幹事クリタのコーカイブログ

テニスをはじめあれこれ好き勝手書いています。「幹事クリタのコーカイ日誌」のブログ版です。

渡る世間に昭和は遠く

2011-09-30 02:17:11 | テレビ・芸能
 昨夜『渡る世間は鬼ばかり』が最終回でした。と言っても、僕は全くと言って良いほど見ていなかったので、特別な感慨はないのですが、最終回だということで最初の15分くらいだけ見てみました。何というか、想像以上だったことに驚きました。橋田寿賀子ンセイの脚本は「昭和」そのもの。説明的でバカ丁寧なセリフ回しと古臭いナレーション。懐かしいTBSホームドラマそのもので、なるほど、これを昭和からずっと見てきた人たちに、このドラマは支えられていたんだなぁと思ったら、ドラマ自体のスタートは1990年。平成になってからでした。

 このドラマのセリフが長く説明的なのは、主婦が台所に立っていてもストーリーがわかるように「ラジオドラマ化」しているからだという話がありますが、今どき見たいドラマは録画して見るでしょうから、やはり発想が昭和です。嫁と姑の諍いというテーマ設定も昭和臭さがプンプンしますが、今さらそういうことを言っても仕方ないほどに定番化していた人気ドラマなので、僕のように興味のない人間がとやかく言うことではないのでしょう。とにかく20年も続いたドラマが終わってしまうことに時代の流れを感じます。

 僕が子どもの頃はTBSのホームドラマ全盛期。『肝っ玉かあさん』『ありがとう』『時間ですよ』と言ったドラマが大ヒットし、「お母さん女優」が視聴率を持っている時代でした。京塚昌子、山岡久乃、森光子、池内淳子といった年配の女優が競って主役を張っていたなんて、20代の女優が主演するのが当たり前の今となっては考えられません。渡る世間だけが、泉ピン子を主役に据えて(初期は山岡久乃でしたが)、未だに昭和を守り続けていたんだと思うと、いよいよ「昭和は遠くなりにけり」という思いがします。

 ちなみに中村草田男が「降る雪や 明治は遠く なりにけり」と詠んだのは昭和6年(1931年)のこと。大学生だった草田男が母校の小学校を訪れた時に詠んだそうです。その時点で明治はまだ終わってから20年経っていなかったのですから、今と昭和の方がすでに遠くなっています。平成元年生まれのうちの息子が来春には就職ですから、遠くなるのも無理はないですが。

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原因不明の落ち込み対処法

2011-09-29 01:03:11 | 日記
 原因不明の落ち込みというのがあります。いや、私はないよ、という人は多分いつでも幸せでハッピーな人なんでしょう。僕は時々気分がグーンと下がってしまうことがあって、そういう時は何をしていても「はぁ」という溜息ばかりが頻繁に出てしまいます。

 落ち込んでいる時間は、短ければ数時間ですが、長いと1週間以上続きます。原因不明と言っても、ささやかな理由は思いつくのですが、それはあくまでもきっかけと言うか引き金に過ぎず、根本的な原因はもう「生きてること」そのものへの懐疑であり、普段は心の奥深くに沈んでいる灰色の感情が、ふわーっと海面へと浮かび上がってくるようなイメージです。

 もちろん、その感情にケリをつけることなど不可能なので、また深海へと沈んでいくのを待つしかありません。時間が経てばそのうち自然に沈んでいくのですが、何か良いこと、楽しいこと、ハッピーなことがあると、一気に沈んで見えなくなるので、積極的に人を誘って遊びに出かけたりするのが一番の対処法になります。

 ただ、人を誘うというのは「断られる」可能性もあるリスキーな行為です。特に落ち込み解消に劇的に効果がある嬉しい相手というのは、逆に言えばOKしてくれる可能性が低い相手だったりするわけで、撃沈覚悟で臨むのは落ち込んでいる時だけに厳しいものがあります。

 また、いつもOKしてくれるので大丈夫だろうと思って誘った相手に断られるのも、これはこれでかなり落ち込みます。むしろ油断していただけに覚悟ができていないので落ち込みはより激しいかも知れません。元気な時なら断られてもめげずに乗り越えられるのですが、落ち込みから立ち直ろうと縋った相手に振られるのは落ち込みがより加速します。

