『唐代史研究』16、2013年8月、38-67頁。
中国の伝統的な歴史理解では、高句麗は朝鮮史に属し、中国史の一部とは見なされてこなかった。〔中略〕1980年代は高句麗史を中国史に位置づける研究が増加したが、あまり声高に主張されることはなく、歴史学会全体の動向のなかでは非主流的であった。その背景には、伝統的な歴史理解の影響とともに、友好国北朝鮮への配慮があったと考えてよい。ところが1993年8月に開かれた「高句麗文化国際学術討論会」の席上、北朝鮮の著名な歴史学者だる朴時考が、公然と中国の高句麗研究を批判した。また、韓国の学者が新聞紙上でその支持を表明したりもした。〔中略〕中国東北地方の民族形成史研究の中心となっていた孫進己は、この事態を北朝鮮・韓国の学者による「挑戦」と受け止め、高句麗を朝鮮史とする主張は将来中国を侵略するための「反動的侵略史学」だと批判した。〔中略〕この認識は多くの東北地方の研究者に共有され、高句麗史研究の活性化を促すこととなり、それが中央での関心を高め、1996年より中国辺疆史地研究中心が当該問題に関与してくるようになる。彼らは津北地方研究者との交流を深め、次第に連携を強化し、東北三省と共同でプロジェクトを組むところにまで発展させた。これが2002年度の中国社会科学院重大研究課題A類に採択された「東北工程」なのである。 (45頁)
「東北工程」という事態の根を洗ってしまえば、こういうことであるらしい。
中国の伝統的な歴史理解では、高句麗は朝鮮史に属し、中国史の一部とは見なされてこなかった。〔中略〕1980年代は高句麗史を中国史に位置づける研究が増加したが、あまり声高に主張されることはなく、歴史学会全体の動向のなかでは非主流的であった。その背景には、伝統的な歴史理解の影響とともに、友好国北朝鮮への配慮があったと考えてよい。ところが1993年8月に開かれた「高句麗文化国際学術討論会」の席上、北朝鮮の著名な歴史学者だる朴時考が、公然と中国の高句麗研究を批判した。また、韓国の学者が新聞紙上でその支持を表明したりもした。〔中略〕中国東北地方の民族形成史研究の中心となっていた孫進己は、この事態を北朝鮮・韓国の学者による「挑戦」と受け止め、高句麗を朝鮮史とする主張は将来中国を侵略するための「反動的侵略史学」だと批判した。〔中略〕この認識は多くの東北地方の研究者に共有され、高句麗史研究の活性化を促すこととなり、それが中央での関心を高め、1996年より中国辺疆史地研究中心が当該問題に関与してくるようになる。彼らは津北地方研究者との交流を深め、次第に連携を強化し、東北三省と共同でプロジェクトを組むところにまで発展させた。これが2002年度の中国社会科学院重大研究課題A類に採択された「東北工程」なのである。 (45頁)
「東北工程」という事態の根を洗ってしまえば、こういうことであるらしい。