書籍之海 漂流記

看板に掲げているのは「書籍」だけですが、実際は人間の精神の営みすべての海を航海しています。

錢穆 『朱子新学案』

2014年07月27日 | 東洋史
 錢穆《朱子新學案》。

 内在的な分析と評価。あるいは好意的、無批判的な理解。外在的批判は求めてもいないが、うちのりにそった解説としても、そのうえに立っての、思想としての不備や体系としての欠陥の指摘は行うべきではないかと思う。

(台北 聯經出版 1998年5月)

邱漢生 『四書集注簡論』

2014年07月27日 | 東洋史
 邱汉生《四书集注简论》。

 『四書集注』を著した朱子の「理一分殊」について、「朱熹从本体论角度指出,总合天地万物的理,只是一个理,分开来,每个事物都各自有一个理」というのであれば、ただ一事を窮理すればよく、格物致知は要らない。朱子学に内蔵されているこの元来の矛盾を、おかしいとは思わないのだろうか。

(北京 中国社会科学出版社 1980年8月)

荒木見悟 「一 気学解釈への疑問 王廷相を中心として」

2014年07月26日 | 東洋史
 同氏著『中国心学の鼓動と仏教』(中国書店 1995年9月)、同書3-49頁。

 気学とは、「宋代の張横渠〔載〕に始まり、明代における王廷相以下を通過し、清代の王船山〔夫之〕・戴東原〔震〕に至る、気尊重論者の思想」として、「従来の『理学』『心学』に対する独自の哲学として認識すべき」(3頁)と張岱年によって提唱されて以後、「中国においてはこれに同調する学者が多く、しかも気学者は唯物論の先駆をなすものとして、理学者・心学者よりも優位に立つものとして顕彰されつつあるようである」(同)ものである。

湯浅幸孫 『中国倫理思想の研究』

2014年07月25日 | 東洋史
 張載は、気は不生不滅であり集散を繰り返すとした。「第二部 中國倫理思想の諸問題 三 思想家としての王廷相 張載と王廷相」、本書205頁。では張のこの発想は何処から出てきたのか。
 朱子は仏教と見たらしい。「朱子は氣は絶えず生産され、一旦散じた氣は復た聚まらず、遂に消滅すると考え(「文集」四五、「答廖子晦」)、張氏の聚散説は、『釋子の輪廻の説』であると貶した(「語類」九九)」(本書206頁)。

(同朋舎 1981年4月)

高令印/楽愛国 『王廷相評伝』

2014年07月25日 | 伝記
 王廷相(1474-1544)の気一元論が張載に由来する事実とともに、王が、朱子の理気二元論ではさまざまな矛盾が生じることを種々の例を挙げて指摘している事実を紹介する。その例には自然観察や天体観測から得られた諸現実が
多く含まれる。 彼は儒学者・文学者だが科学者でもあった。天文暦学の他、その関心は今日の地学・生物学に該当する分野へも渉っている。さらには王は、気は集合分散を繰り返すが存在としては不滅とした。これは極めて特異な発想と思える。この点について、張載の意見はどうだったのか。

(南京大学出版社 1998年12月)

王俊彦 『王廷相與明代氣學』

2014年07月25日 | 東洋史
 なぜ明学が理気二元論ではなく、気一元論を採ったのかについて、説くところがない。
 同様に、王廷相の気一元論が張載のそれに由来する事実を指摘するが、ではなぜ王が儒学(宋学)において大勢の理気二元論を採らず、張の一元論を採ったのかについては稽えるところがない。

(臺北 秀威出版社 2005年10月)