幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

春はぼんやりしてたいな

2011-02-28 01:08:14 | 日記
 今月は誕生月ということもあって、個人的にはイベントが多かったのですが、それにしてもこの3週間くらいはスケジュールがギチギチに詰まっていて大変でした。ここに書いたことも書いてないこともあるのですが、平日も週末も出かけたり人と会ったりが多かった上に、テニスもサックスも大忙しで、師走でもないのに駆け抜けた感じです。

 この土日など土曜日にテニス4時間して、日曜日朝スクールに行って、午後から山本麻友美プロとガンガンに激しいテニスをして、夜は高校時代の友人と会ってライブに行きました。その合間にずっとサックスの練習もしていますし。プロとのテニスはかなりレベルが高いメンバーが揃ったので、プロも燃えていつもの3割増しくらいのボールを打ち込んでくるので大変でした。もっとも、1年かかってようやくプロにもそれなりのボールを打ってもらえるようになってきたのは嬉しかったですけどね。

 しかし、平日はまだしも週末の2日間にこうしてびっしり予定が入ってしまうと、いろいろ日常でやりたいことがどんどん積み残してしまいます。特に片付けができなくなるのが残念。もう要らないものでも、ゴミとして捨てるのか、再利用を考えるのか、誰かにあげるのか、売りに行くのか、それぞれ判断した上で処理をしなければならないのに、それができずに溜め込んでいます。

 溜め込んでいるのは本や週刊誌やマンガ雑誌もそうですし、録画したテレビ番組もそう。HDDレコーダーの容量がいっぱいになる前に見て消したいのですが、見るよりも録るボリュームの方が多いのですから、ちっとも減らないどころか増えてきています。

 3月になったら、少し週末は落ち着いて家にいたいと考えています。ただ考えてはいるものの、すでに予定の波はひたひたと押し寄せてきていて、よほど気をつけていないと、またスケジュールの大波にさらわれそう。そうじゃなくても年度末で仕事も忙しいというのに。このままぼんやりしていると春が過ぎちゃいそうです。

 もっとも春はぼんやりとしているのが実は一番楽しいですけどね。「ぼんやり」が似合うのは春をおいてありません。蕪村の句のように「ひねもす のたりのたりかな」が春の理想です。梅の季節じゃまだ早いですけど、桃が咲く頃にはぼんやりしてたいなぁ。

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婚活なら合コンよりもお見合い

2011-02-27 01:56:30 | 男と女
 50才ともなると「合コン」界からは遠く離れてしまって久しいわけです。先日、最近の合コン事情についてあるアラサー男性に聞いたところ、彼は合コンではほとんどプライベートな情報を漏らさないで嘘ばかり言っているらしいです。名前、勤務先、住所など全て嘘。そもそも既婚者なのに未婚と偽って参加しているのですから、嘘で固めきっています。「お持ち帰り」後にトラブルになった時にすぐにフェードアウトできるように準備しているわけで、「どこかで聞いたような話だな」と思ったら、10年くらい前のMっちゃんがしていたのと全く同じでした。

 もちろん僕はそんなひどい鬼畜系お持ち帰り合コン(ヤリコン)はしたことがありません。そもそも最後に合コンに参加したのはいつだろう?数年前かな、って、あんまり遠くないか。まあ合コンと言っても、男女グループでほんわか飲んだだけですけどね。ただ、そもそもの合コンの黎明期に立ち合ったのは我々世代なので、合コンについてひとつ語ってみても良いかも知れません。

 僕たちが大学に入った頃は合コンよりも合ハイの方が盛んでした。今の若者には「合ハイ?酎ハイの親戚?」と思われるかも知れませんが、これは「合同ハイキング」の略で、男女が「合同」でハイキングに出かける親睦会のことです。当時の学生はクルマなんか持っているのは極少数ですから、みんなで電車に乗ってハイキングに出かけて「ハンカチ落とし」をしたり、ギターを弾いて車座になってフォークソングを歌ったりしたわけです。

