「4.3 数学を導入し,帝国を建設する:ピョートル一世治下のロシア」(イリーナ・グーゼヴィチ/ドミトリー・グーゼヴィチ著(金山浩司訳)より。
ピョートル一世が前任者から引き継いだ数学の遺産はごくわずかなものにすぎない.1695年に彼が国を統べるようになったとき,ロシアで知られていた数学と言えばせいぜい,算術の加減乗除と,初歩的な幾何的作図法だけだった. (316頁)
「数学」という言葉がロシアに現れたのは1524年のことで、これは占星術とも関係のあるギリシャ語の『マフェマティク』という語形に由来している.実際,かつての数学者は占星術師でもあったし,医学上の相談相手、祈祷師,あるいは家庭教師としてツァーリに仕えていた. (同上)
ほとんどのロシア人にとって,数学というのは,超自然的な知識やら恐ろしげで計り知れぬ知識やらいかさまだとすら思われかねないような知識に花を添えるものであった.占星術とは異なり,数学の応用というのはまだ端緒についたばかりで、その領分は測地,初歩的な地図製作、あるいは基本的な演算なとに限られていた.アラビア数字は知られてはいたが,さほど用いられていたわけではない.計算するときには,数字はアラビア数字ではなく古いキリル文字によって表記されていたからである. (同上)
(共立出版 2014年5月)
ピョートル一世が前任者から引き継いだ数学の遺産はごくわずかなものにすぎない.1695年に彼が国を統べるようになったとき,ロシアで知られていた数学と言えばせいぜい,算術の加減乗除と,初歩的な幾何的作図法だけだった. (316頁)
「数学」という言葉がロシアに現れたのは1524年のことで、これは占星術とも関係のあるギリシャ語の『マフェマティク』という語形に由来している.実際,かつての数学者は占星術師でもあったし,医学上の相談相手、祈祷師,あるいは家庭教師としてツァーリに仕えていた. (同上)
ほとんどのロシア人にとって,数学というのは,超自然的な知識やら恐ろしげで計り知れぬ知識やらいかさまだとすら思われかねないような知識に花を添えるものであった.占星術とは異なり,数学の応用というのはまだ端緒についたばかりで、その領分は測地,初歩的な地図製作、あるいは基本的な演算なとに限られていた.アラビア数字は知られてはいたが,さほど用いられていたわけではない.計算するときには,数字はアラビア数字ではなく古いキリル文字によって表記されていたからである. (同上)
(共立出版 2014年5月)