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書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

Eleanor Robson/Jacqueline Stedall編 斎藤憲/三浦伸夫/三宅克哉監訳 『Oxford 数学史』

2014年09月01日 | 抜き書き
 「4.3 数学を導入し,帝国を建設する:ピョートル一世治下のロシア」(イリーナ・グーゼヴィチ/ドミトリー・グーゼヴィチ著(金山浩司訳)より。

 ピョートル一世が前任者から引き継いだ数学の遺産はごくわずかなものにすぎない.1695年に彼が国を統べるようになったとき,ロシアで知られていた数学と言えばせいぜい,算術の加減乗除と,初歩的な幾何的作図法だけだった. (316頁)

 「数学」という言葉がロシアに現れたのは1524年のことで、これは占星術とも関係のあるギリシャ語の『マフェマティク』という語形に由来している.実際,かつての数学者は占星術師でもあったし,医学上の相談相手、祈祷師,あるいは家庭教師としてツァーリに仕えていた.
(同上)

 ほとんどのロシア人にとって,数学というのは,超自然的な知識やら恐ろしげで計り知れぬ知識やらいかさまだとすら思われかねないような知識に花を添えるものであった.占星術とは異なり,数学の応用というのはまだ端緒についたばかりで、その領分は測地,初歩的な地図製作、あるいは基本的な演算なとに限られていた.アラビア数字は知られてはいたが,さほど用いられていたわけではない.計算するときには,数字はアラビア数字ではなく古いキリル文字によって表記されていたからである. (同上)

(共立出版 2014年5月)

広瀬淡窓の「天」と「理」

2014年09月01日 | 日本史
 2014年07月10日「広瀬淡窓の『天理』、大村益次郎の『天理』」他より続き。

 ウィキペディア「広瀬淡窓」項に、彼の敬天論につき「朱子学においては『天』と『理』は同じものであるが、淡窓の考える『天』は『理』とは別の存在であり、『理』を理解すれば人間は正しい行いをして暮らすことができる、しかしその『理』を生む『天』は理解することができない、とする」という指摘がある。
 この天と理の認識における分離は、銭大が『十駕斎養新録』で述べたところのものである(「天即理」)。広瀬は銭よりも後の人である。広瀬は銭の著を読んだことがあるのかどうか。

 ところで広瀬の著『約言或問国文』に、以下のようなくだりがある。
 
 天ノ神明不思議ナルコト。理ノ一字ニ尽クスへキニ非ズ。己ガ智ヲ以テ理ヲ究メテ。天ハ即チ理ト云フハ。畢竟私智ヲ以テ天ヲ測ル所ニシテ。不敬ニオツルコトヲ免カレザルへシ。(「第十二 天即理也ノ弁」、近代デジタルライブラリー『淡窓全集 中』、コマ番号305)

 また『増補 淡窓全集 上』(日田郡教育会編、思文閣 1925年12月)所収『夜雨寮日記』巻三に、

 理ノ当否ハ。我決スルコト能ワス。〔中略〕所謂理気ト謂フモノ。有ルガ如ク、無キガ如シ。得テ知ルヘカラス。故ニ伊物ハ無シト言ヒ。宋儒ハ有リト言フ。(31頁。原文旧漢字)

 とある。
 この、実に近代的な不可知論はどこから来たものであろう。

 我其ノ有ニ従フト雖モ。顕然トシテ見ルヘキノモノアリト言フニハ非ス。故ニ之ヲ理ト云ワスシテ。天神帝〔原文この三字横に〇点〕ノ三字ヲ以テ。之ヲ形容ス。是レ予カ宋説ト同中ノ異ナリ。義府窮理ヲ主トスト雖モ。皆条理ノ理ナリ。理気ノ説ニ非ス。天ニ至ツテハ。之ヲ不可知ニ帰ス。即敬天ノ義ナリ
。(同頁、同上)。

 “条理ノ理”であると淡窓は言う。ではその“条理”とは何であるか。

山井湧 「孟子字義疏証の性格」

2014年09月01日 | 東洋史
 『明清思想史の研究』(東京大学出版会 1980年12月)所収、378-411頁。

 「『孟子字義疏証』において考証学的要素が弱く、主観的哲学的要素が強い」(395頁)ことを根拠堅牢に論証する。
 戴震のこの書が、私にはいまひとつ分かり難かったのは、まさにこの要素のためであったことを知る。

 彼の説いた字義は結局彼の哲学的立場から解釈された字義であり、彼が描いた経書の理義は、実は経書の衣を着た彼自身の哲学であったわけである。
 (392頁)

 まさにこの故に、私は時に行文に跟いてゆけなかったのだ。