 しかしマークシート世代、ポパイ世代、クリスタル世代の我々「新人類」はそんなかったるいことはやってられないとばかりに、クルマを用意して女の子を誘ってドライブやテニスに出かけますし、繁華街のディスコやカフェバーで女子学生と一緒にお酒も飲みます。そもそも僕たちより上の世代は女子学生が酒を飲むということ自体、顔をしかめられるような行為でした。今の女子大生が聞いたら「なにそれ?受ける!キャハハハ」と笑われること間違いなしです。

 で、そんな若者の「遊び事情」変革期に今のような下心満載の「出会い」を求める合コンを始めたのも我々です。名古屋の合コン史の初期にその名を残した、と言うのは大げさですが、僕の会社の同期は本当に合コンで出会った女性と結婚をしました。当時は「合コンで結婚!?」と驚かれたし、結婚披露宴では仲人が2人のなれそめを親戚の手前「友達の紹介」と偽って話したものです。もっともスライドで思い出の写真を見せている時に、その合コンの時の写真も登場して、一緒に写っていた司会の僕が全てバラしてしまいましたけどね。

 既婚者になっても独身と偽って合コンに参加したこともありますが、さすがにそれは人数合わせで出ただけで、僕の知人のように騙して何とかしようというわけではありませんでした。最近は婚活のひとつとして合コンには女性の方が熱心で、草食系男子たちは合コンに参加しないからマッチメイクに苦労しているという話も聞きます。だからこそ、悪い既婚者が荒しまくる余地が残されているんでしょうけどね。

 婚活を考えるならそんな合コンよりも昔ながらの「お見合い」の方が絶対に良いと思います。世話焼きのオバサンが「これなら合う」と思える組み合わせを考えて紹介してくれるのだし、最初に条件もきちんと聞けるのだからムダがありません。既婚者が嘘ついて乱入してくることもないし、しかも草食系男子は合コンでは目立ちませんが、お見合いなら違う視点で観察するので良く見えます。まあ世話を焼くお見合いオバサン自体が本当に少なくなったのでなかなか難しいのかも知れませんが、僕なんか結構独身男女のリストを抱えていますから、やろうと思えば結構マッチメイクできます。お見合いオヤジでも始めようかなぁ。

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この季節恒例の「ダイエット宣言」

2011-02-26 00:26:08 | 健康・ダイエット
 毎年書いていることですが、今は僕が一番好きな季節です。厳しい寒さが少し緩んできて、陽射しの温かさ、明るさ、春の息吹が感じられ、いよいよ生命が動き出す誕生の季節。その時期に自分の誕生日があるからこそ、より一層この早春という季節が愛おしく感じられます。

 ただ問題はこの季節は1年でもっとも「デブ」になる季節でもあるのです。生物学的に言えば、寒くて運動量が落ち、代わりに寒さ対策で脂肪を溜め込みます。社会学的に言えば年末の忘年会、クリスマス、正月のご馳走、新年会、2月の誕生日、バレンタインデーと立て続けにイベントが重なって、1年の中でも圧倒的な摂取カロリーを誇っています。

 体重計の数字も上昇の一途を辿りますし、着ている服もはち切れそう。見た目にも「ちょっとこれはヤバイんではないかい?」と鏡を見るたびに思います。毎年「ダイエットするぞ!」と書いているのも大抵この時期です。僕の場合はこの20年くらいはずっと体重が10kgくらいは増えたり減ったりしてきています。今はその10kgの中の真ん中より少し高め。もうこれ以上太ったらヤバイゾーンに突入してきています。黄信号が赤信号に変わりました。

 というわけで、もう何回目になるかわかりませんが「ダイエット宣言」します。この冬の間、欲望に任せてひたすら食べ続けてきましたが、もうダメです。ダイエットの極意は本当にシンプル。「食べなければ痩せる」。なにせ運動量は週に何回もテニスをしているので問題ありません。摂取カロリーさえ減らせば簡単に体重は落ちます。ま、それが毎度のことながら簡単だけに難しいんですが。目標は控え目に今より6kg減!4ヶ月後、6月末には達成していたいです。

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何も与えない者は何も受け取れない

2011-02-25 01:57:27 | 日記
 先日から内田樹の本を読んでいたのですが、「なるほど」と首肯するところが多いです。それは新しい発見があって目を開かれたというよりも、自分が常々感じ思っていたことをより的確に整理して書いてあるので「そうそう」と共感したという感じです。「うまいこと言うな」って。

