東郷町議会議員 かどはら武志(日本共産党)

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事情を分かっていない人に候補者や支持した町民の思いをあれこれ言われ黙っているわけにはいきません

2010年08月29日 | 東郷町政

 東郷町と同じ愛知郡の長久手町に伊藤ゆうじ氏という町会議員がいます。郡議員大会などで同席したことがあるかもしれませんが、会話をしたとかの記憶はなく、直接の面識はありません。

 その議員さんが、ご自身のブログで「落選の思いが…」と題する文を発表しています(「ゆうじのナイスチョット」8月25日)。読みたい方はここをクリックしてください。

  (この記事は削除されているようです 10月6日記)

 内容は、先週の東郷町長選挙が終わった後に、私(かどはら武志)がツイッターで書いたことにイチャモンを付けるもので、最後に「残念だ」と書いて閉じられています。

 この文章の流れは、共産党はこんなものだと決め付け、候補者の心情はこうだと決め付け、それを理解しない者がいて残念だ、というものです。

 状況も知らずに、自分の思い込みだけでよくもまあ、こんなに書けたものだ、という程度のものですが、放置しておくわけにもいかず、とりあえずツイッターで手短に論評をしておきました。

 その部分は次の通りです。

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おやおや、最近RTしてフォローして差し上げた長久手の議員@ito_yuziさんがブログで私のことを書いておられますなhttp://bit.ly/9a5iCC。意味不明で読み解くのがきわめて困難ですが、とりあえずご紹介します。しかし○産党などと伏字する必要はありませんよ。

どうやら国政選挙で負けても党首が変わらない我が党のことを引き合いに出して我が党のことを批判しておられるようだが、そもそも党派で争う国政選挙と幅広い共同でたたかう首長選挙との違いもご存知ないようだ。

そして、候補者の気持ちも知らずに「負ければただの人以下になってしまうのに」とのたまっている。候補者は「この経験を力に町をよくする活動をしたい」と決意も新たにしているのに。状況も知らずに勝手なことを書かないでもらいたい。

最後に「この選挙も党利党略を持ち込んだと言わざるを得ないのでは思えてしまう」と書いている。党利党略で公明党や民主党系、自民党籍を持った人、無党派とここまで共闘が進むとでもお思いか? まったくもっておめでたい。

いやはや、ためにする批判をする人がまだまだいるものだ。

残念だ

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 かなり粗い議論ではあるものの、一応の反論は済んだと思いましたし、何より、伊藤議員が自分のツイッターから私をブロックして(締め出して)、私が伊藤議員のツイッターを閲覧できなくするという、公人としては極めて残念な行動を取って、自ら世間に恥をさらしたので、まあこれで良しとするか、と思っていました。

 しかし伊藤議員が文章が書いた場所はブログ、一方、私が反論したのはツイッターです。ブログはいつでも簡単に閲覧できるのに対し、ツイッターに書いた文は、時間が経つにつれ、見つけ出すのが困難になってしまいます。

 それで私もこの件について、馬鹿馬鹿しいとは思いますが、ブログにも書き残そうと思います。

 馬鹿馬鹿しくてこんなことに労力を割くのはもったいないとも思いますが、今日、私が多くの町民とお話させていただく中で、伊藤議員が書いた

「僅差とはいえ負けは負け。善戦したから良かったと言うことではないはず」

というのは、まったく的外れな感想で、さかべ候補を支持した住民の思いに反する物言いだという思いを強くしたことも、ブログにも書き残そうと考えるに至った理由の1つです。

さかべ候補を支持した町民は今回の善戦を喜び、次につなげることを期待している

 前置きが長くなりました。本題に入ります。

 伊藤議員は先ほども紹介したように「僅差とはいえ負けは負け。善戦したから良かったと言うことではないはず」と書いています。確かに負けです。誰も勝ったとは思っていません。

 しかし「事実上、勝ったも同じ」とか、「出遅れが響いたが、4年後、いや、今からの町政変革につなげられれば良い」とかの感想を述べた町民がおられました。共通しているのは「21票差で負けたのは残念だったけど、現職を相手によくあそこまで追い上げたね。」と善戦をたたえ、我が事として喜ぶという意見です。

 さかべ候補を支持した町民が、善戦を歓迎しているのに、「善戦したから良かったと言うことではないはず」という勝手な思い込みで文を書き始めないでもらいたいと思います。

共産党にケチをつけるために書いた「ためにする批判」か

 次に伊藤議員はこう書いています。

「なのに応援された○産党議員の呟きを見させていただきあきれてしまった
超党派で応援できたことの意義は非常に有意義であった旨の記述
国政などの選挙でもいえることではあるが、対立側が議席を減らそうものなら支持が減ったはず
党首他幹部は責任をとるべきだと攻撃するのがいつものパターンなのに自らの党が減らしても誰も責任はとらない
対立側が一緒に減らそうものなら、我らの訴えが認められたぐらいのことを平気でいう
まったく勝手このうえない」

  全体に意味が取りにくく、特に「対立側が議席を減らそうものなら支持が減ったはず」という部分が意味不明ですが、どうやら言いたい事は

 「○産党は、他党が選挙で議席を減らしたらその党の党首は責任と取れというが、○産党が負けても○産党は責任と取らない。他党が議席を減らしたら、○産党の訴えが認められた、ということを平気で言う。勝手な党ですね。」