 まあ僕にはテニスという落ち込み解消策もあるので、かなり救われてはいますけどね。熱中できる趣味を持つというのは、良いときだけではなくダメな時にも大いに救いになるというメリットがあります。忙しいからとか、疲れているからといった、安易な理由で趣味を放棄しちゃいけません。ま、安易に放棄できる趣味なんて、趣味と言うべきではないと思いますがね。

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熱く語り合える相手がいる幸せ

2011-09-28 01:49:34 | テニス
 9月ももうすぐ終わろうとしていますが、3年前の9月に亡くなった会社の先輩でテニス仲間のMさんのことを唐突に思い出しました。亡くなった時にも書きましたが(こちら)、Mさんとはいつもテニス談義を熱くしていました。9才年上でテニスの腕前も僕よりも上だったのですが、偉ぶることもなくテニスの兄弟子と弟弟子のような関係でいつも話をさせてもらっていました。

 お互いに普段はテニスをしている場所が違ったので、月曜日の会社のランチタイムがその報告会。それぞれが週末にテニスコーとであったことを話し合い、面白かったこと、気付いたこと、驚いたことなどのネタを提供しあっていました。特に大会などで対戦した上手な人の話をするのがお互いに大好物で、その人がどんなプレーをして、それに対して自分たちがどう挑んだのか、技術、戦術、精神などを詳しく話をしながら論評し分析をしていました。

 僕もMさんも大人になってからテニスを始めたので、上達するには理論武装からというタイプ。プレースタイルこそ違えども、テニス歴もテニスへの向上心も似ていたので、いつも飽きることなくテニス談義を繰り返していました。僕にとってはもちろんですが、恐らくMさんにとってもそれはテニスの実力向上に有意義なだけではなく、なによりワクワクする楽しい時間だったと思います。

 Mさんが亡くなってから3年、僕は未だに熱くテニス談義をできる相手を見つけられていません。もちろんテニスへの熱意や向上心が燃えさかっている人はいますが、「語り合う」ために必要な「サムシング」を持っている人がなかなかいないのです。

 この3年間で僕のテニス経験値もかなり増え、語ることができる内容も質量ともに大幅アップしました。Mさんが生き返ってきてくれたら一晩徹夜してでも話すことはたっぷりとあるんですが、残念なことにその気配もありません。そろそろ次のテニス談義の相手が現れても良いのになと思うのですが、いつまでたってもこれに関しては「未亡人」のままです。

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メールの返信はすぐに書こう

2011-09-27 01:43:39 | ネット・PC
 ここでこの10数年繰り返し書いていることなんですが、メールの返事を書かない人って言うのがどうも理解できません。理解の問題だけでなく、実際に困っています。僕は1日にかなりの数のメールを公私ともに送信しています。もともとパソコン通信時代からメールを使いこんできたので、生活の中のメールへの依存度が高いということもありますが、なにより「筆まめ」なんだと自分でも思います。

 環境的にも常にメールできるようにPCは常時立ち上がっています。携帯もあります。ほぼリアルタイムでメールチェックしていますから、急ぎの返信が必要な時はすぐに返しています。急ぎじゃなくても返信が必要なら大抵半日以内には返事を出しています。返信が必要ないメールでも「受け取った」ことを相手に知らせるために返事を書くことも頻繁にあります。

 僕が返信を送ると「すぐに返事をくれた」とか「早い返事で驚いた」ということを書いてくる人がよくいますが、メールの良さはレスポンスの速さだと思っていますから、必要ならなるべく即時返信が一番です。「後で返事を書こう」なんて思っていたら、大抵タイミングを逃すか、メールの海に埋もれて忘れてしまいます。

 返事を書かない人は、恐らく「後でいいや」と後回しにして忘れてしまうんだろうと思いますが、中には「会った時に返事しよう」「後で電話で言おう」という人もいます。これも正直困ります。基本的にメールで聞いたことはメールで返してもらえるのが一番。なぜならやり取りを記録に残しておきたいからこそ、メールを送っている場合が多いからです。