 そのひとつに、内田は「自立」は実は「孤立」であり、それよりもこれからは「共生」を考えろ、と言います。自立できる社会(=ひとりで生きられる社会)というのは基本的に豊かな社会、安全な社会であり、それは人類の歴史の中でも極めて特殊な状況だと。その前提が壊れた時には人は「ひとりでは生きられない」。生き残るためにはお互いが助け合い支え合う共生できるネットワークを作ることの方が大事だよ、と言います。

 共生するためには集団の一員とならねばならず、それは利他的な行動を規範とします。つまり集団のために自分が働き、自分だけが得をしたりしてはいけない、むしろ受け取るよりも与える方が多いようでなくてはダメだと。みんな少しずつ平均値より多くを提供しようとすることで、集団は維持されていくというのです。逆に誰もが自分だけ他より得をしようとしたら、その集団は崩壊してしまうと。

 長年会社で働き、またプライベートでサークルの幹事をしていると、この集団維持のための原理はとてもよく理解できます。集団の中には必ず落ちこぼれる人間がいます。本人が意図しているかしていないか、また本人の能力とかやる気は関係なく、周りの助けを必要とする存在がいます。その人をフォローしながら集団が維持されていくためには、他のメンバーがその人の分まで頑張り、平均以上、報酬以上に提供をしなければなりません。

 そんな落ちこぼれは見捨てていけば良いじゃないか、という言葉はいつか自分へ返ってきます。常に集団の平均以上にいられるかどうか。今はそうでも体調を崩したり、年を取ったり、家庭の事情だったり、どんな理由で平均以下になるかわかりません。その時に「相互扶助」することができる集団が、長きにわたって存続していける集団であり、そのために「自立」よりも「共生」なのです。「ひとりで生きる」ことは、自分が落ちこぼれになったら、即アウトです。集団の中で共生していれば、いったん落ちこぼれても支えてもらいながらまた復活できる可能性があります。「やり直せる」ことができるかどうかは大きな違いです。

 サークルで幹事をしていても、平均以上によく働くメンバーは長く中心メンバーとして在籍しています。その間には浮き沈みもあります。事情があってテニスができない時期があっても、また戻ってこられます。しかし、自分だけが得をしようと都合の良い利己的な行動ばかりを繰り返すメンバーはいつの間にかサークルから消えていきます。いや、実はそれは「いつの間にか」ではないのです。サークル全体の無言の総意として「消されて」いるのです。そう言うと恐ろしく冷たいサークルのような印象を受けるかも知れませんが、そうじゃなく、むしろみんなが優しいからこそ、自分だけ得をしようとする人間がいつの間にかサークル内で浮いてきてしまうのです。

 サークルがそのまま世の中と同じではありませんが、やはりエッセンスは共通したものがあります。まず他に与えること、それが自らが受け取ることの条件であり、何も与えない者は何も受け取れない。当たり前のことなんですけどね。

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学校の音楽の授業も役に立つことがある

2011-02-24 01:38:04 | 音楽
 先日アマゾンで注文した楽譜集(CD付き)が届きました。中古品ですがまあまあ程度は良い感じ。早速CDをパソコンにコピーして、それを聞いてみます。入っている曲は今回お目当ての「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」以外に、「星に願いを」「ホール・ニュー・ワールド」などのディズニーソング、「イエスタディ・ワンス・モア」「伝説のチャンピオン」などのポピュラーやロック、「大きな古時計」「ルパン三世のテーマ」「栄冠は君に輝く」などの日本の楽曲、さらにベートーベンの交響曲5番、9番もアルトサックス用に編曲して収録されています。

 全16曲入っているのですが、ずっと通して聞いて自分がサックスで吹くとどうなるかと考えます。楽しそうなのは「シャル・ウィ・ダンス?」。軽快で小粋な感じで吹いたら楽しそうだと思いました。また「スタンド・バイ・ミー」は上手に吹ければカッコ良いのですが、果たして自分の技術でカッコ良い感じに聞かせられるかと考えると心許ない気もします。とにかく指が忙しそう。

 まあ先生と決めたのは「イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー」だしな、と改めて曲を聞きながら楽譜を追います。と言うと、いかにも音楽ができる人のようですが、もちろんそんなことはありません。なにせ中学を卒業以来、音楽経験=カラオケでしかなかった30数年間でしたから、楽譜を見てもとてもすぐに「ふんふん、なるほど」なんてわかるはずもありません。

 ただ中学の音楽の筆記テストはほぼ満点だった僕です。中学卒業レベル程度の知識はあるので、それを頼りに楽譜を解読していきます。パッと見てこれが「ミ」なのか「ファ」なのか「ソ」なのか瞬時に判別がつかないのですが、それをひとつずつ数えて「あ、これはラか」なんて。シャープが「ド」「ファ」「ソ」と3つもつくので大変。慣れない左手小指を多用することになりそう(ソ#の時に必要なのです)。挙げ句にナチュラルまで出てくるし。混乱するわい。タイやスラーもたくさんついています。悪戦苦闘しながらも楽譜を解読していきます。

 それにしても音楽の授業の知識がまさかこの年になって生きるとは想像もしていませんでした。学校で習った知識が思わぬ所で役に立つことは多々ありますが、まさか自分が50才になって楽譜をこうも真剣に読むことになろうとは。真面目に音楽の授業を聞いていて良かったと心底思いました。あの頃は「こんなこと覚えて何になるんだ」と内心バカにしていましたけどね。人生、先にどんなことが待ち受けているかわからないものです。
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電車の中で化粧をする女と注意するオヤジ

2011-02-23 01:17:06 | 日記
 今朝の通勤途中でのこと。少し遅めなので地下鉄車内はパラパラと人が立っている程度。僕は座って内田樹の文庫本を読んでいました。とある駅から発車した時に大声が。「車内で化粧するのはみっとないからやめませんか!」。声のした左手側を見ると50才前後と思われる男性が立ちあがっていました。彼の視線の先、僕の右手側の車両連結部近くには、立ってコンパクトに向かって化粧をしている20代半ばとおぼしき女性。彼女は男性の声を無視しています。

 2人の距離は約10メートル。車内では結構な距離です。その間に座っている10人以上の乗客は興味深そうに2人を見ています。とりあえず女性が何も言わないので、男性はそのまま座席に座ってしまいました。男性の視線から外れたところで、また女性は化粧を再開。僕の向かいのオバサマ2人はクスクス笑いながら「最近の若い子は本当に…。でもあんな風に注意するのはどうかねぇ」などと喋っています。

 次の駅に着いたところで女性は隣の車両に移っていきました。空いた座席に座ってまだ化粧は続いています。その次の駅に止まる前に男性は立ちあがり、何やら車内をうろついてブツブツ言っています。ちょっと怪しい感じで、周りの人も不審そうな目で見ています。と、僕たちの前を通り過ぎて隣の車両との連結部近くまで行き「化粧をやめろと言ってるのがわからんのか!お前みたいなやつがいるから日本はダメなんだ!」と叫びました。周囲の客がサッと引いたのがわかります。そのまま止まった駅でその男性は降りていきました。車内にはホッとした空気が流れます。

 正直、電車の車内で化粧する女性に対してマナーとしてどうなの、ということは僕も思います。男性だけではなく、むしろ女性の方が厳しい意見を言うのも聞いたことがあります。ただ最近はあまりにも見慣れてしまったということもあり、もはや今さら「不快だ、けしからん」と憤るほどには思いません。「みっともないからやめた方が良いのにな」くらいです。眉をひそめはしますが、それで周りに迷惑をかけているとまでは言えませんし。

 だから大声で注意した男性の言わんとする内容は理解できますが、そういうやり方で注意しても誰も喜ばないだろうと思います。言われた女性は「変なオヤジに絡まれた」と思うだけで反省はしないでしょうし、周りも「よく言った」と思うよりも「なんか怖い人だな」と思う人の方が多いでしょう。言った本人は「言ってやった」というヒーロー気分は味わっていたのかも知れませんが、言うことを聞いてくれないのだからイライラと不満は残ると思います。

 伝えたい内容は正しくても、手法を間違えていたら共感は呼ばないし効果もありません。これは我々の仕事である広告とか広報、PRでも同じ。言いたいことを言えば伝わると思ってただストレートに言っても誰も聞いてくれません。むしろ「押し付けがましい」と反感を買うだけだったりします。聞いてもらうための環境を作り、受け手に届く良く計算された表現で伝えなければ効果はないのです。共感してもらって初めて受け手は内容まで聞く気になるのですから。

 そしてこれは広告に限らず日常生活でも人にメッセージを伝える時には共通した話。親から子でも、上司から部下でも、教師から生徒でも同じことでしょう。通勤電車の中で思わず良い勉強をさせてもらいました。

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次の課題曲はダイアナ・ロス

2011-02-22 01:20:06 | 音楽
 連日サックスの話題で恐縮です。読者の多くの方は興味がないかも知れませんが、自分の中ではいま最も熱い話題なのでご勘弁ください。

 さて、ライブハウスでの発表会が終わると、次は夏にホールでの発表会。去年は『ムーン・リバー』を吹いて見事に砕け散りましたから、今年はそのリベンジをしなければなりません。問題は何を吹くか。実は『パートタイム・ラバー』の練習をしている時から先生とは「次は何にしましょうね」という話はしていました。

 ライブハウスはバンド演奏ですからやはりノリの良い曲が良いのですが、ホールではピアノ伴奏のみのソロですから、ここはやはりバラード系が良いなと。ジャズ、ロック、ポップス、映画音楽などをいろいろ考えました。あまり最近の曲ではなくスタンダードになっていて誰もが耳にしたことがある定番曲。それでいてメジャー過ぎないで、しかも大人っぽくて、「なるほど、それを持ってきたか」と思われれば最高です。

 ただし問題は僕のレベルで吹きこなせること。難しすぎる曲はダメ、と言って数ヶ月も練習するのですから、簡単過ぎる曲では課題曲としては物足りません。あーだこーだとたくさん候補曲を並べた結果、残ったのがボズ・スキャッグスの『ウィ・アー・オール・アローン』(We're All Alone)と、ダイアナ・ロスの『イフ・ウィ・ホールド・オン・トゥゲザー』(If we hold on together)の2曲。どちらも名曲中の名曲。タイトルを聞いてもピンと来なくても、聞けば必ず「ああ、知ってる!」となる曲です。

 僕はどちらでも良かったのですが、先生がダイアナ・ロスの方が「練習になる」という理由で推すので、じゃあそちらにしましょうということになりました。早速楽譜を探しますが、市販のアルトサックス用楽譜集には意外とこの曲が入っていません。ようやく検索した結果見つけた楽譜集(CD付き)はすでに出版社では品切れ。仕方なくアマゾンで探したら中古が出ていたので、クリックして注文しました。ついでにダイアナ・ロスのベストアルバムも中古で購入。昨日の今日という感じなので、やる気満々です。

 家に帰ってYou Tubeで見てみます。うーん、改めて聞くと良い曲ですが、これをきちんと吹くのはかなり実力が必要そうです。ノリだけで押し切れた『パートタイム・ラバー』と違って、キレイにロングトーンができないと無理。それ、結構苦手。と言うか、特に緊張するとできない。それは基本ができていないということでしょう。先生はやはり僕に足りないものが何かよくわかっていて、それを練習させようという腹づもりのようです。

 これから4ヶ月。基本からまたやり直しの時間になりそうです。ま、望むところですが。

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初ライブでレベルアップ?

2011-02-21 01:11:42 | 音楽
 サックスを習い始めて1年半。昨日はそのミュージックスクールの発表会でした。その名も「SCHOOL BOX 2011」。名古屋栄の某ライブハウスを貸し切って、スクール生が講師と一緒にバンドを組んでライブをする年に1回のイベントです。昨年はドラムを習っている友人(高校時代の同級生・女性)の初ステージを見に行っただけでしたが、今年はついに自分もそのステージに立ってしまいました。

 3ヶ月も練習してきた「パートタイム・ラバー」は、もう練習では完璧。ただ問題は緊張して失敗すること。前夜にリハから変更になってドタバタするという夢を見るほどプレッシャーがかかっていました。昨年6月のホールでの初めての発表会の二の舞は避けたいのですが、そう思えば思うほどダメになりそうです。

 昼にライブハウスに行ってまずはリハーサル。バンド編成は僕がアルトサックス、先生がテナーサックス、それに講師陣のドラム、ギター、ベース、キーボードという6人編成。一人で吹くよりはずっと心強いですし、自分がヘタレでも周りが支えてくれるので聞けるものになるはず。特に先生がテナーで一緒にステージに立ってくれるのは頼もしいです。

 リハでは意外にうまくできました。音の返りが弱くて自分の音が良く聞こえなかったのが不安で、それだけは上げてもらうことにしましたが、自信はつきました。この調子なら何とかなるかも。リハが終わってから本番までは5時間くらいあります。ドラムクラスの友人と一緒にロッテリアでランチ。友人はトップバッターなので1時間余りいてライブハウスに戻ります。

 彼女のステージはさすが2回目だけに堂々としたもの。東京スカパラ版の「ルパン3世のテーマ」を見事に叩ききりました。昨年は途中でスティックを飛ばすという派手な失敗をしていましたが、今年はそれもありません。本人は終わってから「ちょっと失敗した」と言ってましたが、素人にはあまりよくわかりませんでした。

 友人のステージが終わってもまだ僕の出番まで3時間近くあります。他のスクール生はみな若く、僕と友人が今回の参加者の最年長。若者の演奏を聴いていても退屈になってきたので、またライブハウスを出て近くのカフェへ。お茶を飲みながら持ってきたゲーム機にしばし没頭。余計なことを考えないためです。

 予定集合時間の30分前にライブハウスに戻りました。いよいよあと2曲で出番というところで準備を始めます。先生も一緒に控え室にいてくれて、いろいろ気を遣ってくれます。なるべくリラックスして楽しむこと、これだけを心がけようと思うのですが、それが簡単にできれば苦労はしません。

 いよいよステージへ。意外に客席はいっぱいです。紹介をされて、軽く音を合わせて、いよいよ前奏が始まりました。8小節で吹き始めます。最初の音からしくじりました。一気に緊張して頭が白くなります。音の返りが小さく自分の音がよく聞こえません。時々音が出なかったり飛ばしたり、とにかく練習の時にはやらなかったような細かいミスが続きます。ヤバイ!心臓がバクバクになります。

 いったん間奏。16小節の間に気持ちを立て直して再び演奏開始。しかし、サビのところで「ラ」なのに「シ」の音を!こんな指使いの間違いはやったことがありません。またもヤバイ!それでも前回の失敗の経験が生きました。とにかく曲は進んでいるのだから、間違えたことを考えている暇はありません。気を取り直して吹き続けます。何とか最後のところはうまくできてフィニッシュ!前回の発表会よりは少しだけマシなプレイができたかな?

 一緒に演奏した講師の先生たちもハラハラだったのでしょう。何とか吹き終わった僕にみんな「良かった!」と誉めてくれます。「(無事に終わって)良かった」だったのだろうと思いますが、まあ音は酷くてもノリだけは最後まで維持できたので良しとしましょう。バンドだからこそ乗り切れたのだと思います。ソロ演奏だったら途中で挫けていたかも知れません。

 前回は演奏直後の自己採点5点(100点満点中・その後ビデオで見て30点に上方修正)でしたが、今回は40点くらいはつけても良いでしょう。合格点にはまだまだ及びませんが、補講を受ければ単位はやる、というくらいまでには上達したと思います。

 最終目標はあくまでも70才になった時に一人前にサックスを吹きこなすことにあるので、この調子で残り20年続ければ大丈夫、かも。まずはライブハウスでのバンド演奏を初体験できただけでも進歩です。経験値を稼いでレベルアップをしました。まだスライムを倒せるくらいになったところですけど。早く次の町へ行きたいです。

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ブログとツイッターの動員力

2011-02-20 00:21:35 | ネット・PC
 最近「コーカイ日誌」のアクセス数は1日300~500くらい。長い間あまり変化はありません。そして昨年3月から始めた「コーカイブログ」のアクセス数は1日500~800。ブログ時代なのを反映してか、後発のブログ版の方がアクセスする人が多いようです。合計で1日約1000前後の読者がいるということです。