ということらしいです。まったく根拠のない言いがかりです。

(○産党議員は共産党議員のことです。読めば分かるので別に伏字にする必要がないのに。後で反論されたときの言い逃れのための伏字ですかね。)

 政権党が議席を減らしたら、政権党の指導者たる内閣総理大臣に退陣を求めるのは当たり前ですが、それ以外の党首に責任を取れ、なんて、いつ共産党の指導者が言いましたかね。また自分の党が議席を減らす結果であっても、状況によっては「我が党の訴えが認められた」ぐらいのことはどの政党でも言うと思いますが。

 それにしても、伊藤議員は、党派が議席を争う選挙のことを引き合いに出して、何が言いたいのでしょうか。

 そもそも伊藤議員ご自身が認識しているように、今回の選挙でさかべ候補を応援した人たちには、いろいろな立場の人たちがおられます。私のような共産党議員もいれば、公明党の議員もおられる。また政党に属している人もいれば、無党派の人もいる。議員だけでなく、町内各界の人々もさかべ候補勝利のために馳せ参じました。

 このように、幅広い町民の共同でたたかった選挙でした。党派が争う選挙ではありませんでした。それを分かっていながら、共産党の批判のために今回の選挙のことを取り上げるのは、かなり無理があります。

 こういうのを「ためにする批判」と呼びます。建設的ではありません。

 次に

「今回もある意味、負けたのに良かったと総括されている」

とある。「今回も」の「も」とは? 共産党の国政選挙と、幅広い町民の共同でたたかった選挙を、ごっちゃにしなさんなって。それに「負けたのに良かった」ではなく、「負けたけど良かった」です。

候補者の気持ちを勝手に決め付けるな

 共産党を批判するために、今回の選挙を引き合いに出すことまでは、まあご愛嬌と片付けても良いような問題かもしれません。

 しかし次の記述はどうしても許すことができません。

「選挙に負ければただの人以下になってしまうのに」

 「ただの人」とは何ですか。「以下」とは何ですか。選挙に勝ったら「エライ人」で、選挙に出なければ「ただの人」で、負けたら「ただの人以下」という意味でしょうかね。

 どういう感覚で議員なんかやってるんでしょうか。伊藤議員は。

 さかべ守義さんは、選挙に出ようが出まいが「さかべ守義さん」その人であり、選挙で勝って町長になろうが負けて今までの生活を続けようが「さかべ守義さん」です。

 それを、「○○以下」とはどういうつもりでしょうか。

 さかべさんは、結果が判明した後、「これからも町をよくする活動をしたい」と、決意も新たに、元気に語りました。その後もお会いしましたが、意気揚々としておられます。それともさかべさんから直接話を聞いたのでしょうか。

 伊藤議員のことも勝手に決め付けさせてもらいます。議員でなくなったら、まちづくりの活動など関係ない立場で過ごされることでしょう。どうぞご勝手になさってほしいと思います。

 次の

「応援した住民の本当の気持ちもわかっていない」

は先に紹介したとおり。伊藤さんこそ東郷町民にインタビューして回って住民の気持ちをわかった上で、こんなことを書かれたことでしょうから、またブログで書くのを待つことにしましょう。

 次も勝手な思い込みによる記述です。

「負けたことにより確実に4年は負い目をもっていかねばならなく支持した公約も遅れるのは確か」

 前半は勝手な思い込み。「支持」の後については、町長選挙で掲げた公約を実現できるのは町長選挙で勝つのが早いのは当然ですが、町長選挙で負けても、自分が応援した候補者が掲げた公約で自分の政策と一致するものがあれば、それを実現するために努力するのは、町民であれ議員であれ一緒です。さかべさんも、きっとそのために、これからも活動したいと表明したのだと思います。

 伊藤議員には、町民の力というものが理解できないのでしょう。

 次の「本当に死にものぐるいで戦ったとは感じられないのだが」
は、失礼ですね。知りもしないことを見てきたかのように書くと恥をかきますよ。

いろんな町民の共同の選挙なのに党利党略など持ち込めるわけがない

 次に

「この選挙も党利党略を持ち込んだと言わざるを得ないのでは思えてしまう」

と書いているが、結局この伊藤という議員の作文には、共産党に言いがかりをつけたいというひん曲がった動機しか感じられないと断じておきましょう。

 さかべ候補は、共産党も候補者擁立を検討しているさなかに、立候補を表明されました。そして幅広い町民が支持を表明し、その中には共産党の議員も公明党の議員も、民主党代議士を応援している議員も、自民党籍を持った議員も、まったく無所属の議員もいて、党としては共産党も支持を表明しました。

 こうした幅広い町民でたたかった選挙で、どうやって党利党略を持ち込むことができましょうか。

 最後に「残念だ」と結ばれていますが、事実を見極めず思い込みだけで作文をし、その内容たるや、さかべさんや応援した町民までもコケにしたものです。そんな作文をした議員に「残念だ」と言われ、私も残念です。

コメント (2)
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