 毎週テニスの出欠をメールでやり取りしていますが、それも記録に残しておくことが大事だからです。出欠を聞かれた本人はどんなカタチであれ返事を伝えれば大丈夫だろうと思っているかも知れませんが、こちらは一度にたくさんの人から出欠の連絡をもらいます。1対多の関係なのですから、いちいち全部覚えていられません。だからこそメールで返事をもらうようにしているのに、「この前会った時に言いました」とか言われても困るのです。

 あと返信をくれるのは良いけれど、聞いたことには答えていないのに、聞いてもないことを長々と書いてくる人も困ります。電話ならその場で用件だけを繰り返し聞くこともできるけど、メールの場合はタイムロスが生じるし無駄なやり取りをしなくてはなりません。まだ聞いたことを最初に答えてくれた上で、後は無関係な話がずっと書いてあるなら良いのですが、無駄話だけ読まされて挙げ句に肝心の返事は!?ってなるのが一番腹が立ちます。

 まあ逆にあまりに無愛想な用件だけのメールも白けますけどね。せめて挨拶と一言くらい何か書き添えたらどうなんだよと思わなくもないですが、恋人ならともかく一般的な間柄ならそれは目を瞑ってもいいです。やっぱり返事がないのが一番困ります。届いていないんじゃないかと不安になりますし、返事を待ってこちらのイライラがどんどん増していくのも一方的に損をしている気がしますから。ほんと、聞かれたことに対する返事は早く書こうよ。返事の期限ぎりぎりまで放置するんじゃなくてさ。

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ネットは道具であっても趣味ではない

2011-09-26 01:26:27 | ネット・PC
 最近ネットにかけている時間が昔よりも少なくなっていることに気がつきました。まあ少なくなっていると言っても、日に1時間以下になったわけではないのですが、平日で5~6時間、休日は2時間くらいかも知れません。平日の方が多いのは、もちろん会社でずっとPCに向かい合っているからで、休日はテニスに行ってしまうからですが、以前のように平日も休日もジャンキーのようにどっぷりネットにはまっていた頃と比べたらかなりライトになっています。

 理由はいろいろ考えられますが、要するに飽きてきたというか、新しいことが少なくなって刺激がなくなったということでしょう。自分でサイトを作って、web上で日記を書いて、ネットで知り合った人たちとコミュニケーションをして、という行為がどんどん広がっていった時代は本当に面白い、新しいと思ってやっていました。そこにある可能性に未来を感じたし、こういうツールが生まれたことで何ができるようになるのか、どんな風に世の中が変わっていくのかとワクワクしたものです。

 しかし、昨年のtwitter、今年のfacebookのブームの短さ、消費のされ方の速さを考えるに、どうやらネットの世界でできることは、ツールが変わっても本質的にはあまり変わらないような気がするのです。もちろん、何かと便利にはなってきていると思いますが、基本的にやっていることは同じです。むしろ便利さは諸刃の剣で、かえって個人情報に敏感になったり、制約が多くなったりと、面倒臭くなってきていることも事実。もっと大らかにネットに接していられた頃が懐かしいくらいです。

 もちろん、今までとは違う画期的なネットの利用法が登場すればこの気持ちも変わるでしょうが、現状としては「道具」としてのネットはもはや生活に欠かせないものだけに、ここからすっかり遠ざかってしまうということは考えられませんが、「趣味」としてのネットには楽しみが少なくなってきているので、その分だけネットにかける時間が減ったということでしょう。僕の中で趣味はテニスだったりサックスだったりグルメだったりと、リアルに手応えのあるものへと回帰しています。これが僕だけの傾向なのか、世の中全体の流れなのかはわかりませんが。

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サークル通算900回

2011-09-25 01:56:57 | テニス
 昨日の練習会で、我がテニスサークルの練習回数は通算900回を達成しました。25年9ヶ月かかっての数字です。練習会後のお茶会でささやかなお祝いの乾杯をしました。900回というのは少々半端なので、1000回になったらもっと大々的にお祝いをしたいと考えています。

 実は900回の通常練習以外にも合宿を33回、泊まりの大会参加を21回行っていますので、実際のサークルの練習日はもっと増えることになるのですが、まあ通常の練習会だけでも900回も行ったのは結構頑張った方ではないかと思っています。

 この900回25年9ヶ月のほぼ全てに僕は参加しています。僕の参加回数は878回。22回休んだのは怪我か急病か突然の休日出勤か弔事。基本的には2ヶ月前に決めたサークルの練習日には予定を入れませんし、公私問わずほとんどの事柄よりサークルを優先しています。犠牲になっているのは仕事と家庭で、1年とか2年ならともかく、25年余りとなると人生の中心にサークルを置いていると言われても何にも言い訳できません。

 25年前に仕事仲間でサークルを立ち上げた時にはこんなことになるとは思っていませんでした。せいぜい4~5年も続けば良いかなと考えていましたし、実際サークル創立後5年目頃にはメンバーも集まらず練習もできずという危機的状況に陥っていました。創立時の仲間がどんどん参加しなくなったからです。

 普通は仲間でテニスするために作ったサークルなら、その仲間が参加しなくなったところで役目を終えたと判断するものです。ところが僕はその頃にはすっかりテニスにはまっていたので、立ち上げた仲間が参加しないなら他からもっと誘えば良いと考えて拡大路線に舵を切りました。結果、メンバーの数が増えてサークルも安定的に続いていくことになったのですが、この時の「常に新しい仲間を募集していく」という方針が25年続いた大きな要因となりました。

 学校のように卒業していくメンバーがいれば、代わりに入学してくるメンバーもいる。数年間のサイクルで人が入れ替わっていっても、器がそのまま残っていれば良いと思えるようになってから、僕も幹事として気が楽になりました。いくら気の合う大事なメンバーでも、いつまでもここにいることはできない、「さよならだけが人生」だというように考えることにしています。

 ただ嬉しいのは「さよなら」した仲間が時々帰ってきてくれることで、そのために器を替えずに残してあると言っても良いくらいです。創立20周年の時にはサークルの同窓会を開きましたが、それもまさに学校と同じ。次に同窓会を開くことができるのはいつのことかわかりませんが、古いメンバーが元気なうちにまたやりたいと思っています。

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琴奨菊と稀勢の里

2011-09-24 02:37:34 | 大相撲
 今場所注目の両関脇、琴奨菊と稀勢の里がともに白鵬を破りました。白鵬が横綱昇進以来、関脇以下に連敗したのは初めてだそうです。白鵬が痛めた右肘の調子が悪いということも考えられますが、やはり大関昇進を狙う両力士が力をつけてきたということが一番だと思います。

 これで琴奨菊は白鵬と並ぶ11勝2敗。残る2日間で1番勝てば大関昇進は確実でしょうが、それだけではなく5年振りの日本人力士の優勝も見えてきました。残る2日間は大関日馬富士と把瑠都。白鵬もこの2人が相手だけに力と力の勝負です。今の琴奨菊なら両大関に勝つことは十分考えられますが、もし決定戦になった時にもう一度白鵬に勝てるかというと、これはかなり厳しいところ。ただ今場所の綱取りには失敗した日馬富士ですが、対白鵬となると燃える男ですから、日馬富士が優勝争いの鍵を握ると思います。

 稀勢の里は10勝3敗。こちらも十分な成績です。負けた相手が琴奨菊、日馬富士、把瑠都ですから責められません。こちらは上位との対戦をすでに終えているので、残る2日間は油断さえしなければ12勝まで星を積み上げることも可能です。そうなればいよいよ来場所は大関昇進をかけることになりますが、先に琴奨菊が大関になれば、きっと稀勢の里も続くことでしょう。

 この2人が大関になれば、横綱大関の内訳はモンゴル2人、東欧2人、日本2人と完全に三分されます。長年に渡る外国人天下をようやく打破するカタチができてきて、大相撲も面白くなると思います。

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落合監督の辞任と高木守道氏

2011-09-23 02:07:55 | 野球
 中日ドラゴンズの落合監督が今季限りで退任し、後任に高木守道が再び就任することが発表されました。落合は今年で契約が切れるので、もしかしたらそうなるかもとは思っていましたが、後任が高木ということには驚きました。

 落合は「勝つ」という目的のための監督としては、中日球団史上最高だと思います。また今のプロ野球界を見渡してもこれほど「勝てる」監督は滅多にいません。万年2位で優勝も10年に一度、日本一が遠かった中日が常勝球団となり日本一も達成できたのはまさに落合の功績です。普通ならこんな名監督の首を切るなんてあり得ません。首を切ったらすぐにナベツネが原を辞めさせて巨人監督に据えてしまいそうです。そんなことになったらもう中日は巨人にボロ負け確定です。

 ただ中日球団として頭が痛かったのは観客動員数の減少、そして営業面への落合の非協力ぶりだったと思います。単純に勝てば観客も増えるということなら問題はないのですが、実際には「落合の野球はキライ」というファンが一定数いて、勝っても動員が伸びないのですから、球団としては未来永劫落合監督でいくわけにはいかなかったのだろうと推測されます。

 中日球団の考える理想の監督とは「勝てて」「客も呼べる」「生え抜き」です。そういう意味では星野はやはり監督として秀逸でした。落合ほどは勝てませんでしたが、パフォーマンスも含めて人気があり営業貢献度は高かったのですから。そして次の中日の監督は誰がどう考えても立浪をおいて他にないはずです。

 しかしここで白羽の矢が立ったのが高木守道。僕たち世代より上の中日のオールドファンにとってはまさに「神様」のような存在の「ミスタードラゴンズ」。日本プロ野球史上最高の二塁手であり、名球会の創設時からのメンバー、監督も経験した殿堂入り野球人が、70才になってなぜ今さら監督に復帰するのか?まあファンの目から見てもおぼろげにその経緯は想像が尽きます。

 落合ほどの名監督の後任は誰がやっても非難を浴びます。なぜなら勝てないから。そこにプリンス立浪を置いておくわけにはいきません。彼の将来に傷がつきます。そこで高木です。中日OB会の会長であり、落合監督支持派であり、未だに名古屋に根強いファンが多くいる高木なら、ある程度落合の後任として監督の座について成績を落としても、ファンは「仕方ない」と許してくれます。そして高木は立浪という次期指導者を育てるために監督になるわけですから、むしろ成績が悪い方が良いくらい。Bクラスに沈んで立浪にバトンタッチすれば、立浪のハードルはかなり低くなります。つまり、高木は落合と立浪のために緩衝材となって泥を被る覚悟なのだろうと思います。

 このシナリオは球団にとっては都合が良いですが、高木にとっては辛いことになります。殿堂入りした人がなぜ敢えて泥を被らなければならないのか?もちろん生真面目な高木なりの責任感、使命感だろうとは思いますが、ちょっとせつないシナリオ過ぎるのではないかと僕は思います。

 と言うのも、僕は仕事で高木守道さんとは20年以上の付き合いです。最近は年に1~2度しかお会いしませんが、昔から本当に紳士で真面目。以前監督をしていた頃でも決して愚痴もこぼさずに淡々と監督業を務めていました。しかし、監督を辞めてから一気に太って穏やかな顔になりましたから、監督という仕事はさぞかし気を遣って胃が痛い仕事なんだろうなと思います。そんなところへ70才になって今さら戻っていくなんて、守道さんの寿命を縮めるだけのような気がします。心配だなぁ。

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雑誌4ページ独占掲載!?

2011-09-22 01:44:11 | テニス
 昨日は台風のせいで夜のテニス練習会が中止になりました。それだけ聞くと「当然だろ」と思われるかも知れませんが、昨日は屋内コートでの練習なので雨も風も関係ありません。しかも夕方には名古屋から台風は遠く離れてしまい、雨はやみ風もかなり収まっていたにも関わらず、公営コートが杓子定規に「暴風警報が2時間前に出ていたら使わせない」という規則をあてはめて閉鎖してしまったのです。実際にテニスを始める時間はもう全く問題ない普通の天気だったのですから、本当に残念でした。

 で、予定していたテニスができずモヤモヤが溜まったのですが、ひとつ良いことがありました。先月末に義父の葬儀の合間を縫って参加した「ゼビオカップ」という大会の模様が載っている「テニスマガジン11月号」が出版社から送られてきたのです。と言うのも、この大会に際してスポンサーのスポーツドリンクのモニターをしたので、その記事と写真が掲載され、それで雑誌がいただけたというわけです。

 驚いたことにモニターの記事は1ページまるっと僕だけ。しかも写真が大きい。同じ号に載っているインターハイやインカレで優勝した選手並みの大きさ、しかも向こうはモノクロなのにこちらはカラーです。同じレベルの写真を探してみたら、全米オープンの記事のクルム伊達公子相当。名前もフォントサイズも大きく、これではまるでスター選手です。自分でも笑ってしまうくらいの扱いです。

 しかも同じサークルのメンバーが隣のページにデカデカと載り、さらに次のページには大会のレポート記事があって、そこにも結構目立つセンター上部に大きく僕とペアのガッツポーズの写真が載り、さらにさらに次のページの終わりに3位トーナメント優勝でチーム全員の写真と名前が掲載されているのです。もう完全にテニスマガジン4ページ独占状態。何だか他の参加者に申し訳ないくらいにあちこち出まくりの目立ちまくりです。一応毎年写真は載せてもらっていますが、今年はとりわけたくさん出てしまったという感じでした。

 これも取材に来ていた編集長やカメラマンたちと積極的にコミュニケーションを取った成果でしょう。掲載された写真も、試合中にも関わらずちゃんとポーズを考えて撮られていますから、まさしく狙い通りです。昨日発売の「テニスマガジン11月号」118p~121p。テニス好きなら買っていただくのが一番。そうじゃなければ書店で立ち読みでも構いません。それも面倒な方のために、一応スキャンもしておきました(こちら。厳密に言うと著作権絡みでマズイ?個人利用だからギリセーフだと思うけど)。これだけ載せてくれたのですから「テニスマガジン」をよろしく、と宣伝しておきます。

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嵐の前の大雨

2011-09-21 01:31:36 | 時事
 昨日の名古屋の雨はなかなか激しく、なんと100万人以上に避難勧告が出されるほど。と言っても、あの避難勧告はあまりにも大雑把。庄内川と天白川が危険水位を超えたからとは言え、流域のみならずかなり離れた地域にまで避難勧告を出していては、かえって本当に危険な地域はどこなのかわからなくなってしまいます。

 我が家も「区全域」が避難勧告地域だったので、一応は対象だったのですが、どう考えても高台のマンションの我が家の方が近くの小学校とかに行くよりも安全。「水に強い」ことがわかっていて今の場所を選んでいるのですから心配ご無用という感じでした。

 もっとも11年前の東海豪雨の時には我が家は大丈夫でも、すぐ近くの地下鉄駅が水没して大きな被害が出ているので、油断はできません。少なくとも下手にクルマで動いたりしたら、近所は全て坂を下ったところにあるわけですから、どこで水没してしまうかもわかりません。じっと家にいて外を眺めているのが一番です。

 昨日は東海豪雨の時と同様に、会社の前の車道が水深40センチ、歩道が水深10センチ。普通に靴を履いて歩いたら足首まで浸かってしまうほど冠水していました。クルマが通るたびに川になっている車道から波が会社の玄関に向けて押し寄せてくる光景も11年前を思い出させます。とは言え、東海豪雨の時はもっと激しい降りで、本当に「バケツをひっくり返したよう」に、大きな滝の下にいるかのような雨量でしたが、昨日は滝の大きさがちょっと小さい感じだったので、しばらく待っていれば水は引くかなと思いましたし、実際夕方には普通の雨の日と変わらない様子でした。

 ツイッターなどではセンセーショナルな画像や言葉が踊っていたので、多くの名古屋以外のフォロワーからご心配をいただきましたが、一瞬だけ「あれあれ」となったくらいで大丈夫でしたのでご安心ください。もっとも、これを書いている21日午前1時過ぎは小康状態で問題ありませんが、台風が近づいてくるのはこれから。午前中から午後にかけては風も伴った大雨が予想されるので、まだどうなるかわかりません。少なくとも川に近いところは危険でしょう。すでに昨日被害も出ていますし、僕も気をつけたいと思っています。

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