた時期でした。本好きの間で話題作だった『風の歌を聴け』『1973年のピンボール』を当時すぐに読んでいますが、全く自分には合わないなと思いました。反面エッセイは嫌いではありません。軽妙で面白いです。小説になるとなぜあんな風になってしまうのかと思いますが、エッセイでは親しみやすいので、村上の自意識の問題かなと考えています。

 話が逸れましたが、では村上春樹じゃなかったら誰の本をCMで使ったら良かったのかとなると、これもまた難しい問題です。しかし、読書好きとしてはちょっと楽しいお題でもあります。若い女性が好きそうな人気作家はたくさんいます。東野圭吾、湊かなえ、辻村深月、有川浩、宮部みゆき、恩田陸、三浦しおん、西加奈子など。ここでポイントはカウンターの少女だと思います。まだあの年頃の少女が村上春樹は似合わない気がします。僕が選ぶとしたら上橋菜穂子です。ファンタジー作品の『精霊の守り人』と『鹿の王』という人気シリーズがあるので、少女には『鹿の王』を、そして綾瀬と石川には『精霊の守り人』を読ませたいです。なにせ綾瀬はるかは『精霊の守り人』のドラマ化の主役ですから。

 アンチも多い村上春樹よりもCMとしては無難な人選だと思いますが、ユニクロと村上春樹はコラボしていたこともありますし、そういうビジネス的なつながりで村上春樹だったということもあるかも知れないので、特に文句があるわけじゃないですけどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ジャニーズタレントの起用問題

2023-09-08 23:59:30 | 広告
 昨日のジャニーズ事務所の会見の後も、テレビ各局はジャニーズのタレントを起用することに変わりはないという声明を出しています。しかし広告出演契約をしている企業はもっとシビアです。日本航空や東京海上、アサヒ、キリンなどが早々に今後のジャニーズタレントの起用をとりやめると発表しました。こうなると恐らく今後もドミノ倒しのように契約を延長せずに打ち切りにする企業が続くのではないかと予想されます。

 テレビ局は今のところ狭い業界の内側しか見ていないように思われます。しかし広告を出している企業は日本国内だけではなく海外でも企業活動をしている以上、人権感覚がないと海外から指摘されるようなリスクを冒してまでジャニーズのタレントを出演させるメリットがありません。企業は何よりマイナスのイメージがつくことを嫌います。ジャニーズ以外にもタレントはいくらでもいるのですから無理に契約を続ける必要はありません。

 これはちょうどSMAPの3人がジャニーズ事務所を退所した時と正反対の状況です。あれから稲垣、草彅、香取はテレビ番組には出られなくなりましたが、CMは続いていました。企業は事務所に忖度する必要はありませんし、あの時に悪いイメージがついたのはジャニーズ側であって、やめた3人ではありませんでした。最近ようやく3人が民放地上波にも出られるようになりましたが、彼らに対するこれまでの事務所とテレビ局の理不尽な対応だけを見ても、あれが当たり前だと思っている方の感覚がおかしいと気づくべきでしょう。

 そしてテレビ局は今後もジャニーズタレントを使うと言っていますが、スポンサー企業がジャニーズのタレントをCMから降ろしているのに、その提供番組でジャニーズのタレントを使うことが果たしてできるでしょうか?少なくともジャニーズの冠番組は存続の危機に陥ることでしょう。だから早く経営陣や株主も含めて「解体的出直し」をしないといけないし、ジャニーズという事務所の名前も変えなくてはいけないのです。タレントは悪くないと言うのなら、経営側がタレントを守るためにやるべきことは明らかです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムツゴロウさんの思い出

2023-04-06 23:35:11 | 広告
 僕は中高生の頃にユーモラスな筆致のエッセイを読むのが好きでした。最初にはまったのが北杜夫で、『どくとるマンボウ青春記』がとてつもなく面白かったので、似たタイトルに惹かれて畑正憲の『ムツゴロウの青春記』を読んだのが始まりでした。『ムツゴロウの無人島記』『ムツゴロウの結婚記』『ムツゴロウの大勝負』と読み進めるうちに、なんて知性的で感性が細やかで、かつ行動力があって突き抜けた人だろうとワクワクしたのを思い出します。

 そんな好きな作家であった畑正憲がいきなりテレビ番組で動物たちと戯れているのを見た時には驚きました。エッセイ通りというよりは、エッセイの印象を超えていて、パワフルかつ奇天烈な人として、1980年代に一気にテレビスターの「ムツゴロウさん」としてブレイクしていきました。ただ僕は作家の畑正憲から入っているので、逆にテレビの中のムツゴロウさんには少し引き気味になってしまいました。テレビというのはやはりキャラクターをより強烈に演出していくので、ムツゴロウさんの知性的な面よりも変人の部分が強調され過ぎている嫌いがあったからです。