 ツイッターのフォロワー数は現在1135。日誌とブログの合計アクセス数と大差ありません。そしてフェイスブックの友達は13人。以前にも書いたように積極的にフェイスブックの友達を増やそうとは思っていないので、リアルな知り合いがフェイスブックにいたら、ちょっとずつ友達になっています。ミクシーは登録しているだけでほとんど使っていません。

 いま僕が発信するメディアとしてはこれだけがあります。そのパワーは社会全体から見れば微々たるものかも知れませんが、それでも毎日1000人以上の人たち(ブログとツイッターは相当数の重なりがあると思うので)に何かを発信できる手段があるというのは、なんら特別ではない普通の一個人としては素晴らしいことだと思います。

 例えば今日日曜日の夕方にサックスの初ライブがあります。と言っても、何回も書いているようにスクール生による発表会的なライブですから、講師の先生たちをバックにスティービー・ワンダーの「パートタイム・ラバー」を1曲演奏するだけ。正直きっと緊張して酷い出来になると思っているので、いくら無料でも「見に来て」とはとても言えませんから場所や時間などは書いていません。しかし、もしこれがスクール生のライブではなく、本当に自分たちのバンドのライブだったら、僕はブログやツイッターを駆使して告知をし動員を図ることでしょう。

 1000人プラスαの中のどれだけの人が実際に足を運んで来てくれるかわかりませんが、もしかしたら10人くらいなら義理半分興味半分で来てくれそうな気がします。自分たちの演奏に自信があれば頑張って50人くらい動員できるかも。僕の夢であるライブでのバンド演奏が現実になる日がいつかわかりませんが、その時にはブログ、ツイッター、フェイスブックを使って告知しまくるのでよろしくお願いします。

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吉田拓郎の歌

2011-02-19 03:46:37 | 音楽
 娘が「わたしは 今日まで 生きてみました」って誰の歌?と突然聞いてきました。友達に聞かれたそうです。その友達は「クレヨンしんちゃん」の映画の中で歌われていて気になったからだとか。もちろん僕は「それは吉田拓郎だな」と即答です。『今日までそして明日から』の有名な歌詞ですから、ある年代から上ならみんな知っていることでしょう。

 娘に「良い歌だよね」と言われたので、そうだね、と答えましたが、正直言って僕は拓郎世代ではありません。かぐや姫世代です。この微妙な差異は多分僕とほぼ同じ年代の人しかわからないことでしょう。今となってはフォーククルセダーズも吉田拓郎も井上陽水もかぐや姫も松山千春も、みんなひと括りにされて一緒の扱いですからね。

 僕が音楽に目覚めたのは中学2年の5月でした。なぜそこまで限定的に言えるかと言うと、その時にラジカセを買ってもらったからです。それまで音楽というのはテレビの歌番組で「見る」ものでした。だから小柳ルミ子や天地真理、アグネス・チャン、郷ひろみなどは歌っていましたが、テレビに出ないフォーク系の歌手のことは噂で聞いたことがあるレベルでした。

 ところがラジカセから流れてくるフォークソングは実に斬新でした。そして当時ちょうど大ヒットしていたのが、かぐや姫、荒井由実、チューリップといった面々でした。さらに続いてやグレープや甲斐バンド、中島みゆき、松山千春あたりが次々と出てくるのですが、リアルタイムにヒットを飛ばしている彼らはまさに「僕らの音楽」でした。そしてその頃には既に大御所になっていた吉田拓郎は、僕の中では「上の世代」の音楽であり、岡林信康や高石ともやと同じ扱いだったのです。もちろん日本の音楽史における吉田拓郎の立ち位置はわかっていますが、当時中学生の僕にとっては、です。

 だから吉田拓郎の歌は結構知っていますが、特に初期の『今日までそして明日から』のような傑作は全て後から聞いた曲なので、どうしても深い感情移入ができません。この年になって聞いて改めて「良い歌だよなぁ」と思いますが、青春時代をともに過ごしたわけではありませんから、グッと心を鷲掴みにされるほどではないのです。もっとも吉田拓郎も『シンシア』以降の歌だとリアルタイムに聞いていますから、世間的な評価はさほど高くなくても好きな歌はあります。そういうところが流行歌の面白さなんでしょうね。

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