 その後、ムツゴロウさんはライオンに指を食われたり、莫大な借金を抱えたりして、そのたびに世間を騒がせていましたが、作家としては初期の頃のエッセイの名手から方向性が変わってきてノンフィクションに偏っていたのであまり読まなくなりました。そんな中、今から10年以上前のことですが仕事でムツゴロウさんとご一緒する機会がありました。ちょうど東京ムツゴロウ動物王国の借金を返済するために彼がガムシャラに働いていた頃で、僕の低予算のローカルなラジオCMにナレーターとして出演してくれたのです。普通なら絶対に出てくれないような些少なギャラでした。

 ほんのわずかな時間でしたが、短い会話の中でも感じられたムツゴロウさんの頭の回転の速さ、理解力、低予算なのにきちんと仕事をしてくれた紳士的な態度、気配りや豊かな人間性も含めて、10代の頃に思い浮かべていたムツゴロウさんそのもので感動しました。一瞬ですがムツゴロウさんと人生が交錯したことがとても嬉しく思いました。今回の訃報に接し本当にショックでした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新幹線の曲が変わる

2023-02-16 23:45:40 | 広告
 東海道新幹線の車内で東京駅に近づくと流れる「AMBITIOUS JAPAN! 」。作詞・なかにし礼、作曲・筒美京平の昭和を代表するコンビが作りTOKIOが歌った名曲です。2003年の品川駅開業キャンペーンに合わせて作られたイメージソングで、東京に旅行や出張で行くたびに車内放送で聞かされていました。条件反射で東京駅に近づく車内から見る新橋銀座有楽町あたりの景色を思い出します。

 JR東海は車内放送をこの曲から今年変更することを発表しました。20年が経ってコロナで移動も減ったところから回復を始めたこの機会に新しいキャンペーンを立ち上げるからだそうです。「会いにいこう」というキャッチフレーズで始まるそうで、同名の曲をUAが歌うことになっているとか。コロナでリモートワークが定着したいま、ドル箱の東海道新幹線の客足を回復するのはJR東海としては至上命題でしょう。実際僕もこの3年間は新幹線に一度も乗っていないし、東京にも行っていません。「会いにいこう」と言われると確かに会っていない人、会いたい人は東京方面にたくさんいます。

 ちなみにJR西日本は変わらず山口百恵の「いい日旅立ち」を使い続けるそうです。1978年の国鉄時代のキャンペーンソングです。こちらは45年モノの熟成された名曲です。中学生の頃からの百恵ファンとしてはいつまでも変わらずに「いい日旅立ち」を使い続けてほしいと強く願っています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アジアのジューシー

2023-02-10 23:29:13 | 広告
 今日の「ミュージックステーション」で、TikTok振付師やインフルエンサー19人が“絶対バズる歌”を投票したVTR企画「今年はこれが流行る!昭和平成ソングランキング」というのを放送していました。このランキングがちょっとどうなの、という内容でした。投票した19人は当然のことながらみな若く、昭和平成のヒット曲に詳しいとはとても思えません。と言うことは、あらかじめ番組スタッフが選曲したせいぜい数十曲を聴かせて投票させたということです。

 番組スタッフとてまだ20代30代でしょうから、昭和はおろか平成前半のヒット曲にも詳しくないことでしょう。年配のスタッフに意見を聞いたところで、今度は年配のスタッフのセンスと今の若者にバズる歌のズレがあります。 なので、見ていて本当に「これはなんのためのランキング?」と思ってしまいました。そもそも有名な曲ではなく「へー、こんな曲が今の若者に受けるのか」と中年以上に思わせてこそ面白くなるはずなのに、単に懐かしい曲を並べただけでは意味がありません。

 そのランキングに入っていた「アジアの純真」。まあいかにもTikTokでバズりそうというか、ベタ過ぎてむしろ取り上げないでくれと思うほどですが、最近マクドナルドのCMで使われています。キャッチコピーが「アジアのジューシー」。アジアフェアだということで、このダジャレと替え歌になったのでしょう。まあそれは良いのですが、替え歌を歌っているのが笑い飯と飯豊まりえ、西野七瀬。笑い飯はともかく、せっかく飯豊、西野という人気若手女優を使うなら、もう少しちゃんと凝って作って欲しかったと思います。

 PUFFYっぽいブルー系のTシャツとデニム姿ですが、PUFFYの「作り込まれたラフさ」の完成度の高さに遠く及ばないのです。やるならもっと衣装や映像にこだわって欲しいのに、安易というかお手軽というか低予算というか。そう見せかけていて実は相当に細部まで金をかけているPUFFYのオマージュになっていないのが本当に残念です。あれでは「わかってないな」と当時のファンから思われてしまうことでしょう。まあそんなこと知らない今の20代以下にはどうせわからないから良いや、という割り切りなのかも知れませんが、やるならとことんやらないと、こうした企画はつまらないと思うんですよね。そこまでやれる予算がなかったのかどうなのか、惜しいなと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする